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第六話

「……はぁ」

 ユラノはため息をつく。何のため息なのか、自分でもよく分からない。

 ブリーデになりたい。その言葉の意味を考えると、どうしてか自然とため息が出てくるのだ。

 血約者ブリーデ。流した血を騎士に捧げ、魔法を顕す魔力の提供者。騎士と共に在る者。

 騎士とブリーデ……、強い絆で結ばれた人たち……。

 プリスとミオを見ていて、思う。騎士とブリーデの関係とは、単に魔法を使うためのものではない、もっと大切な絆の証なのだ。

 魔法を使うには、ブリーデが血を流さなければならない。魔力はブリーデの血に宿るものだからだ。そして、血を流させるためブリーデを傷つけるのは――多くの場合、騎士の役目だ。

 だから、騎士とブリーデの間には、強固な信頼関係が求められる。騎士とブリーデになる際に唱える血約誓詞からもその想いは見て取れる。何より、騎士であるプリス自身がそうだと言っている。簡単には血約するな。ブリーデのことを考えろ、と。

 リンヤも、そのことはよく分かっているはず。

 それでもそう言うということは……つまり。

「……むぅ」

 ユラノにだって答えは分かる。騎士とブリーデの信頼関係が、恋愛関係と同じことを意味する場合はとても多い、らしい。

 考えたことがなかったわけじゃない。いつかはプリスのように騎士になりたいと思っている。でも一人では騎士にはなれない。必ず相手、ブリーデがいる。その候補は誰かと考えると、結局リンヤしか思い浮かばなかった。ブリーデには女性しかなれないからだ。

 もちろん、候補に挙がるということと実際に血約することの間には、天地の開きがある。

 それに、カイの気持ちを聞いてしまった今は。

(カイがあんな風に思っていたなんて)

 いつも控えめなせいか、全然気付かなかった。

 例えばユラノとリンヤが血約したら、カイはどう思うだろう?

 怒る?

 祝福してくれる?

 どっちもありそうな気がした。よく分からなかった。そもそもどうしてカイは、自分の気持ちを打ち明けた上にリンヤのことまで教えたのだろう。

「うーん……」

 色々考えた末――、

 ユラノは結局、今はそのことよりもアカリたちが心配だ、と結論付けた。

 色恋沙汰、いや騎士とブリーデのことだから色恋だけでもないけれど、それよりもアカリたちの置かれている環境のほうが大ごとであると思ったのだ。


 気付けばユラノは三層区の正門をくぐっていた。考え事をしながら歩いているうちに、いつのまにか四層区を抜けてしまっていたようだ。

 晴天だった。空に薄く伸びる雲が、陽光を優しく広げている。風もゆるく、冷たくはあったがけして厳しくはなかった。通りを行き交う人たちの表情も穏やか。吸血鬼の脅威に常に晒されていても、道ゆく人たちの表情は明るい。

 道のずっと先、巨大な壁に隔てられた向こう側に、巨大な城――血約教会の大聖堂が見える。

 血約騎士たちの本拠地でもある大聖堂に、以前はプリスとミオも住んでいたという。三年前の〈ロード・レーヴァの禍〉の後、フリジア警備隊組織に伴ってこちら側、「外の街」に引っ越してきたのだ。そんなプリスはどうも、騎士たちの中では相当の変わり種であるらしい。外の街に騎士は、プリスしかいないのだ。

 陽光に白く浮かぶ大聖堂を視界に納めつつ、ユラノは更に歩く。二十分程歩くと更に内側、二層区に続く門が見えてくる。

 壁の外の街は、四重の壁に囲まれている。

 最も内側――「中の街」を囲む巨大な城壁と、第一壁に囲まれた区画――が「一層区」、以下外側に向かって順に二層区、三層区、四層区と呼ばれている。天上に何者かがいたならば、彼には街が年輪のような姿をしていることが分かっただろう。人々が集まるに従い、街の拡張工事が繰り返された結果だった。

 ユラノたちは街の最も外側、四層区の正門近くに住んでいる。吸血鬼は外から襲ってくる、ならばフリジア警備隊は迅速に動けるよう、最も外に近い場所に居なければならない――そんなプリスの考えが反映された結果だ。

 ユラノは最後の門をくぐって一層区へ入る。向かう先は傷痕断崖近くの、アカリたちの家だ。

 災禍の傷痕として住む者をなくした区画を、ユラノは一人歩いていく。人が住んでいないというだけで、まるで大地まで元気を無くしてしまったような気がしてくる。それくらい寂れた土地だった。

