6、明日になれば
「孝文さんはもうあんたに飽きたの!早く出て行ってよね!」
最後まで彼女に話をさせて貴方は一度も理由を話してくれなかった。5歳上の彼はとても大人に見えて頼りになると思っていたのに。
早く出て行ってよねか。カレンダーを見る、今日は11月18日、土日が休みの私にはどれだけ頑張っても今月中にしか無理かもしれない。
「できるだけ早く努力するけど今月いっぱいはここへ来るのを許してほしい。」
「分かった。」
彼の部屋に来て1時間は経っているだろうか、初めて孝文が返事をした。半同棲だったから荷物は多いけど家はあるしなんとか今月いっぱいで片付けできるだろう。
「早くしてよね!じゃあ秋穂は帰るけど孝文さんには近寄らないでよね!」
ストレートのロングヘアを振り乱して睨まれる。
「ええ、近寄らないわ。今月数回家に来て荷物を片付けて合鍵を置いて帰る。」
「じゃあよろしくね。あの部屋は私の部屋になるんだから!」
「ええ。」
「気を付けて帰りなさい、秋穂。」
「ありがと、孝文さん!」
元気よく彼女は玄関を飛び出していった。私は彼の顔を見ずに彼がかつて好きに使いなさいと言ってくれた部屋に入った。
私の大好きなバニラのキャンドルの香りがするこの部屋はこの家の中で一番日当たりが良い部屋でよく孝文が仕事を自室で始めると邪魔しないようにこの部屋に戻って昼寝をした。
それから孝文は私が寝ることが趣味だと思って誕生日には眠りに関係する物をくれた。この家に来て初めてのプレゼントはモコモコのパジャマでそれを着ていると嬉しそうに肌触りが良いねと撫でていた。
明日は私の誕生日だ、毎年前日から孝文も仕事を休んで私の好きな場所へ連れて行ってくれておいしいものをたくさん買ってキャンドルを灯して好きな映画やミュージカルを見ながら24時になったらおめでとうと言ってくれて誕生日プレゼントをくれる。今日だってそうなる予定だった。彼女が現れるまでは。
去年はシャワージェルとシャンプー、コンディショナーのセットとネックレスだった。首にあるネックレスを触る。あの日、彼が着けてくれてからずっとしてるからもう馴染んでしまっている。
部屋の入り口の姿見の前でネックレスを外す。そういえばピアスも一昨年のプレゼントでくれた物だ、これは彼のプレゼントとは別にお母様が孝文をよろしくねとくださったものだ。これはクリーニングに出してお返ししよう、宝石屋さんでできるかな。
もう一度姿見で自分を見る。今日はいつもだったら着ない特別なワンピースを着ている、彼と買い物に行った時に素敵だと言ってくれた少しお高いブランドのワンピース。食費を切り詰めてこの日の為に内緒で購入した。顔を見ても青白いだけで化粧もバッチリで今日の私は誰よりも綺麗なはずだった。
「あ、駄目だ。化粧とれちゃう。」
鼻の奥がツンとなって涙があとからあとから流れていく。悲しい、悔しい、腹立たしいでもあんな彼でもまだ愛おしい。あの日、バイト先の喫茶店で声をかけてくれた彼、勇気を出して映画に誘った私を微笑んで受け入れてくれた。
「片付けよう。」
ドレッサーの上の基礎化粧品はいつも孝文が揃えてくれていた。自分で買うから良いと言ってるのに、
「私がそうしたいから。この部屋にある物は全て君の物だから好きに使いなさい。」
と揃えてくれた。彼がお金を出した物だけど私の使用済みで衛生的に良くないからこの基礎化粧品は持って帰ろう。ドレッサーの上と中を拭いて鏡も綺麗に拭きあげる。
初めてここに泊まったとき寒い日だったのにまだ毛布が届いてなくて彼の腕の中で眠った。
次は、そうだな…ベッドのシーツやカーテンを全て外して一旦洗濯しよう。これはこの家に置いていくけどせめて綺麗にしておこう。枕は彼がプレゼントしてくれた物だけど置いていく。
洗濯物を持ってゆっくりと部屋を出る。彼は仕事に戻ったようだ。さっきまでの出来事が嘘だったみたいに静かでいつも通りの彼の部屋。いつ来ても綺麗にしてあって彼の性格が色濃く出ている。いつ来ても約束なしで来ても女性がいた事なんて一度もなかったのに。
いつもなら仕事中はうるさくして気が散ったら申し訳ないと洗濯や掃除、テレビもなしと色々気を付けていたけどもう気にする必要ない。洗濯機をまわして部屋に戻る。意外と今月いっぱい来なくてもいけるかもな。ただ服はたくさん置いてあるから今度スーツケースで持って帰ろう。今日は服は諦める。
