柚子の浮かんだフルーツティー 後編
「停電……?」
カナタを始めとした、その場にいた者達が動揺する。
平然としていたのはシラハとスメラギだ。
ざわついた一瞬の隙に、二人がソファーから立ち上がり、近くの人間を蹴り飛ばす。飛ばしたついでにシラハは、相手の手から拳銃を拝借した。
ぐえ、とカエルの潰れるような声に気が付いたカナタが「しまった、抑えろ!」と指示を飛ばすのが聞こえる。
けれど。
「遅いよ――――霧の散歩道」
それよりも、スメラギの動きの方が速かった。
言葉と共に彼を中心に、赤色の霧が発生する。それはぶわりと部屋中に広がると、カナタを始めとした者達に纏わりついた。
スメラギの血の芸術だ。その霧に纏わりつかれると、まるで粘着性の物体で体を覆われたかのように動きが鈍くなる。
「何だ、これは! 体が、動か……ッ!」
苦し気に絞り出された声。銃のトリガーに引っかけた指すらまともに動かせない。
そんな彼らに、スメラギとシラハは容赦をしなかった。薄暗い中で接近し、一人一人確実に床に沈めていく。
エイカがヒュウ、と口笛を吹いて「素晴らしい」なんて歓声を上げている声が聞こえた。
次に灯りが点いた時には、カナタとエイカを除いた全員が、床に倒れている状況になっていた。
カナタが信じられないと驚愕し、目を見開いている。
その時、スメラギのかけていた眼鏡からジジッと、軽いノイズ音が鳴った。すると直ぐに、
『あ、繋がった! 室長、室長! ボクですよ、ボク! ツバキですよ! 大丈夫でしたか!?』
なんて、可愛らしい少女の声が聞こえてきた。スメラギが眼鏡に仕込んだ通信機からである。
声の主はシラハ達と同じ、管理機関プロメテウス広報室に在籍する職員、ツバキ・ケイだ。
人間で、シラハより五つ年下だ。ちなみにプロメテウスに在籍したのはツバキの方がわずかに先なので、シラハの先輩にあたる。
そんな彼女の元気な声に、ハハ、とスメラギは笑う。
「いやあ、電気落としてくれたの、ナイスタイミングだったよ、ツバキ君! 僕のタブレットがロストしてから、四十分弱! スピーディーだね!」
『その言い方だと遅いって言われているような気がしますね!』
「気のせい気のせい!」
軽くそう返すスメラギに、ツバキは『絶対に気のせいじゃない気がする』と訝しんだ様子だ。
だが直ぐに『あっ』と何かを思い出した様子で、
『そんな事より、シラハ! シラハも大丈夫ですか! ボクですよ、ツバキですよ! 変な事されていませんか? 主に室長に!』
なんてシラハに聞いてきた。シラハは少し表情を緩める。
「ええ、問題ありません、ツバキ先輩」
「いやいやいや待ちたまえ、問題大ありだよ! おかしいよね? 何で僕が変な事をする側になってるの? しないよ!?」
『する奴はいつもそう言うんですよ』
「何か正論っぽくて言い返せない……! 僕はこんなにシラハ君の事を想っているのに!」
スメラギは大げさに嘆いて見せる。まぁ、演技である。
ちなみに最後の台詞を言ったせいでツバキからは『そういう所ですよ!』とツッコミを入れられて、苦笑していた。
「ま、それは横に置いておいて。そっちの状況はどうなってる?」
『メノウさんとイツキさんが人質救出に、室長達の方へはユキさんが向かってますよ! 警備部からも応援が来ています!』
「オーケー、さすが僕の広報室だ! あとで何かおごるよ!」
『えっ本当ですか! それならボク、グラタンが良いです! あとシラハ、シラハ! 戻ったらご褒美にボクをぎゅっとして下さいね!』
「承知しました、ツバキ先輩」
「あっずるい! シラハ君ってば、ツバキ君には甘いんだから!」
「別にずるくはありませんが」
しれっとシラハがそう答えていた時、あまりに呑気なやり取りに我慢の限界を迎えた者がいた。
カナタだ。
彼は怒りでぶるぶる震えると、怨嗟を顔に塗りたくったような表情でシラハ達を睨む。
「馬鹿な、どうして……! どうして、こんなに早く!」
「そりゃあね。反乱分子だってタレコミのある人からの招待状が届いて、何の準備もなく来るはずがないでしょ。ま、この分だと、そのタレコミも自作自演の可能性が出て来たけどね?」
カナタの言葉にスメラギはあっけらかんと返す。
するとエイカは、
「フフ。さすがスメラギさん、気づいて下さって嬉しいですよ」
と言った。とたんにカナタが目を剥く。
「エイカ、あんた……!」
「そんなに驚く事ですかね? 脅されて仕方なくやらされていた不本意な事を、そのままにするのを良しとしなかっただけですよ」
「ああ、そう言えばさっきもそんな事を言っていたねぇ。何て脅されてるんだい?」
「彼ら、裏で私のジュエリーに、イカロスを仕込んで売りさばいていたんですよ。ほら、さっきのブローチ。あんな感じでね」
さっきのブローチとは、会場で記念にと配られた、花の一部が赤い宝石になっていたアレの事だろう。
なるほど、とは思ったが。とは言えイカロスは錠剤の形をしたドラッグだ。そのまま入れても見た目ではバレる。
何かしらの加工をしているのだろうが――――それは物を調べれば良い話だ。
「エイカ・アサクラはイカロスに手を出していた、というでっち上げの話を、ウノハナ・インダストリーズの名で告発すると言われましてね」
「それで協力を?」
「ええ。あ、と言っても。告発自体はどうでも良かったんですよ。ガセですし。それよりも私のジュエリーを使って、イカロスがどれだけばらまかれたのか、調べる必要があった」
そう言った時、エイカの目がスッと細まる。
柔和な表情を浮かべていた彼の目が、凍てつくような色を宿す。
「私はね、自分の仕事に手を出される事が、一番嫌いなんです」
そしてギロリ、とカナタを睨んだ。
ピリピリと空気が張り詰める。カナタが「ひ」と息を呑む声が聞こえた。
「あなたがいくら彼女の子供であったとしても、限度があります」
どうやらこちらも複雑な事情がありそうだ。
シラハはそう思ったが、今、どうこう言う問題ではないだろう。
「エイカさんに敵対の意志はない、という事でよろしいですか?」
「ええ。その通りです、シラハさん。何もするつもりはありませんよ。何なら、私の血の芸術でもばらしましょうか?」
「いやいや、後で結構。会場で配った宝石の様子を見れば、大体は予想がつくよ。催眠系辺りだろう?」
スメラギがそう言うと、エイカは「さすが、よくお分かりに」と笑った。
催眠系、とは厄介なものだ。シラハはともかく、スメラギもブローチ自体は手に取っていた。効果時間等、後でちゃんと話を聞く必要がある。
やる事が多いな、とシラハが頭の中で整理していると、スメラギはカナタを見下ろした。
「……さて、カナタ・ウノハナさん。ずいぶんと大事をやってくれましたねぇ。――――プロメテウスに連行させて頂きますよ」
そう言って近づくと、カナタはくつくつと卑屈に笑い出した。
スメラギが怪訝そうに片方の眉を上げる。
「何か面白い事でも?」
「ああ、あるさ。――――そちらが、準備していたなら。僕だって何もしていないわけないだろう?」
そう言った、その時。
建物が、大きく揺れた。




