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第五話

二章


 出迎えはアカリの心底嫌そうな顔だった。

「何だよお前。また来たのかよ」

「はは……」

「いいじゃないお姉ちゃん、ええと、いらっしゃいませ!」

 キララの元気な声だけが救いだった。

 ユラノがアカリと出会った日から、何日かが経った。アカリの家を訪れたのはあれ以来初めてのことだった。ユラノとしては毎日でもアカリの様子を見に行きたかったのだが、ここしばらくは壁の補修作業や見張り当番に追われていて時間が取れなかったのだ。諸々の作業がようやく完了したのは、つい昨日のことだ。

 ひとまず、アカリが元気そうなので安心した。傷は悪化したりしていないようだ。

「茶は出さねえぞ」

 アカリは仁王立ちだ。まるで妹には指一本触れさせないとでも言わんばかりの様子。

 そこにキララ、ぼそっと一言。

「というより、出せないんだけどね……」

「う、うるさいな。キララは静かに。ってお前何笑ってんだよ。何がおかしいんだよ」

 半眼で睨まれた。ユラノは自然と浮かぶ微笑を引っ込めようとするが、うまく行かない。

「いや、仲がよさそうだなあというか……。妹さんの前だと、その……」

「んだよ」

「優しい、感じになるんだなぁと」

「……はぁ?」アカリは目を丸くして驚いた。

「何言ってんだお前の目は節穴か。うっせー。うっせーよ」

「お姉ちゃんはやさしいよ」

 寝台の上から掛け布にくるまったキララが言うと、アカリの頬に少しばかり朱が差した。

「キララは静かに」

 キララはにこにこと笑うだけで、答えない。

「えっと、ところで、入ってもいいかな?」「だめだ」「いいよ」

 姉妹共に即答。どうしようかなと思ったものの、結局敷居をまたがせてもらうことにした。どうもアカリは、妹に頭が上がらない様子だったから。

「お前あたしはまだ許した覚えねえぞ、入ってくんな! しっしっ」

「はい、おみやげ」

 差し出した瞬間、アカリの動きが停止した。

「干しぶどう。おいしいよ」

 ミオ謹製の干しぶどうだ。ミオ自身干しぶどうが大好物なので、その出来には並ならぬこだわりが込められている。警備隊だけでなく近隣の住民誰もが認める逸品だった。

「はい、どうぞ」

 袋から何粒か取り出して、固まっているアカリの手のひらに載せてあげる。

 反応がないので、キララにも同じようにしてあげようとした。すると、どうしたことか――

「あっ、えっと……」

 キララからさっきまでの明るい態度は消えてしまい、困惑したような様子で両手をゆるく振ってきた。否定の仕草だ。

「もしかして、干しぶどう嫌いだった? ……っ!?」

 ユラノの腕が、ふいに掴まれた。驚いて干しぶどうを取り落としそうになってしまう。

 腕を掴んでいたのは、アカリだった。真剣な目。ゆっくりと口を開く。

「キララに、さわるな」

 今まで一番低い声、重い口調だった。気圧されたユラノは、半ば無意識に手を引く。

 アカリはユラノとキララの間に割って入ると、じっとユラノを睨んだ。

「ごっ、ごめん……」

「こっ、こっちこそ、ごめんなさい。えっと」

「ちょっと、こっち来い」

 アカリに腕を掴まれた。ものすごい力で出口に引っ張られる。

 外へ出る直前、ちらと見たキララは、酷く悄然とした様子で俯いていた。

 初めて見る姿だった。


「お前、キララのことは知らなかったのか」

 話し声がキララに届かなくなるだろう距離まで連れて来るなり、アカリはそう言ってユラノを問い詰めた。

「噂では……その、病気だって」

「そうだよ。キララは病気だ。でもその分だと、どういう病気かまでは知らないみたいだな」

「……うん」

「伝染るんだよ、キララの病気は。触れると伝染る。それで何人も死んだ」

「えっ」

「だからこんな人気のないとこに住んでんだよ。隔離された場所でな。あたしが血の恋人だからってだけじゃないんだ。もっとも……」

 アカリは顔をしかめると、小さく舌打ちした。

「……とにかく、キララには触るなよ。本当言うとそばに寄るのさえやめて欲しい。だけどな。キララはどういうわけだか、お前のこと気に入ってるみたいだ。お前がこの間来てから少しだけ、キララは明るくなった。だから少しだけなら、キララと話してもいい。少しだけだ。いいか、少しだけだぞ」

