生意気なおまえにいつか恋する予感。
妓夫のおれたちは様々な仕事を分担している。客引きから始り、見世の妓女たちの監視。しかし彼女らを護るのもおれたちの仕事だ。不届きな客には容赦しない。そこに身分は関係ない。それが幕府公認、遊郭という檻だ。
(ったく、厄日だな)
二乃助はわずらわしそうに足下に転がる男を見下ろす。最近入った奴だろう。おれのことを知らないなんて。女顔だと喧嘩を吹っ掛けられたのは久しぶりだった。というのも、吉原に来た当初はしょっちゅう絡まれ、その都度片っ端からぶっ飛ばした。なんでそんなに強いかって? そりゃ喧嘩の場数だな。百姓だったおれは幼い頃から畑を耕してただけあって筋肉はある方だ。だが哀しいかな、まっっったく表に出ない体質だった。もっとムキムキに見えたのなら売られる喧嘩の数も減ってたんだろうなぁ。
軽くたそがれていると足下の男が立ち上がろうとしていたから踏みつけて深く地面に沈める。二度とちょっかいを掛けてこないよう念には念を入れて。
(無駄な時間を食っちまったな)
頭を掻きながら持ち場に戻ったら……なんかいた。
「おい、そこのみのむし。今日は何やった」
縄でぐるぐる巻きされ枝から吊るされている人物に脱力感を覚える。
「いいから早くおろしてください。いたいけなおなごをかんさつするのがごしゅみですか」
「その姿で言われてもウケるだけだからな」
まったく、とあきを下ろす。次いで縄もほどき怪我がないことを確認する。このクッソ可愛げがない禿はおれの二人目の妹だ。名前はあき。今年八歳になった。ついでに言えばおれは二十五になった。
「カナはどうした。つか、最近おまえお仕置き多くないか? 得意の猫はどうした」
「姉さんはおざしきです。は? なぜわたしが姉さんいがいにおべっか使わなきゃいけないのですか。むだなろうりょくはきらいです」
額を押さえる。頭が痛い。あーこいつの言う姉さんってのは叶絵のことだ。カナはこの見世の遊女で、普段は桔梗っていう源氏名を名乗ってる。初めはおれたち二人だった妓楼暮らしだったが、こいつがカナの世話役になってから生活が一変した。賑やかになったのはいいが苦労も絶えない。主におれの。
「で? 今度は何した」
折檻というには甘い仕置きだ。こいつもそこら辺は弁えていて、おいたも手加減していることを知っている。それが自分の為でなくカナを哀しませない為だ。今回もカナが座敷に上がってからの所業だろう。
「姉さんをかってにこうてきしゅに見ているじょろうのかむろがカエルを投げいれてきたので」
はあ? なんつー怖いもの知らずな女郎と禿だ。さては新人だな。
「お返しにヘビをおくっただけです」
「……おう」
可愛い嫌がらせが大惨事じゃねーか。
「わざわざ毒をもたないヘビをえらんだのに、ありがたさを知らない人たちですね」
「一応おれからも手を出さねーよう注意しとくわ。そいつらの為にも」
上も喧嘩両成敗にするか悩んだ上でのこの仕置きだろう。
「おまえももう少し優しい仕返しに留まっとけよ」
優しい仕返しとはこれ如何に。だが二乃助は己の発言の矛盾に気づいてない。この辺りが二人が似ていると言われる所以だ。
「それでははんせいしないでしょう。二度とつまらないけんかを売らないようにてっていてきにつぶさなければ」
「理屈はわかるんだよなー」
舌足らずなガキの発言で無ければここまで頭を痛めたりしない。こいつの精神年齢いくつだよ! と頭を抱えた数知れず。唯一カナの前だけは年相応に振る舞っているが……。
「はぁ、おかげで姉さんが戻るまでひまになりました。まぁ今夜はみすごしに曲をひろうするだけと聞いてますし、ふらちなやからもいないでしょう」
あきは着物に付いた土埃を払いながら言った。そこでふと二乃助の状態に気づく。
「二乃助さん、けんかでもしたのですか?」
「え? ああ、こりゃ返り血だから心配すんな」
「何やってるんですか。姉さんがしんぱいするようなまねはひかえてください」
「そっくりそのまま返すわ」
他の誰かに言われてもこいつだけには言われたくない。しかしカナを無暗に怖がらせるのも得策ではないな。
(とりあえず新しいのに着替えるか)
くそ。あの野郎のせいで余計な手間が増えた。心の中で毒ついていると、あきがじっとこちらを見ているのに気づく。
「どうかしたか?」
「二乃助さんってけんかがおつよいですけど」
それっきり口を閉ざしたあきに首を傾げる。
「なんだ」
「いえ、やっぱりなんでもないです」
ああ、何か訊きづらいことだったか。あきは口は悪いし態度も悪いが、勘がいいせいか変に気を遣うところもある。
「おまえなぁ。おれなんかにも気を遣ってどこで本音を出すんだよ。訊けよ好きなだけ。今更おれが傷つく玉だと思うか?」
「でも」
「でももだってもねぇよ。気になって眠れやしねぇじゃねーか。いいから言ってみろ」
「すみません」
おず、と顔を上げるあきに苦笑する。優しく続きを促せば、あきは戸惑いながらも口を開いた。
「気をわるくするかもしれません」
「聞いてみなきゃわからねーだろ。おれが喧嘩っ早いのが不思議か?」
「いえ、このまちで生きるにはつよくならざるをえないと思うので、二乃助さんがおつよいのもけんかの場かずをかんがえたらわかります」
「お、おう」
相変わらず鋭い洞察力だ。これで八つだぞ? 信じられっか?
