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薬と卵を買って

 目的地の修道院に近付くにつれ、立ち寄る町も寂れてきました。

 石造りの高い建物は、見えなくなりました。

 森を切り拓いた集落のような街に、悪魔とお嬢さまは立ち寄りました。


「さすがに野宿は無理なんじゃないか。凍えてしまうし、この辺、森が多いから狼とか熊に食べられてしまうかも」

「そうですわね、どこか泊まれる所があれば良いのですけれど」

「……ところがこんな時、ぼくの魔法があれば!」

「あっ、あそこ宿屋さんみたいですわ!」


 お嬢さまがぱっと駆け出し、悪魔はぐぬぬ、と唸りました。

 せっかく上手く願いを言わせることが出来そうだったのに、どうしてこんな、おあつらえ向きに宿屋が……。


 へっくし、と悪魔はくしゃみをしました。

 悪魔になってからの百年、病気をしたことは一度もありませんでしたが、お腹が空くときには空くし、寒いときには寒いのです……。

 温かい暖炉があれば良いな……と思いながら、悪魔はお嬢さまを追いかけました。



     ◆◇◆



「――素泊まりで良かったら、やってるけど」

「あらまあ、食事は出ないんですの?」


 宿の番台にいたのは、お嬢さまより年が離れている子供でした。

 その子が「前は料理も出してたけど」……と言いかけた所で、奥から別の子供の声がしました。

 すると宿の番台の子は、お嬢さんから視線を逸らし、何処かを見つめながら何とも言えない表情をしました。


「ごめん、ちょっと」と言い置き、番台の子は見せの奥へと行きました。

 なんか不穏な感じだなぁ、と悪魔とお嬢さまは顔を見合わせました。

 ……やがて、


「――母ちゃんとこには行くなって言ったろ!」

「だってだって……! うえぇぇぇんっ!」

「伝染る病気なんだって! だから……!」


 そんなやり取りが聞こえた後、番台の子が戻って来ました。

 さっきより、ちょっと疲れたような顔でした。

 お嬢さまは、番台の子に問いました。


「お母さま、体調が優れないんですの?」

「や、……風邪をこじらせて、それで……人手が足んなくて、料理はちょっと」


 悪魔は、お嬢さまの袖をくいくいと引きました。

 番台の子には、どうせ見えてないので気にしません。

 お嬢さまが「なぁに?」と目を寄越すと、悪魔は言いました。


「別のとこ探そう。有ればだけどさ」

「……。他の所――こんな小さな町で? それにお母さんが寝込んでいて、子供が宿を切り盛りしているのに」

「そんなこと言ったってさあ」


 番台の子が「誰と喋ってるんだ」と言いたげな顔でお嬢さまを見ていました。

 その弟が、兄の服の裾を掴んで、同じように見ています。

 宿の兄弟には、悪魔の姿が見えず、声も聞こえないのです。

 お嬢さまが独り言を話しているとしか思えなかったのでしょう。


 悪魔は、はっと思いつきました。

 お嬢さまに願いを言わせて、こいつらのお母さんの病気を治せば良いのです。魔法だったら、星が落ちる代わりにどんな願いでも叶うのですから。

 それを提案したら、お嬢さまは願いを言うかも知れません。


 ……でもそうした後、自分は人間の心を保てているのだろうか、と悪魔は思いました。

 でも、お嬢さまはどんな願いでも悪魔が叶えられることを、すでに知っています。お人好しのお嬢さまは、悪魔に訪ねました。


「魔法で、この子たちのお母様の病気を治すことは出来る?」

「……ああ。出来るよ」


 悪魔は正直に答えました。嘘を吐くことは出来ませんでした。

 お嬢さまは、少し驚いた表情で「そうなんですの」とだけ言いました。

 きっと、これでお嬢さまは願いを言うのだろうなと、悪魔は思いました。

 ――けれど、


「これしきのことで、願いを使う必要なんてありませんわ!」


 お嬢さまは言いました。

 えぇっ、と悪魔は思いました。

 おののく悪魔を尻目に、お嬢さまは銀貨が詰まった財布を、番台に叩きつけました。それは修道院へ旅をするための路銀でした。

 そして、泣いている兄弟に、


「めそめそ泣いている暇があったら、このお金でお薬を買って来るのです! それから卵も買って来るのです!」


 栄養を摂ってぐっすり寝たら、病気なんて治るのです! とお嬢さまは言いました。

 無茶苦茶だなぁ、と悪魔は主張しましたが、悪魔の声が聞こえない子供たちは、薬と卵を買いに出かけて行きました。



     ◆◇◆



「……でもお前、どうすんの?」

「何が?」

「あの子供、料理できないって言ってたじゃん。薬はいいとしてもさ、卵を買って来たところで……誰がメシを作るの?」

「………………」


 お嬢さまは、しばし考え込んだ様子でした。

 しかし、決意したように顔を上げ、


「わたくしが。火を通せば卵でも何でも食べられるでしょう」

「いやいやいや……病人に炭を食わす気? 滋養が必要なのに消耗させてどうすんだよ」

「どうして、わたくしが作るものが炭になると決めつけるのです? ……確かに自分で料理をしたことはありませんけど」


 わたくしが体調を崩した時は、お母さまが卵の料理を作って下さった。

 だから卵で良いのです、とお嬢さまは言いました。


 いや、そうじゃなくお前の調理技能が不安なのだ、と悪魔は言い返しそうになりましたが……やめました。コイツの――お嬢さまの両親はどうなってるんだろう、と思い至ったからでした。