 ユラノは頷いた。頷くしかなかった。

 アカリの態度が、とても必死だったからだ。少しでも妹のことを幸せにしたい。楽になって欲しい。そんな想いが伝わってきたのだ。


 アカリたちの家に戻ると、キララは元通り元気よく話しかけてきてくれた。さっきあったことを忘れたかのような態度だった。

 けれど、それが空元気だということはユラノにもはっきり分かった。

 血の恋人。伝染病。

 姉妹を取り巻く環境を知ったユラノは、自分に何かできることはないだろうかと思った。

 単に様子を見に来るだけでは足りない。それだけでは、何も進展しない。

 だからユラノは、まずプリスに相談してみることにした。


「……駄目? どうして?」

 ユラノは、アカリとキララを警備隊で暮らすようにできないかと言ってみた。

 しかし、プリスの答えは、否定。

「アカリが血の恋人だから?」

 プリスはこくり、と小さく首を縦に振る。

「なんで……。血の恋人って、そんなに重要なこと? アカリのどこが穢れてるっていうの?」

「ユラノさん、落ち着いてください……」

 身を乗り出すユラノを、ミオが制する。困ったような表情だった。

「ごめん……。でも、どうして」

「わたしたちは、この街を守らなきゃいけない」

 プリスは静かに語り出した。用意された言葉を読み上げているような、平板な調子だった。

「想像してみるといい。例えば、街の人たちがわたしたちに協力してくれなくなったとしたら、どうなると思う?」

「え……」

 突然言われて、ユラノは少し混乱した。どうしてそんな話をするのだろう。アカリたちの話じゃなかったのか。答える前に、プリスは話を続けた。

「スレイヴがやって来た。警鐘が鳴るからそのこと自体は分かる。だけどどこに、どれだけやって来たのかとか、詳しい情報は教えてもらわないと分からない。何とか人の流れから当たりをつけて、行ってみる。そこでも協力は得られない。街の連中と連携が取れないから、討伐だってうまく行かない。当然、危険が増える」

 プリスの言う通りだった。警備隊が街を守るには街の人たちの協力が不可欠なのだ。騎士であるプリスたちも、敵と相対しなければ力を発揮できない。それに、言うことを聞いてもらえなければ、街の人を魔法に巻き込んでしまうかもしれない。

「アカリを、血の恋人を――忌み子を助けるっていうのは、そういうことなんだ。わたしたちみたいな若い世代には気にしない人間も多いけれど、上の世代にはまだ血の恋人を忌避する習慣が残ってる。そういう人たちは、血の恋人に関わる人間さえも忌避するようになる。だからわたしたちは、アカリを助けるわけにはいかないんだ」

「……そんな」

「本当は」ミオが口を開く。控えめなミオにしては珍しい、たまりかねたような様子だった。

「皆さん、アカリさんのことは助けたいと思ってるんです。でも、彼女を助けるのは勇気がいること。忌み子を助けたら、自分も忌避されるかもしれない。そうなるのが怖いんです。だから――」

「ミオ」プリスが静かに名を呼ぶと、ミオは沈黙した。

「そんなこと言っても、仕方ない。実際にわたしたちはアカリを助けないって、決めたんだから。……それに、問題はアカリのことだけじゃない。キララだってそうだ」

「病気だから……?」

「そうだ。あの子の病気は、本当に危険なんだ。……病気だって分かった当初は、たくさんのひとが、亡くなった」

「でも、チウ爺に頼んで、病気を治せれば。チウ爺はアカリのこと、血の恋人だからって嫌ってないでしょ?」

「もうとっくに診てもらってる。あの子は三年前から今の病気に罹ってるんだ。でも、お手上げだ。触れると伝染るから、詳しく調べることもできやしない。あの子だけうちに連れてきても、できることなんて殆どないんだ。……だったら、アカリと一緒にいさせてやったほうがいい。アカリだけは、なぜか平気みたいだから」

 ユラノは返す言葉に詰まった。プリスの言うことは理解できた。その上で、アカリたちを今の孤立した状況から解放するための考えが、何も思い浮かばなかったのだ。

 プリスは唇を真一文字に引き結んで、テーブルの上、こぶしを固く握り締めている。ミオも俯きがちだ。

 隊長たちだってつらいのだ。単にアカリが血の恋人だから避けているわけでは、ないのだ。

 そのことに思い至ってしまうと、ユラノにはもう何も言うことはできなくなってしまった。


 一晩の間悩んだものの、いい考えが浮かばない。悶々とした気持ちを抱えたまま、今日もユラノはアカリの家に行ってみることにした。キララと話してもいいというアカリの言葉を拠り所にしてのことだった。

(今日も干しぶどう、持って行こうかな)

 昨日、キララがずいぶん美味しそうに食べていたのを思い出す。本当に嬉しそうに、何度もありがとうと言っていた。アカリもまんざらでもなさそうな様子だった。

(ちょっと新鮮だったかも、あのときのアカリ)