「暖かい。」
カーテンが無くなるといつもより暖かく感じる。窓を開けて空気の入れ換えをする。外から近くの公園の子供達の笑い声や車の音、飛行機の音、電車の音、様々な音が急に耳に入って来た。ここから大学に通って就活して会社にも行ったりしてどうしてこんな事に…その途端に何故かまた涙が溢れてくる。
駄目だ、中野に電話しよう。一旦片付けをやめてスマホを取り出す。ロック画面は去年彼と行ったアミューズメントパークで撮った二人の写真。あの時は急に雨が降り出して夏だったのにとても寒くて帰ろうかって早めにきりあげて帰ってきたのに結局、二人とも風邪を引いてこの部屋で二人で看病しあったな。
中野はすぐに出てくれた。
「もしもしどした?」
「あのね彼と別れる事になった。」
「え!は!いやいや、えだってこの前…それに大学の途中からだから…何年だ……。」
「6年。」
「そうだそれにこの前あんたプロポーズするって!断られたの?」
「出来なかった。」
「は?」
「新しい女性がいて、とにかく早く出て行ってと言われた。」
「二人ともぶち殺しに行こうか?」
「ふふふ、やめて。」
「でも向こうの浮気なんだね。分かった。皆にも言う。」
皆というのはゼミの皆だろう。この前飲んだときにプロポーズするって相談して皆が応援してくれたから。
「うん、でもあんまり彼を悪く言わないで。」
「指輪の箱は開けちゃ駄目だよ。質に行くから売れなくても捨てに行く一緒に行くから。ねえそこから帰るとき電話して車で迎えに行くから。」
「いいよ。ごめんごめんそんなつもりじゃ無いから。ただ一人で片付けしてると涙が止まらなくて。」
そう話しながらまた泣けてくる。泣いている事に気が付いた中野は少し優しい声で話してくれる。
「私がしてあげたいの。今日は私がそうしたいから帰るときに言って。」
「ありがとう。じゃあうーん一時間後位になると思う。」
「分かった。あんた誕生日でしょうそのままおいしいものを食べに行こう。」
「ありがとう。じゃあまたあとで。」
「うん。絶対に連絡しなよ!荷物も運んであげるから全部持ってきな!」
「あははは、分かった。それじゃあね。」
良かった、やっぱり少し気分が晴れた。たまたまネットで買い物をしたときの大きい段ボールがあったので服を詰めていく。30分以上経っただろうか、閉まらないけどなんとか全て詰められた。今月中どころか今日だけで済んでしまった。さっきのは私がここへ彼に会いに来たかっただけ、その理由が欲しかっただけか。私、馬鹿だな。
さあそろそろ洗濯が終わってるだろう。ワンピースから普段着に着替えて部屋を出る、ベランダに干しに行ってカーテンは濡れたまま窓へ。扉も窓も開けっぱなしにしておけば乾くだろう。もうそろそろ帰ろう出来ることはもう殆ど済んでしまった。
「中野?うん。終わった。うんお願いします。」
段ボールを出そうと部屋扉を開けると孝文が前に立っていた。セットされていない髪にヨレヨレのシャツ、外では絶対に見せない部屋の中だけのくたびれた姿。これは私だけの物だったのに。
「すまない。」
それだけ。私との6年はその四文字で済む物だったのか。愛の言葉はたくさんくれたのに。最後の言葉はこれだけで終わり。
「シーツ類と布団は洗濯して干したから。友達が車で来てくれるから片付けは今日で済むと思う。返す物は全て郵送する。」
合鍵を孝文に渡そう。このキーケースも二人で買いに行ったお揃いの物。それ程高いブランドではないけど素敵な物だった。そこから自分の家の鍵だけを取ってキーケースごと孝文に渡す。
「えっ…そう。」
「私の家の合鍵を返して。」
「ああ。」
孝文は準備していたのか私の家の鍵を握って持っていたようだ。温かくなった鍵を私に渡して目を伏せた。中野はああ言ってたけど最後に復讐する。
「これ。」
プロポーズの為に用意した指輪の入った箱を渡す。
「これは?」
孝文は不思議そうに箱を見ている。
「明日、貴方にプロポーズしようと思って用意した指輪。私にはもう必要ないから。」
「プロポーズ……。君が私に。すまない。」
この傷はきっと一生消えることはない。どんな治療薬でも癒やせない。
「じゃあ永遠にさようなら。」