序 端書き 『さぁ、冒険の始まりだ』
一生、人間の姿で生きていく────、
母にはそう言ったが·····そんなの無理だ。
だって·····
「だってこんなにも気持ちいいいんだから」
そう呟いて、人間の体をぐるりと回転させる。
すると、肉体が熱を発し、ぐんぐんと灰色の龍の姿へと変わっていく。
竜の姿のスペックは、人間の時に比べると桁違いだ。
空も飛べるし、今は森だからやらないが──、多分炎も吐ける。そしてなによりカッコイイ。
灰色の翼でバサッと大きく羽ばたいて、空に浮かび上がる───。腹部がフワリと浮かび、羽以外の全身が浮遊感に襲われる。だが、竜だからかそれすらも心地よい。
空を駆ける────、
·····どこへ向かおうか?
いや、俺は自由なんだ。そんなバカバカしい事なんて考えなくてもいい。
───俺は竜だ──、自由気ままに飛び回っていればいい。
念じて、巨大な爪の付いた右手で、眼下の空気を軽く扇ぐ。
すると、俺のトカゲのような手に扇がれた大気が、念じた通りに渦巻いて····小さな竜巻状になっていく。
まだだ、まだ脆い·····、
もっと大きく·····
『あっ·····』
手の下で、竜巻が一気にトルネード並の勢力になる。加減をミスったようだ。思わず手から離した竜巻は、しかし森の木に触れる前に宙に掻き消えた。
『最高じゃねぇか····』
その心情に賛同するかのように、どこまでも続く真っ青な空は、竜の翼に煽られて、雲を散らした。
◇◇◇
カァン····と、軽快な、それでいて重い音が、修練場に鳴り響く。
「やっぱ、有り得ねぇってくらいに強えな、団長は」
「当然だ、この国の頂点だからな。」
硬い砂地が敷かれた修練場の端の方に、体育座りのような姿勢でくつろぐ二人の騎士が、騎士団長と副団長の戦いを神妙な顔で見つめる。
広場の中央では、二人の男が木剣を素早くぶつけ合っている。だがその試合の展開は、誰がどう見ても一方的だった。
「でも副団長も強いよな?」
「まぁそりゃ····あっ」
肩に強烈な一撃を受けた副団長が、思わずよろめき、膝をつく。団長が、すれ違いざまに剣を振るったのだ。····もっとも、この広場の試合を見ている数多くの騎士の中にその一撃を目視できた者がいるのか怪しいが。
「やっぱ、次元がちげぇな·····」
最前から試合を見ていた騎士の一人、薄紫の髪をした精悍な顔の男が、息をついて呟く。
「おい、まだ終わりじゃないみたいだぞ」
「三番手か····」
騎士団の中でも、団長、副団長に続き三番目の実力を持つ、第二大隊長の巨漢 〝鬼岩剛火〟 。
その、人間離れした筋骨隆々な体は、鬼の血を引くという噂もうなずける。
壁にかけられた、訓練用の刃の入っていない斧を手に取った男が、訓練場の砂利を踏みしめる。
「参る」
見た目とは裏腹に、素早くに振り下ろされた手斧を木剣で受け流した団長の後頭部に、─── 〝星灯り〟の リュミエル・シュナイダー·····副団長の木剣が迫る。
「いいね」
それをノールックで躱した団長が、呟きと同時に、肉眼では捉えられない速さで右手を振るった。──、一瞬の空白の後に、意識を失った〝鬼岩剛火〟と〝星灯り〟の体が、糸が切れたように地面に崩れ落ちる。
前後の二人の顎を打ち抜いたのだ·····。
「···ソルロア騎士団、団長───〝瞬生〟 アベル・グレンナー ·····」
「純粋な剣技だけじゃなく、魔法面でも各国の最高戦力並の才能がある·····あれで、さらに馬鹿げた能力もあるらしい───」
鳥肌の収まらない腕を抑え、思わず身を震わせる騎士達。
「やべぇな·····ほんと···」
木剣を壁に戻し、修練場を出ていくアベルの後ろ姿を眺めながら、騎士達は尊敬と憧れの入り交じったため息をついた····。