ペッパー&ソルトのベーコンエッグ
シラハが住んでいるマンションは、アイゼンゴッドの南にあった。
南地区では珍しい、オートロック完備のマンションである。
プロメテウスに入職が決まった時に、安全のためにそちらのマンションに住むか、プロメテウスの寮に住んで欲しいと言われたからだ。
安全のためと言えば聞こえは良いが、シラハは知っている。
住む先を斡旋してくれたのは、ただ単に、プロメテウスがシラハを監視しておきたいだけだからだ。
夕方。ジリリリリ、と目覚まし時計の音が鳴る。
ベッドで寝ていたシラハは、よろよろと手だけ動かして、それを止めた。
それから少しして顔をあげて時間を確認する。十六時ちょうど。出勤まであと二時間ほどあった。
プロメテウスに就職し、広報室へ配置されてから、シラハは昼夜逆転生活になっていた。
吸血鬼であるスメラギの活動時間に合わせると、どうしてもそうなってしまう。
最初の頃はしんどかったが、慣れてしまえば問題ない。
生活用品等の買い出しはどうかと言えば、これも不自由はしない。何といってもアイゼンゴッドは吸血鬼と人間が共存しているのだ。
それぞれの生活に合わせて店は開いている。
眠らない街アイゼンゴッド、とは昔テレビのコマーシャルで流れたキャッチフレーズだ。
くあ、と欠伸をするとシラハは起き上がる。
Tシャツにハーフパンツと、実にラフな格好だ。そのままふらふらと歩いて洗顔と歯磨きを終えると、シラハは夕食の準備を始めた。
冷蔵庫を開くと、中はガランとしている。最近忙しくて買い出しに行けていないからだ。
「仕事が終わったら買ってくるか……」
そんな事を呟きながら、卵を一つと使いかけのベーコンのパックを手に取る。
この二つで出来る料理と言ったら、ベーコンエッグだ。
シラハは寝起きにはいつもこれと決めている。
フライパンを乗せ、カチカチとコンロの火を点ける。
油を少し引いたフライパンにベーコンを乗せ炒め、そのあとで卵を割って落として、塩と胡椒を振りかける。
何の変哲もない調理法だが、シラハが母から教わったのがこの流れだった。
シラハの母は料理好きで、絵本に書かれていたものを「これが食てみたい!」と頼むと「まかせて!」と作ってくれていた。
その素晴らしい事と言ったら!
ふわっとした材料と調理法しか書かれていないのに、絵本そのもの料理が出来上がるのだ。
まるで魔法の手だ。そして「お母さん、すごいでしょう!」と、お茶目に笑う母が、シラハの自慢だった。
それももう、十年以上前の話だ。
ぼんやりと思い出していたその時、シラハのタブレットが鳴った。フライパンにフタをして弱火にし、タブレットを取りに行くと『スメラギ・トーノ』と表示されている。
珍しい時間に電話だな、と思いながらシラハは出た。
「はい、ミズノセです」
『やあやあ、こんばんは! まだ夕方なのにすまないね、シラハ君!』
タブレットの向こうからは、相変わらず元気な声が聞こえてくる。
この時間ならば吸血鬼のスメラギも起きたばかりの頃のはずだが。
この様子だと寝ていないのだろうなとシラハは推測する。
「こんばんは、スメラギ様。どうされたんですか?」
『うん、ちょっと頼みたい事があってね。シラハ君、プロメテウスに来る前に銀星軒に寄ってくれないかい? あ、もちろんその時間から出勤でいいから』
「銀星軒ですか?」
「そうそう。注文してあるトマトゼリーを貰ってきて欲しいんだ」
銀星軒というのは、アイゼンゴッドで有名な菓子屋だ。
羊羹や饅頭、ケーキにタルト。多種多様なお菓子が揃えられている。
その中で特に人気があるのがトマトゼリーだ。主なターゲットは吸血鬼だったが、人間にも人気の品物で。プロメテウスでも、お遣い物にも重宝されている。
スメラギの頼みも、たぶんそういう用途だろう。
「はい、承知しました」
『…………シラハ君が素直でちょっと感動してる』
「寝起きなので、言葉にデッドボールを追加する気力がないだけです」
『いやキミ、普段デッドボールしてる事は自覚しているんだね?』
それは思わぬ収穫だ、なんてスメラギは言う。
「会話とは常にデッドボールの連続だと思いますが」
『シラハ君が繰り広げている会話は、いささか殺伐過ぎないかな?』
「そうですか。用件がお済みのようでしたら切りますよ」
『あー! 待って待って!』
シラハがそう言うと、スメラギは大慌てでそう言った。
『銀星軒にメノウ君とイツキ君も向かわせてあるから、一緒に帰って来てね』
「メノウ様とイツキ先輩ですか? そんなに量があるんです?」
『いいや、トマトゼリーに関してはそうでもないよ。ただ、念のためね。ほら、エイカさんの件、覚えている? ちょっと心配でね』
そう言われて、シラハは思い出す。
エイカ・アサクラ。つい昨日、会いに行ったばかりのジュエリーデザイナーで、スメラギ曰く『反乱分子』かもしれないとの事だ。
スメラギが言うには、接点が出来たから、何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない、との事。
要は何かあったら心配なので、メノウとイツキを向かわせてくれた、という話である。
「自分の身は自分で守れますが」
『それはそうなんだけど、相手が吸血鬼だからねぇ』
「だからです。私は吸血鬼の天敵でしょう?」
シラハがそう言うと、スメラギは一瞬、黙った。
それから大きくため息が聞こえてくる。
『そういうところが心配なんだよねぇ。キミは自分の体質を過信し過ぎだ』
「過信も何も、事実ですよ」
『いやまぁそうなんだけどさぁ……。ま、いいや、そこは。とにかく向かわせたから、一緒に帰ってくる事。いいね?』
「承知しました」
『うん。それではね、寝起きにごめんねシラハ君!』
それだけ言うと、スメラギからの通話が切れた。
(寝起きなのに疲れたな……)
ぼんやりと失礼な感想を抱きつつ。
そのままフライパンに目を落とした。心なしか、半透明なフタの向こうの目玉焼きが黒色をしているように見える。
あ、と思ってシラハは慌ててフライパンの蓋を開けた。
残念な事にベーコンも目玉焼きはすっかり焦げていて、シラハは「私のベーコンエッグ……」と肩を落としたのだった。