 そんな中ひっそりと、しかし際立つようにアカリたちの家は建っている。

 見た目は他の家々と同じように寂しく、黒々としていて、頼りない。それでも何故かはっきりと分かるのだ。そこに人が住んでいる、と。

 不思議な感覚だった。住人とは家にとっての栄養分のようなものなんだろうか。

「こんにちは」挨拶しながら入口をくぐる。

「あっ、ユラノくん」

 一目で家中を見渡せる。奥の寝台に、キララが一人。

「あれ、今日はひとり?」

「うん。お姉ちゃんは出かけてるよ」

「そうなんだ」

 言いつつ、持ってきた干しぶどうをキララにあげる。さわれないので、つまんだ干しぶどうを手の平の上に落下させるようなかたちになってしまう。それでもキララは嬉しそうに受け取って、口に含み、咀嚼する。飲み込まないまま「ありがほお」と変な声でお礼を言う。

 ユラノはそんな様子を、微笑ましくも切ない思いで見る。

「ところで、何してたの?」

 寝台の脇の卓の上に、石の器が置いてある。つい先ほどまで、キララはその中で何かをすり潰していたようだった。

「うん。これね、お姉ちゃんのお薬」

「アカリの? 傷薬?」

 うんそう、と言ってキララは作業を再開した。いびつな石を、器にこすりつけるようにして薬草らしきものをすり潰している。

「こうやってすり潰して、布に練り込むと、完成」

 んしょ、んしょ、と可愛らしい声を出しつつ、真剣な表情で作業を続ける。

 ユラノは正直、それだけ? と思ってしまった。

 血の恋人の傷を塞いで血を止める、チウ爺でさえ厳しいと言っていた難行を成す妙薬が、こんな簡単に――?

(いや、もしかしたら、薬草がすごい)

 とすれば、もうとっくに薬師に発見されているはずだった。チウ爺だって知っているはずだ。

(どこかにものすごい秘密とか工夫が)

 ありそうには見えなかった。どう見てもただすり潰しているだけだった。

(いや、きっとこの後の工程に……)

「よしっ、できた」

 そう言ってキララはかいてもいない額の汗を拭い、器の中身を布に練り込み始めた。

 どう見ても目分量だった。聞いたこともない妙な歌を、楽しそうに歌いながら作業を進める。

「包帯を兼ねてるんだよ。すごいでしょ」

「う、うん」

 キララは満足そうに、へへっと笑う。そうすると、口の端から大きな八重歯が覗いた。

「これがあれば、怪我しても安心なんだ。お姉ちゃんもすごい助かるって言ってるし」

「そうだね」

「わたし、お姉ちゃんの役に立ってるよね」

「うん、立ってる」

 また、へへっと笑った。

 本当に嬉しそうな顔だった。細かいことがどうでもよくなるくらいの。薬は実際にものすごい効果を持っていて、アカリは助かっていて、キララは満足している。それでいいじゃないか、と思った。

 チウ爺には後で、薬がどういう風に作られていたか教えてあげようと思う。どんな顔をするか楽しみに思えた。本当のことを言ってもきっと信じないに違いない。

「じゃあ、ユラノくん、これ」

 できたばかりの傷薬を、まとめて袋に入れて渡された。

「え、何?」

「お姉ちゃんに持っていってあげて」

 満面の笑みだった。すこし悪戯っぽい感じもした。

「僕が?」

「うん」

「でも」

「でももなにもないの。わたしは動けないんだから! 急がないとだから!」

「う、うん。でも、どこにいるの? アカリ」

「きっと、あそこだよ。えっとね――」


 ユラノは、密集する木々の中――土に埋まり、最上階だけを地上に出した廃教会の入口をくぐる。

 割れた鐘。崩れた壁と天井。その隙間からのぞく広大な青空。壊れた床の隙間から力強く顔を出す無数の花々のものか、辺りはかぐわしい香りに満ちている。

 ヴェールのような陽光がうっすらと空気にかかり、埃か、花粉か、小さな何かがちらちらときらめき舞っている。

 半身が欠けた巨大な聖騎士像の下、赤い髪と目の少女が立って、じっと空を見上げていた。

 廃れた陽光に包まれた痩せた体が、とてもぼんやりとして――

 一度限り、少しだけ優しさを見た以外は、険しい目しか見たことがなかった。今はそのどちらとも違う、細められて、ただ天に向かう目は。

 遠くを見ているような……どこも見ていないような……透きとおっていて、きれいで……だからなのか、ユラノはそんなアカリを一目見て、その場から一歩も動けなくなってしまった。


