駆体工事編
炎天下の陽射しの中、真っ黒に日焼けした鉄筋工たちが中腰の態勢で両手を差し出し、ごそごそと動かしては横に移動していく。
その様はまるで農作業でもしているかのようであった。
都会の中の足場パイプに囲まれた鉄筋コンクリート造のマンションの4階スラブでの梁配筋作業中なのだ。
右手にハッカーと呼ばれる先端が鉤状になりくの字に曲がった工具を持ち、左手に持った結束線という細い針金をそれで引っ掻け、回転させてねじりあげ鉄筋どうしを縛り付けるのだ。
外部足場を昇り、現在建て込み中の4階スラブ部分に来てみて、そろそろスリーブ入れのタイミングだなと設備屋の伊藤成彬は思った。
梁配筋の中に補強のための補強筋とボイドと呼ばれるボール紙でできた筒を入れ、梁型に落とし入れるのだ。コンクリートを打ったのち、ボイドを抜き取ればそれでスリーブの完成だ。
そのコンクリートに空いた穴に給排水やダクトを通して配管するのだ。
成彬が設備屋になったのは27歳のときだった。現在38だからキャリアは11年。始めたのは遅かったがもう中堅だ。
それまで成彬はロックバンドをやりながらバイトを転々としていた。
ハードロックにどっぷり嵌まり、轟音に身をゆだねながら麻薬に手を出すこともしばしばだった。
生活は当然すさみきっていた。ロックをやっているものならばそれが当たり前だと思っていた。だが心の底では、やはりこのままでは自分が駄目になるのではないかと恐怖感が募るのも自覚していた。
そしてまたそれをごまかすために、轟音に浸るのだ。
そんなある日、成彬はある人物の紹介で設備会社で働くことになった。完全に昼夜逆転していた彼は、朝が早いというだけでまったく気が進まなかったが、なにせ当時はバブルである。お金はよかったのだ。
その会社の社長に連れられて行ったのが、建設中のモノレールの駅だった。
その現場で成彬は設備の仕事というよりも「配管」そのものにある感銘を受け、設備屋になってもいいなと思ったのだ。