03 ~初体験で学んだこと~
明日無の前に次々とこんなんが襲いくる。初めての場所、最悪の事態を前に、明日無がとる行動とは…
――っ…!
――あ、ごめん。かかっちゃった? 俺のミルク。
――もう変な言い方しないでよ。フフッ…
――んじゃあ、俺らもなんかかけようぜ。
小学三年生の私。教師の中でされるがままだった私。多勢に無勢を思い知らされた私。
――やめっ
――おらよ。
――熱!
――それ熱湯じゃん。やーりーすーぎー。
――いいだろ? なあ? 明日無。
――…。
――言わないよな。友達を売るなんて、そんなこと…?
あの時、私は頷いてしまった。だってあいつらの言ってることは本当だから。私は臆病で、陰険で、ぼっちだ。頼れる相手なんているわけがない。…そう、母に教えつけられたから…。母はいつも私にこう言っていた。
――邪魔よ。あんた。……あの人のためにって産んでやったのに、こんな出来の悪い子になるなんて…はあ。本当私って可哀そう…
いつも自分のことしか考えていない母。父を愛していたと言っていたが、おおかた金と地位が欲しかったんだ。と言っても私は父に会ったことはない。私を産み、母は本性を現した。父にでたらめを吹き込んで遠ざけ、金だけを送るようにした後、私の地獄は始まった。母は散々私を詰り続けては、時折飴を与えた。そうすることで幽かに生きる気力を持たせたのだ。
だが、私が小学校に入ってから、私が虐められていることを知った母は、心底喜んでいた。私が傷つき家に帰るたびに、私を可哀そうな子として育てた。私はここで、母が実はいい人なのではないかと錯覚してしまった。――それがさらなる地獄の始まりだった。
私が学校を休みがちになった一週間後、母はある人たちを呼んだ。それが…
――いらっしゃい。寂しかったでしょう。あなたのお友達よ?
母は、私を虐めていた生徒たちを呼びよせ、自分の家でいじめは再開された。いじめっ子が帰ると、また母が私を可哀そうな子として抱きしめ、愛情を与える。翌日になると、またいじめっ子を呼び寄せ散々私を傷つけ満足して帰ると、また私を抱きしめる。
…もう、何が何だか分からなくなった。家族・友達・学校・居場所・生きることの全てが、私の記憶から消え去った。
「うっぷ…!」
頭から、体から忘れられない傷が記憶と共に呼び起こされた。かと思えば、私は激しく嘔吐しかけ、すんでのところで手で押さえ止まった。ここは他人の店。他人の物、他人の家の中で私の汚物を巻き散らかすわけにはいかない。私のせいで、私が我慢しなくちゃ…。
「うぇ…こいつ、吐きそうになってるんですけど…」
「失礼だな…明日無。友達相手になんて顔してんの?」
本棚の周りに集結した前方の男子組、後方の女子組が私の周りを取り囲む。自分の空間が徐々に犯されていくのが分かった瞬間、私は逃げるため、くまなく目で周りを見渡した。だが男女合わせて七人組は完全に私の行く手を阻んでいる。…また、遊ばれる。楽しくもない、嬉しくもない、恥辱と苦痛のパーティーが…。
ごめんなさい、店の人たち。私…もう限界。ずっと我慢していた吐き気は既に口いっぱいに広がって――
バサッ
「!?」
「なんだ…?」
「ねえねえ…今の…」
「うん。ひとりでに落ちてなかった?」
私の後方から一冊の本が棚から床に落ちた。後ろを振り返ると、それは私が読み終え棚に戻したはずの『とりあえずケロっと!』の第一巻。…でも、さっきしっかり他の本と挟んで戻したはず。激しい横揺れでもなければ落ちることはない…はず。
――あ
ふと、第一巻の表紙を注目した。そこには第一話『ドーンと構えて、ギュっと』と書かれていた。そのセリフは第一話で主人公のアマガエル・けろとんが最初の敵にやられそうになった時の話だ。勢いよく一人旅に出たものの仲間を作らず、一人で何でもできると思い込んでいたけろとんが、初めて心が折れそうになる。その時、真っ二つに折れたところをけろとんに助けられた一本の杖が、けろとんの前に立ってこう言ったのだ。
「胸をドーンと構えて、ギュっとするんじゃ。けろとん」
「杖じいさん…」
けろとんはこれをきっかけに、杖じいさんと仲良くなり、自分一人ではできないことがいっぱいあるのだと認め、素直に他人に頼っていこうと決めたのだった。…もちろん頼りすぎて杖じいさんにこっぴどく叱られることもあったけど。それでも…私はそんな二人が今でも大好きだ。
「明日未! 私が道を作る!」
(だから私は明日無だって………おっさん!)