 風が吹く。赤い髪が躍った。

 止まった時間が吹き散らされたかのように、アカリはこちらを向く――険しい目つき。ちいさな舌打ち。苛立たしげな口調。

「……キララだな。ここのこと、教えたの」

 床を覆う花畑をできるだけ踏まないように、ユラノのほうに歩いてくる。

「あ、うん……キララに聞いてきたんだ。これ、届けてって」

 傷薬の入った袋を差し出す。アカリは乱暴に受け取った。

「ありがとう。帰れ」

 真っ直ぐ目を見て言う。ユラノは苦笑い。相変わらずだった。

 アカリは踵を返すと、また奥のほうへ歩いて行った。

 ユラノが立っている入口と逆側、建物の奥はほぼ全面に渡って壁が無く、外の景色が見えている。まるで巨大な刃物で斬り落としたかのように、唐突に床が終わっていた。その向こうには深い崖が口を開けている。

 上は青空。下は闇。真ん中は向こう岸、二層区のまばらな家々。

「ここ……よく来るの?」

 ユラノは崖の縁まで歩いて行き、下を覗き込んだ。今いる建物――壊れた教会の、下の階の断面が見える。その更に下、崖の底は、陽光があるにもかかわらず見えない。底など無いのかもしれない、そんな幻想を抱かせるほどに濃い闇。

 ――傷痕断崖。

 王の災禍が刻んだ、大地の傷痕。

「帰れって、言ってんだろ」

 五歩ほど隣で、アカリが呟いた。その視線はユラノとは逆に、空を向いている。

 静かな、独り言のような声だった。

 一際強く風が吹く。

 花々がさざめく。

 アカリはそれきり、じっと動かない。口も開かない。本当に帰ったほうがいいのかもしれない、そっとしておいたほうがいいのかもしれない――ユラノはそう思い始めた。

 ……それにしても。

「ここ……きれいだな」

 陽光の中、廃墟に広がる花畑……傷付き人々に見棄てられた場所に、それでも関係なく、こんなにきれいなものが生きている……そんな生死の落差が、余計に心をくすぐるのだろうか。

 ユラノはもうアカリの反応は期待していなかったのだが、意外なことに彼女は口を開いた。

「……そうだな」

「ここに来てるのは……きれいだから?」

 少し間を置いた後で、答えがあった。

「……母さんの、墓なんだ」

「ここが……?」

 アカリの視線が空から、正面に移る。

「この先で、母さんは眠ってる」その先には、深い崖――闇、がある。

「なきがらは、もう無い……。三年前に、吸血鬼に殺された。なきがらは、この裂け目ができたとき、巻き込まれて消えた。きっともうどこにもない。あたしは助かった。けど……」