 革命があって……料理をしたこともないお嬢さまが、修道院を目指して旅している……親が健在だったなら、娘を守るだろうに。

 でも、そうなっていないという事は、そうか……。


「……卵入りのお粥でも作ったらどう?」

「おかゆ! 良いですわね!」


 お嬢さまは張り切って、料理に取り掛かりました。

 予想外に、お粥の作り方さえ知らないようでしたので、悪魔が囁いて教えました。悪魔のお粥です。

 この百年、王子だった頃より多少は世間ずれして来た悪魔は――お粥くらいだったら何となく作り方を知っていました。

 ……多めの水で穀物を煮て、味付けすれば良いのだろう、と。


 折り良く、兄弟たちが薬と卵を買って帰って来ました。

 お嬢さまは、煮え立つ鍋に卵を割り入れようとして……寸前で悪魔が止めて、別のお皿に落とさせました。お嬢さまのことですから、殻ごと混ぜてしまうと危惧してのことでした。


「いいか。お粥だからって侮るな……くれぐれも味見をしろ。水が多くても柔らかくなるだけだけど、塩を入れすぎたら取り返しがつかないんだぞ。病人に食べさせるんだってことを念頭に置いて『ちょっと味が薄いかな』って所でやめとけ。自分の舌を信じるな。ぼくの言葉を信じろ」


「うるっさいアクマですわねぇ……いちいち」

「ぼくは今でこそこんな悪魔の姿だけど、嘘だけは吐かないんだ」


 お嬢さまは何か文句を言いたげに、悪魔を見て口を開きかけましたが、結局は目を背けて口をつぐみました。

 兄弟たちが「誰と話しているの?」という視線を向けていたからでした。

 独り言の多い変な人だとは思われたくなかったと見えます。

 一つ咳払いをし、お嬢さまは誤魔化しました。


「こほん。明日からは貴方たちがお粥を作ってお母さまに食べさせるのですから、今、わたくしのやり方を見て覚えることですわ……卵は殻がお鍋に混じらないように別のお皿に割って、それから味見も欠かしてはいけませんわ。『もう一塩足りないかな』って辺りが、実は良い塩加減なのですわ!」


「全部、ぼくからの受け売りじゃないか……!」


 悪魔の声が他の人には聞こえないのを良いことに、さも自分が料理上手のような振る舞いをするお嬢さまに、悪魔は呆れを通り越して驚愕の声を漏らしました。

「うるっさいですわ」と小声で返すお嬢さまでしたが、今度ばかりはちょっぴり悪びれていました。



     ◆◇◆



 兄弟たちは、お嬢さまに大いに感謝しました。

 溶き卵を混ぜたお粥を、彼らのお母さんは平らげたようです。薬も飲んで、ぐっすり眠っているのだとか。


「食べてって!」

「泊まっていって!」


 左右の腕をぐいぐい引かれて、引き留められるお嬢さまでしたが……しかし、困った笑みを浮かべて、兄弟たちの申し出を辞退したのでした。

 悪魔は不思議に思いました。

 お嬢さまが善意でしたことに、兄弟たちは善意で返そうとしているのだから、素直に受け取れば良いのに、と。


「……泊まってけば良かったじゃん」

「そうですわね。アクマはやっぱり屋根のある部屋で休みたかった?」

「いや、ぼくのことは。百年もこうしてるから」


 お嬢さまは、微笑んで空を見上げました。

 今夜の空は雲も無い、満天の星空。

 夜空にはあんなに星があるのだから、悪魔が魔法で五つくらい消し去ったとしても、それに気が付くのは天文学者くらいでしょう。


「……何で一つも願いを言わないんだ? 五つ願いを言ってしまったら、姿を悪魔に変えられてしまうけど……四つまでだったら、別に害はないのに」

「ねえ、アクマ」

「うん?」


 話を遮るようにお嬢さまが呼び掛けたので、悪魔は聞き返しました。

 そして仰ぎ見たお嬢さまの横顔が、瞳に映る星々の光が美しかったので、悪魔は思わず息を呑んでしまいました。

 冬の澄んだ星空を見上げ、お嬢さまは言いました。


「魔法で時間を巻き戻すことは出来るのかしら?」

「ん……出来るよ」

「お父さまとお母さまを生き返らせることは? 生まれ育ったお屋敷で……革命が起こる以前のように、家族で穏やかに暮らすことは?」

「出来るよ。どんな願いだって――」


 ――本当に叶えられるんだ。

 悪魔は嘘を吐きませんでした。それが事実だから、そのように肯定したまででした。

 それからだいぶ長い間、お嬢さまは星空を見上げていました。


 やがてお嬢さまが手の甲で、ぐいと目元を拭うまでは、悪魔は何も声を掛けずに見守っていました。

 もしもお嬢さまが願うなら、悪魔は時を巻き戻してやるつもりでした。例えその結果、お嬢さまが自分との出会いや、旅の出来事を忘れてしまうとしても。


 けれど、擦りすぎて目元を腫らしたお嬢さまは、笑顔で悪魔の方に振り返り、こういうのでした。


「――歩きましょ。修道院、きっともうすぐだから」

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