ぶわっ。突然、強い風が店の出口方向を陣取る男女の間に走った。おっさんが作ってくれた隙間を、私は一気に突っ切った。おっさんの霊的何かでやったのかはわからない…けど、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「お客様!」
「…え?」
私は店を出る手前、店員さんの声でようやく気づいた。私の手には『とりあえずケロっと!』一巻が握りしめられていた。もしこのまま外に出たら、私は立派な万引き犯として警察に捕まってしまうだろう。だが背後には七人のあいつらが追ってくる今、私は焦って、焦って、気づいたときにはポケットから取り出した財布を店員に渡して、店を走り去っていた。
いじめグループを掻い潜り、店を出た後は、只管走った。おっさんの後を追うように、私は再び走り回った。
「ここに入りましょう!」
「はあ…はあ…ここって――」
そして私は再び、知らない店の中に入っていった。知らない匂いのするラーメン屋に…。その時、おっさんは右奥で麺を切っている店主と目がアイコンタクトしたように見えたが、残念ながら足ががくがくと激しく震え、疲れが体全身に回っていた私はもう何も考えられなくなっていた。意識も段々と薄れていき、私はそのまま崩れ落ちた。
「明日未!?」
「何だ一体!」
おっさんと店主の人が同時に私に駆け寄るが、私はそのまま深い眠りについたのだった。
私はどうして初対面のおっさんとこんなに話せているのだろう…
もしかしてこの人は、私の…
まさかね…
(この匂い…)
鼻孔を刺激するこの匂いは…醤油ラーメン…? バッと私は起き上がった時、私の目の前には大きな醤油の香りのラーメンが佇んでいた。どうしてこんなところにラーメンがと思ったが、それもそうだ。あの時私はこのラーメン屋で倒れたんだった。名前はまだ知らないけど…あ、店主が目の前にいる。名札には『弾丸ラーメン、百発百中』と書いてある。
「…えーっと」
「食え!」
「???」
「とっと喰いやがれ!」
「は、はいっ!」
私は店主に気圧されるように、醤油ラーメンに箸を付けた。…美味しい。口から喉から、胃に入る度に、私の心は温かさと心地よさで蓄積されていった。あ、いただきますをしていなかった。と、気を取り直して手を合わせると、私は再び食べ始めた。…やっぱり美味しい。なんだか嬉しくなる。恐る恐る伸びていた箸も、徐々に勢いを増していき、気づいたときにはもう大きな器は綺麗にスープごと私のお腹に収まっていた。
「美味しいか」
「…うん」
「そうか…」
店主の人は、言葉は強いがどこか優しさがある人だ。見た目はやくざっぽいけど…。五十代くらいだろうか。皺が所々に浮き出ている。私は店主を観察していると、店主はコホンと咳払いをして私にこう言った。
「んじゃ、お代の500円」
「…え」
「ないんか? ほれ」
私は一抹の希望を胸にポケットを弄ると、あらまなんということでしょう。そこにはあったはずの財布がありませんではないか。何故でしょう…な…ぜ――
「あ! ああー!」
そういえば本の店で、財布ごと店員に渡したんだった。この本を買うために…。気づくとラーメンの器の少し離れたところに、『とりあえずケロっと!』だ一環の漫画が置かれていた。本当は買う気はなかった。だが、あのいじめグループに踏まれるのではないかという考えが頭を過った時には、本を持ったまま走っていた。棚に戻すこともできず、いじめグループに捕まるわけにもいかないため、焦った私がとった行動は財布ごと店員に渡すことだった。財布の中身は母から盗んだ千円札があった。母に対する最初で最後の反抗の証だったのだが。まさか中古100円プラス消費税のために千円を手放すとは思わなかった。
…と、私はもしかしたらと反対側のポケットを弄るが、もちろんない。店主が「はあ…」とため息を吐くや、私に聞こえるようにこう言った。
「ないんじゃあ…仕方がねえな」
「え…ええ……」
私は迫りくる店主の手を前に、為す術なく恐怖を覚えたのだった。
明日無とおっさん、二人が合わさった時、一体どんな物語になるのか。早く全部書き終えたいのですが、まさかここまで長くなるとは思いませんでした。すみません。早いとこ明日無には笑顔になってもらいたいものです。
私事ですが、ちょっと週をまたいでしまいましたが、まあいいでしょう。十二月のうちに終わればいいのですから…ふっふっふ…あ、これ十二月に終わらないパターンじゃ…。まあ気を取り直して、次回、いよいよラストですが、ちゃんと最後になるのでしょうか。気になります。