 断片的な言葉。ユラノには、その意味するところは殆ど分からない。

 ただ、声は空疎で、目付きはうつろで……これでは、まるで。

 まるで、アカリは、ひとりみたいだ――。

 もしかしたら、キララがいても、アカリの心に本当の安らぎはないのかもしれない。

 現実にはたった五歩の距離、それが途方もなく遠く感じる。アカリはここにいないかのようだった。今にも消えてしまいそうに儚く、希薄な少女……。

 だからユラノは、本当にアカリがそこにいるのか確かめたくなった。

「ねえ、アカリ」

 答えはない。だからなのか、ユラノは自分でも意外になるようなことを呟いていた。

「つらくは……ないの?」

 アカリは闇を見つめたまま、小さく呟く。

「……つらくない」

「本当に……?」

「本当だ。あたしは、つらくなんかない」

「じゃあ、どうして――」

 ――そんなことを言ってしまったのは、アカリが頑なで、ついむきになってしまったからか。

「そんなに泣きそうな顔を、しているの?」

 アカリは一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。それはすぐに歪んで、固まる。

「誰が……泣きそうだって?」

 引き攣った口だけの笑顔。瞳は水面に映った炎のように儚く、暗い。

「無理しないで、つらかったらそう言えば」

「はっ」ユラノの言葉をアカリは嘲笑で遮る。

「……いいこと教えてやるよ。こんな言葉がある。『血の恋人は、涙のかわりに血を流す』。だからな、あたしは……泣かないんだよ」

「……何を」

「きれいな涙のかわりに、あたしが流すのは穢れた血だ。あたしはそのせいでずっと避けられてきた。だからな、もう、慣れてんだよ。これが普通なんだ。つらいわけないだろ」

「慣れるだなんて……。僕だって三年前に両親を亡くしてる。だからきみの気持ちは、すこし分かる気がするんだ。あれは」

 そう言うと、アカリの表情が消えた。

「お前はあたしたちとは違う」

 早口で言う。

「お前にはプリスたちがいる。あたしたちには誰もいない。違う。全然、違うだろうが」

「違わないよ。……だから、一緒に」

 ユラノは一歩、歩み寄った。アカリは怯えたように後ずさる。

「近寄るな」

 ゆるく首を振る。その拍子に、アカリはわずか、平衡を失った。

 縁から転落しそうになったアカリの腕を、ユラノは反射的に掴む。

「っ触んな!」

 言われた通りにするわけにはいかない。アカリは振り解こうと力いっぱい腕を振る。

 二人ともに平衡を失って、倒れこんだ。

 気付けばアカリの顔がすぐ目の前にあった。輪郭の曖昧な赤い瞳と目が合う。

 揺れる――濡れた、眼球。

 その向こう側には、どこまでも昏く深い、奈落が口を開けている。

 背中を崖に張り出した床に預け、そこから先は虚空の上に。今にも崩れ落ちそうな床の上に、二人で重なって倒れていた。

 アカリは眉根をじっと寄せ、厳しい瞳で睨んでくる。

「……どけよ」

 今どいたら、二度と触れられないような気がした。あるいはそのまま、落ちていってしまいそうな――。

「……どかないよ」

 そうしてしばらく無言で見つめ合う――アカリは強く、目を閉じた。睫毛が小さく震えている。やがて搾り出すように言葉を吐き出した。

「……お前が、何を、してくれるって言うんだよ」

 どこまでも落ちて行きそうな暗闇を背に、アカリは囁く。

「どうせ、ただ同情してるだけ、なんだろ」

 倒れたときに擦りむいたらしく、アカリの肘から、血が滲み出していた。

「あたしは血の恋人だ。忌み子なんだ。そのせいで親父はどこかに行っちまったし、母さんは苦労しっぱなしだった。あたしがいなければ、キララだってもっとまともな治療を受けられた。今は笑ってるけど、母さんが死ぬまでキララは殆ど笑わない子だった。母さんもあたしの前では笑ってたけど、キララと二人きりのときに泣いてるのを何度も見た」

 肘から溢れて止まらない血が、大粒になって奈落の闇に落ちていった。

「家族って何だ……? お前なら、教えてくれるのか?」

 アカリは震える声で喋り続ける。

「どうして、あたしたちなんだ。あたしが何をした。キララが何をしたんだ。血の恋人とか、病気とか。何が悪いんだ。何が悪かったんだよ。そんなにあたしが悪いことをしたのか。キララは悪い子だったのか。なんで。なんでなんだよ」

 ぽたぽたと……赤い大粒の珠が、またひとつ、暗闇の中へ落ちていく。

「教えてくれよ。誰か、教えてほしいよ……」

 ユラノは何も言えず、ただ見ていることしかできない。

 やがてアカリは、ぽつりと言った。

「……重い。どいてくれ」

 今度は、その言葉を拒否することができなかった。


 アカリはキララの薬を使って止血を済ませると、ユラノに背を向けたまま言った。

「みっともないとこ、見せちまった。……今の、忘れてくれ」

 嫌だ、と思った。だけど声には出せなかった。

「あたしは帰る。ずいぶん長いことキララを一人にしちまった」

「……うん」

 ようやくそれだけを言う。

「お前も、来てもいい……キララが喜ぶから」

「……うん」

 それきり、アカリは歩き出す。ユラノも後を追った。

 歩みは重い。

 ――お前が、何をしてくれるって言うんだよ――

 ――どうせ、ただ、同情してるだけなんだろ――

 アカリの言葉が痛かった。プリスに彼女たちの事情を聞いたとき、何もいい考えが浮かばなかったことを今更に思い出して気が沈む。我ながら、よくも一緒に行こうだなんて言おうとしたものだ。

