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第二話


建設現場で従事したことのなかった成彬にとって、そこは未知の世界だった。

剥き出しの天井、骨組みだけの壁、のたうちまわる電源コード、色とりどりの配線類、あちこちで上がる溶接の火花に耳をつんざく金属音とさまざまな騒音。乱れ飛ぶ怒鳴り声。腰にどっさりと道具を巻き付け、じゃらつかせながら働く男たちのそこはまさに、ワンダーランドだった。



ど素人で、お上りさん的な気分の成彬は、たちまち圧倒され魅せられたのだった。

折しも季節は夏だった。

現場の熱気にやられ、なにもしていない成彬の身体ひとつ、熱が動くのを感じた。



駅というたくさんの人々が利用する公共施設ということもあって、天井裏や床下、パイプシャフトに機械室など、普段の生活では、一般の人達が入れないような場所に、広大なスペースを設けていた。


成彬が最も感動したのは、そんな人の目に触れない場所にある、美しい配管たちだった。


整然と等間隔で並び、順番に折れ曲がっていく複数の配管たち。部屋の上下を貫き固定されて、びくとも動かないぶっといパイプたちが静かにその時を待っていた。



それら無数でさまざまな種類の配管を見て、彼は本気で美しいと思い、なおかつ音楽的だと思った。

まるで音楽が聴こえるようだと。




−−しんと静まり返った床下のピットと呼ばれる暗渠の中で、パイプを溶接する社長の影が火花に煽られて瞬き、伸び縮みしている。


きれいだ。なんてきれいなんだろう……。



彼の生活はそれから一変していくことになる。

真夏の午後の太陽は、大きくふくらみ、成彬と鉄筋工たちをじりじりと焼いていた。


子供の頃、虫眼鏡で蟻ん子を焼き殺した、その仕返しを受けていた。


スラブの照り返しと、素手では触れないほど焼けた鉄筋の熱とで、溶けてしまわないのが不思議なくらいだった。


鉄筋屋の親方である、中谷が水の入ったタンクを頭上にあげ、口に流し込んでいた。


「鉄筋屋さん」


この状態が14階まで続くのは、さすがにうんざりする。意を決して、成彬は直談判に出た。


「うちのスリーブが入るところ、ちゃんと墨だしてあるじゃないですか。スターラップ空けてもらえないですかね」


「そんなもん、こっちの仕事じゃねぇよ。せっかくきれいに組んであるのによ。勝手にスリーブでもなんでも入れればいいじゃねぇか」


中谷は取り付くしまもなく云い放った。


案の定である。だが云わないよりましなのだ。


「そしたら勝手にやるんでスリーブ入るまで梁落とさないでくださいよ」


「もうじき落とすからさっさとやれよ」


そう云い残して、五十がらみの中谷は年期の入った顔をしかめて、仕事に戻った。



成彬は汗だくになりながら、鉄筋と格闘した。

スターラップの結束をばらし、ハンマーでこれみよがしにぶっ叩いて、スターラップを広げて、ウェンブレンを入れ、それにボイドを通していく。

一点の仕事に集中しアドレナリンが湧き、血が沸騰する。汗がとめどなく流れ、周りが見えなくなっていた。

成彬が気がつくと、悪戦苦闘してるあいだに梁は全部組み上がっていた。そして梁を空中に支えているパイプ馬を、ぶっ叩いて無理やり外すという荒っぽい手法で端から順に梁型に落とし始めていた。


ちっきしょー、間に合うか。


焦る彼を追い詰めるように下からの支えを失った梁は、次々と大音響をたてながら落ちてゆく。

クレーンやレバーブロックを使ってゆっくり落とす安全なやり方もあるのだが、手荒な鉄筋屋は面倒臭がって使いたがらない。


「設備屋よう、早くやんねえと落としちまうぜ」


鉄筋工のひとりが嘲笑う。

−−ふざけやがって!

立場は鉄筋屋も設備屋も対等なはずだろう。呼び捨てにするんじゃねえよ。


夢中になって梁に腕を入れていたとき、いきなり梁が落ちた。まったく不意を突かれてしまった。寸前のところで腕がもっていかれるとこだった。


「あきらー、もういい!引き上げろ!」


所長の河合が叫んだ。いつの間にか足場の上から見ていたのだ。


「中谷さん!あんた、その設備屋の腕潰したら、一千万や二千万じゃきかねえぞ!」

中谷は顔を歪ませ、真っ赤になり、やがて青ざめるのにさほど時間はかからなかった。


河合がスラブに上がり歩み寄ってきた。河合にしてみれば、現場の責任を一手に背負っているのは自分なのだ。つまらない意地の張りあいで労災でもだしては、自分の経歴に傷が付く。しかし、それはさておいても、いまは成彬を擁護する気持ちのほうが強かった。

彼の会社の事情を知っているからだ。


成彬の所属する有限会社脇田工業の社長、脇田茂は現在、薬物中毒で廃人状態のまま警察病院に入院している。


バブル経済の後期、あまりの激務に耐えかねていた脇田は、たまたま六本木のクラブで知り合った若者にコカインをすすめられ、それ以来、依存するようになっていった。


深夜、事務所に警察が踏み込み、脇田は逮捕された。取調べは当時5人いた社員や協力業者にも及び、脇田工業は空中分裂した。従業員で残ったのは、脇田の技術に惚れ込んでいた成彬と脇田の妻で経理担当の真由子だけになってしまった。

脇田の昔からの知り合いである河合は、それだけに、ひとり会社を背負って立つ成彬に目をかけていたのだ。



「中谷さん、自分のやったこと分かるよな」


「でも所長、こっちだって時間がねえんだ」

「設備屋が時間かけやがるからよう」

「ふざんけんなよ」


成彬はトーンを落とした小声で吠える。


「スリーブ入れは設備屋の命だぜ。配管がうまくいくかどうかがこれで決まるんだから」


「まあいい、あとで二人とも事務所にくるように」

河合は携帯を取り出し藤田を呼び出した。


「すぐ上に来て、一緒にスリーブ入れ手伝ってやれ」

「なんだやっぱ入れるんすか」


「当たり前だろう。中谷さん、梁上げてやって。じゃ頼むよ」


そういい終えて、河合はその場をおさめ、スラブを下りて行った。


入れ代わりにやってきた、藤田広巳も一緒なって、なんとかスリーブ入れは完了した。


「ところでなにがあったんすか、伊藤さん」汗だらけの藤田が聞いた。


「もう忘れた」



設備屋★魂〜駆体工事編〜

(了)

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