「……姉さんが売られてきたいきさつは、ききません。ただ、なぜ、あなただけが、と思って。本当はこれもきくつもりはなかったのですが」
「そりゃ身内が心配だからな」
「わたしも、二乃助さんのたちばなら同じよう姉さんのそばにいます。けんかだって買います。でも、なぜあなただけ?」
あ、もしかして親父たちのことを気にしてんのか。
「大丈夫だ。別にカナは親父たちに売られた訳じゃねーよ」
「……ごりょうしんのことは姉さんからきいています。たいそうやさしかったことも」
「そうか……、その、悪かったな」
カ、ナ! いや、もしかしたらこいつから訊いたのかも……ねーな! 多分話の弾みで出たんだろうが、両親にも実の兄貴にも見捨てられたこいつが何を思ったのか。
「はい? わたしは聞けてうれしかったですよ。世の中にはすてきなごりょうしんもいるんだなって安心しました。だからなおさら……」
「尚更、なんだ?」
「なおさら……ごきょうだいの話をなさらないのがふしぎだったんです」
「……っ」
息を呑んだ。なぜ気づいた。カナは兄貴の死を目の辺りにしている。おれにも話題を振らないほどに傷ついている。おれも、そのことを掘り下げるようなことはしなかった。――兄貴を手に掛けた叔父を殺したことも話していない。
「……いつから気づいてた」
「名前。あなたの名前を漢字で見たときからです。に、のすけ、って、ふつうにかんがえたら次男に付ける名前じゃないかって」
「……」
名前。たったそれだけの情報で。
「あ、その、ごぞんめいなのかも知りませんが、もし生きてらっしゃるのならやまいなのかと。あなただけがおつよいのもそのせいかなと」
「死んだ」
「え」
「いや、ちげーな。叔父に殺された」
「なっ」
「だから殺した。叔父を。おれが、この手で」
今度はあきが息を呑む番だった。ドカリと腰を下ろしあぐらをかく。そして今にも泣きだしそうなあきを見上げる。いや、見上げるほどもねーな。
「身体が弱かったのも確かだよ。けれどおれにはもったいねーくれぇ人が出来た兄貴だった」
きっとあの事件がなければ、今もカナと兄貴と三人で暮らしていたかもしれない。けど、そこにはあきがいない。こいつもいなければ意味がないとか、随分欲張りな己に笑う。それくらい、あきの存在はデカくなってた。
「おれがこえーか?」
言いながら俯く。情けないことにあきの顔が見られなかった。もし怯えた目をしていたら? それが怖かった。話さなければ良かったとも思う。なぜ話してしまったのか。今更後悔しても遅いことはわかってる。
「ちがい、ますよ」
そう言ったあきの声音は泣いているようだった。
「ただ、かなしくて。かなしかったんだろうなって、思って……」
「それだけか?」
驚いた。逃げられるのも覚悟していたのに。思わず顔を上げる。するとあきは怒ったように続けた。
「お兄さまのむねんをはらしたことを、それだけなんておっしゃらないでください」
「いや、そうじゃなくて……俺は人を殺したんだぞ?」
「お兄さまのかたきを討ったことですか? 今の話をきいて、もしそのおじが生きていたらわたしが殺していますよ」
「は?」
こいつは自分が何を言ってるのかわかってんのか。
「……なんですかその顔は。わたしはあなたの妹なのではなかったのですか。ならそのお兄さまもわたしの兄です。兄をかたきを討つのはおかしいことですか?」
胸が熱くなるのを感じた。目も。とっさに右手で両目を覆う。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
「……誰にも……」
ずっと仕舞い込んでいた気持ちが溢れ出す。
「カナにも、話せなかった……話して、怖がられ、る……っ」
駄目だ。唇を噛んで涙をこらえる。すると頭が柔らかいものに包まれた。ーーあきがおれの頭を抱え込んでいた。
「姉さんがこわがるはずがないでしょう。ぎゃくにしんぱいはなさるでしょうが。あなたはわたしたちを見くびりすぎですね」
「……おれのしたことは自己満足だ。……赦されることじゃない」
「だからなんです? じこまんぞく? じょうとうですよ。だって、それしかのこっていないじゃないですか。あなたはやさしすぎますね」
「ハッ、どこがだ。復讐で人を殺める男だぞ?」
「こうかいしているところがです」
「……」
おれはみっともなくあきの袖を掴んだ。
「おれ、は、赦されないことを、した。でも、そうするしか、気持ちが、収まらなかった……っ」
怖かった。話せなかったなんて言い訳に過ぎない。本当のことを話して怯えられるのが、たまらなく怖かった。他人はどうだっていい。カナとあき、この二人にだけは嫌われたくなかった。
「もし、お天とうさまがゆるさなくても、わたしがゆるします」
バッと顔を上げる。きっと情けない顔をしているに違いない。そんなおれの顔を正面から見つめてあきが言った。
「だから、あなたが気にやむひつようはありません。いいですね?」
キッパリと言い切るあきに、だんだん可笑しさが込み上げて来た。さっきまで絶望していたのが嘘かのように。
「おまっ、普通逆じゃねそれ」
お天道さまが赦さなくても赦すって……普通は反対だ。だけど、胸の奥でずっとくすぶっていた靄が晴れていくのがわかった。
「……ありがとう。あき」
泣き笑いでそう告げると、あきは満足そうに微笑んだ。
何となくこの時確信した。
もしこいつが大人になったら、おれはこいつに恋をするだろうと――。