 自分のしたことは、結局、アカリの傷口を抉っただけだった。

 まるで足元が泥沼のような気がした。


「……はぁ」

 カイは警備隊の家の食卓で、ため息をついた。

(ぼくは、リンヤのこと、好きだよ)

(リンヤは、ユラノのブリーデになりたいんだって)

 何であんなことを言ってしまったのだろう。あれでは何が言いたいのか全然分からない。自分で自分が、よく分からなかった。

(妹みたいなもの、かあ……)

 カイはリンヤのことが、ずっと前から好きだった。ひとりの女の子として。

 明るくて快活。引っ込み思案な自分にはないものを持っている。少し夢見がちで思い込みの強いところはあるけれど、むしろそこがかわいいと思う。

 好き嫌いが激しいところも嫌いじゃない。せっかく作った料理をユラノにあげられたときは、ちょっとだけ、いや実はかなり、かなしいけれど。

 長くて艶やかな白い髪はきれいだし、肌も透き通るみたいだし、淡い翠色の瞳も――要するに見た目もとてもいいと思う。

 特に好きなのは、弓を射る姿。細いけれどしなやかな腕が弦を引いて、真剣な瞳は的を真っ直ぐに見据えていて。立ち姿。力の入り具合。リンヤの一番きれいな姿だと思っている。

 そんなリンヤは、でも、ユラノのことが好きなのだ。

 リンヤにユラノのブリーデになりたいと聞いたとき、あきらめようと思った。お似合いだから。ユラノは剣を手に、街を吸血鬼の手から守っている。リンヤは弓矢でユラノを援護する。ユラノとリンヤは戦いにおいて、お互いをサポートし合う仲なのだ。

 戦う力のない自分には、リンヤを守ることはできない。

 自分は、リンヤの騎士にはなれない。

 だからあきらめようと思ったのに。

(どうして自分の気持ちを、ユラノに言ってしまったのだろう)

 ため息が出る。やっぱりあきらめきれていないのかなぁと思う。

「ため息、三回目」

「うわっ」

 いきなり話しかけられて驚いた。鈴が鳴るような声。リンヤだった。

「どうしたの? 全然気付いてなかったみたいだけど」

「う、うん」

 リンヤはカイの向かいに腰を下ろすと、じっと顔を見つめてきた。まさかリンヤのことを考えていたんだとも言えず、カイは黙り込んで俯いた。頬が少し染まっているのが自覚できる。

 ちらと目線を上げれば、すこし不機嫌そうなリンヤの顔。ユラノがアカリのところに行ってしまったのがいまだに尾を引いてるようだった。当然かもしれないけれど。

 不機嫌そうな顔もいいな、と考えてしまう自分が少しだけ嫌になる。

「……最近、吸血鬼多いなって」

 考えていたことを知られたくなかったので、全然関係のない話題を出す。

「不安?」

 うん、と頷いた。

「大丈夫だよ。スレイヴと戦うのは街の人たちも慣れてるし、プリスちゃんとミオもいるし」

 リンヤから不機嫌そうな表情が薄れて、安心させるような笑顔が覗いている。

「それよりわたしはむしろ、今日のご飯が気になるなぁ。っていうか吸血鬼の話してると吸血鬼が来るっていうもんね。あんまり、気にしないほうがいいよ?」

「そ、そうだね……えっと、今日の晩ご飯は――」

 カイの言葉は、ふいに鳴り響いた音に遮られた。

 慌しく打ち鳴らされる金属音。表が急激に騒がしくなる。

 耳障りな、注意と共に不安を煽る、この音は――

「……吸血鬼だ」

 スレイヴ来襲の警鐘。

 リンヤは血相を変え、既に立ち上がっている。

「行ってくるよ、カイ、おいしい晩ご飯期待してるから」

 プリスがミオと一緒に姿を現し、部屋の中へと声をかけてくる。

「リンヤ! ユラノ!」

「ユラノはいないよ。わたしだけ」

 答えるリンヤの声はいつもより少しだけ冷たい気がした。

「分かった。場所は正門、リンヤはいつも通りサポートに徹してくれ。行くぞミオ!」

「はい!」

 三人は外に出ていった。カイはいつも通りにそれを見送る。

「……行ってらっしゃい」

 そう言って手を振るとき、カイの心にはいつも不安と寂しさがあった。

 彼女たちの無事に対する不安と、一緒に戦うことができない寂しさ。いつもは寂しさよりも不安のほうが強いのに、今は、逆だった。

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