 干しぶどうを食べるキララの様子をじっと見ていたので、アカリにも食べる?と差し出してみたのだ。

『い、いらねえよ』

『いいよ、まだいっぱいあるし』

『いらねえっての』

『ほら』

『あ』

 強引に手を取って一粒乗せてあげると、アカリは一分以上は干しぶどうを凝視した後、ゆっくりと口に入れたのだった。

(あのときの、アカリの様子)

 いつも通り険しいままの目付き、だけどどこか困ったような、どうしていいか分からないというような顔。口もとに持っていったまま、固まった指。ユラノの視線に気付いてはっとし、赤らんだ頬。無意識のうち、ユラノの顔に笑みが浮かぶ。

(こっちみんなよ、か)

「……何、笑ってるの?」

 ぎくりとして我に返る。リンヤが立っていた。気のせいか、少し視線が冷たく見える。

「……いや、えっと」視線が泳ぐのが自覚できた。「あ、リンヤ、干しぶどうの袋、どこにあるか知らない?」

「今日もあの子のところ?」

「うん、……え?」

 すっと、リンヤの顔から表情が消えた。

「やっぱり、そうなんだ」

 起伏に乏しい声。

「リンヤ?」

 リンヤは無言で廊下の壁に背を預けた。後ろ手に指を組み、つま先で床を軽く叩き始める。

 ぎし、ぎし。ぎ。ぎし、ぎし。ぎ。

 俯いている。視線の行く先は床、少し目が遠い。

「……リンヤ?」

 変だ、と思った。いつものリンヤとは、様子が違う気がした。

 果たして返ってきた答えは、ユラノの予想の外にあるものだった。

「あの子のところ、行くのやめようよ」

「……どうして?」

「決まってるじゃない、あの子、血の恋人なんだよ? ユラノもみんなに無視されちゃうよ」

「な――」

 一瞬、絶句した。まさかリンヤがそんなことを言うとは思っていなかったのだ。

「それに、すごい怖いじゃない、あの子……」

「待って、リンヤ、なんでそんなことを」

「なんで?」

 急に、リンヤはユラノを見た。真っ直ぐ、目を、見ていた。

「ユラノのことが心配だからに決まってるじゃない。無視されたらどうするの? すごいつらくなるよ? それにあの子だって、いい子には見えないよ。きっとユラノ騙されてるんだよ。だからもう、会いに行っちゃだめだよ」

「騙されてなんかないよ」

「ううん、騙されてる」

「違う。アカリは本当はいい子なんだ。リンヤこそ誤解してるよ。確かに言葉は乱暴だし、目つきもちょっと怖いけど、しっかり話せばいい子だって分かる。リンヤも一度会ってみれば」

「やだ」

 リンヤはわずか、震えていた。

「……やだ。会いたくない。ねえ、ユラノ、行かないでよ。もう行くのやめようよ。血の恋人だよ? どうせ行ったって何もできないよ」

 言葉が胸に刺さる。確かに、そうかもしれないのだ。だけど。

「……放っておけないんだ」

「……え」

「リンヤの言うことも分かる、けど、どうしても放っておけないんだ」

 そう言った瞬間、リンヤの眼がいっぱいに見開かれた。体の震えが少し大きくなる。

「……リンヤ?」

 ユラノはリンヤの肩に手をかけようとした。その手は、ゆるく払われる。

「……ばか」

「え?」

「ユラノのばかっ! 勝手に行って、みんなに無視されちゃえ!」

 大声をあげると、リンヤは踵を返して走り去ってしまう。ユラノは呆然と、その様子を見ているしかできなかった。

「……どうしたの?」

 振り向く。通路の角から、カイが顔を出していた。

「……いや、その」

 事情を話す。アカリのところに行くと言ったらリンヤの様子がおかしくなった、と。

 カイは神妙な態度で聞いていた。聞き終えると、一言。

「ユラノは、リンヤのこと、どう思ってる?」

「え?」

 カイまでおかしなことを聞いてくる。どうしたのか、と思った。

「どうって……どうなんだろう。妹みたいな感じ、かな?」

 妹。聞かれるまで意識したことはなかったが、口に出してみるとそれ以外無いような、しっくりする感じがした。

「うん、妹、だね」

「……そっか」

「どうしてそんなこと?」

「ぼくは、リンヤのこと、好きだよ」

 ユラノは思わず、カイの顔をまじまじと見てしまう。カイは少し赤くなって俯いた。

「好き、って……そういうこと?」

 こく、と頷く。

「そうだったんだ」

 何故かユラノまで胸の鼓動が早くなる。

「いいんじゃないかな。応援するよ。僕――」

「でも」

 ユラノを遮って、カイは言う。絞り出すような声だった。

「リンヤ、前に言ってたよ」

 そのときになって、ユラノはようやく気付いた。

 カイの頬は確かに赤くなっていたけれど、その口元に、微笑みはなかったことに。

「リンヤは、ユラノのブリーデになりたいんだって」

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