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第十一話

 キララが急にユラノを見た。

 表情が抜け落ちている。ついさっきまでは笑っていたのに、今は虚ろな無表情。ユラノを振り見た動きも唐突で不安定感を抱かせる。瞳の輝きが異様に増したように見えた。

 プリスの肌がぞわりと粟立つ。戦慄。

 キララはもう、さっきまでとは違ってしまっている――

 歩き出した。ユラノに向かって。凝視している。歩みは速い。

「キララ……?」

 ユラノは動かない。変化を感じていないのか。いや、様子がおかしいことには気付いている。ただ行動に結びつかないだけだ。

「ユラノくん」

 口調からも情動が感じられなかった。

 手をゆっくり上げていく。

 呟いた。

「――死んでよ」

『隔て、氷晶の囲い――!』

 ユラノとキララの間に氷壁を立てる。一部がキララの手に触れた。赤光、瞬間、消滅。分解の魔力が氷壁を粉々以上の無に還す。後に残ったのは霧の残滓のみ。煙る視界を吸血鬼の紅眼が裂く。

「逃げろユラノ! キララはもう――」「邪魔しないでよ。どうせ――」

「――わたしたちの知ってるキララじゃない!」「――みんな順番に殺してあげるんだから」

 霧を裂いてキララの手が伸び――

「捕まえた」

 身を引くユラノを追いかけて、腕を、掴んだ。

 どろりとした赤光が漏れる。

「……消えちゃえ」

「やめろキララッ!!」

 びくんと痙攣するように、キララは止まった。赤光は霧散。

 アカリがキララの肩に手をかけていた。

「お姉ちゃん。なんで邪魔するの?」

「当たり前だろう!」

 アカリはキララを押し退けるように、ユラノとの間に割って入る。ちらと後ろを振り返り、ユラノの様子を確かめた――掴まれた腕を押さえている。指の隙間からたくさんの血が漏れ出していた。わずかに発動した分解の魔法が、腕の表面を抉り取ったのだ。

 アカリは痛ましそうに目を細める。

「……本気で殺そうとするなんて……」

「それこそ当たり前だよ。ユラノくんがいるからお姉ちゃんはわたしと来てくれないんだから」

 キララは底無し沼のように淀んだ目つきで、アカリとユラノを睨みつける。平板な声との落差、あるいは合致が怖ろしい。

「殺すしか、ないじゃない」

「……キララ、お前」

「どいて」

「駄目だ」

「どいてお姉ちゃん」

「駄目だ。どけない」

 キララは唇を噛んだ。

「……どうしても。ユラノくんが。大切だって、言うんだね」

「大切っていうか――キララ?」

 両手で顔を覆い、呻く。

「――うう」

 喉が破れそうな、割れた呻きだった。それは急速に、震えとゆがみと、大きさを増して広がってゆく。

「う、うぅ、うううう……!」

「おい、キララ」

 伸ばしたアカリの手は、乱暴に払われた。呻きは更に高まり続け「うあああ……」ついに爆発する。

「ぅぁあああああああああ!!」

 拳がアカリを跳ね飛ばす。絶叫あるいは悲鳴、現れたキララの顔は――

 ……キララの顔には、もう、柔和だった頃の面影など欠片もなかった。血の涙を流さんばかりに瞳は見開かれ、絶叫する口は裂けそうなほどに開き切り、全力で握り固められた拳には幾本もの血の筋が浮かび上がっている。

 誰もが凍りつくに十分な、おそろしくかなしいキララの豹変――。

「お前がっ、いるから!!」

 一歩前へ。踏まれた瓦礫が粉々に砕ける。

「お姉ちゃんは!!」

 拳を振り上げる。

「わたしと一緒に、来てくれない!!」

 叩き付けた。

 聞き慣れない異常に不快な音がはっきりと響いた。ユラノが床に転がる。キララは構わず殴る。殴る。呻きながら、嗚咽にも似た絶叫を上げながらそして慟哭の悲鳴を上げながら、何度も何度も殴った。お前が。お前がいるから。消えろ、死ね砕けろ消えてしまえ。

 それはプリスの氷槍がキララを串刺しにするまで続いた。妹の無残な姿を目にしたアカリが悲鳴を上げる。しかしキララの狂態の前では、穴の空いた躯さえまるで些事のようだった。

「ぁああああああっ!!」

 体を貫く氷など無関係だとでも言うように、なおキララは喚き叫んで拳を振るう。氷のせいで動きが阻害され、それはすでに届かない。

「早くユラノを――!」

「がぁあっ!」

 だが脚は届いた。思い切り蹴り飛ばされたユラノの体が、吹き飛ぶ。重さを忘れたように何度か跳ね、転がった。

 その先には断崖が口を開けている。

 誰かの悲鳴。ユラノの体は止まらない。縁から、ずり落ちるように下へと消えた。

 全員が息を呑む。気温が一気に数度も下がったようだった。

 ユラノの姿が消えたことで鎮静したのか、息荒くもキララは黙り、自分を貫く氷柱を見下ろしている。その他には、誰も、何も言わなかった。

「……嘘、だろ」

 沈黙を破ったのはアカリの独白。それがきっかけとなった。

「まだ死んだと決まったわけじゃない! リンヤ、下に行ってユラノを!」

 プリスが下階への階段を示しながら叫ぶ。蒼白な顔のリンヤが頷き駆け出すのと、キララの姿が掻き消えるのが同時。

「アカリも逃げろっ!」

 キララが氷柱のすぐ横に現れる。分解とそれに続く再構成。疵は一切、癒えている。

 アカリはわずかばかり逡巡した様子だったが、結局、リンヤを追って下階に向かった。

 キララはその間、動かない。

「追わないのか」

「……これ以上、邪魔されるのは嫌だから」

 ユラノ相手に見せた発作的な怒りは、もうない。淀んだ目つきと平板な声が戻っている。

「それにどうせみんな殺すんだから、あなたからでも一緒だよ。下に逃げ場はないしね……」

「……そうか。ならわたしは、ここできみを止める」

 プリスはそっとミオに寄り添う。もうプリスたちとキララの他には誰もいない。

 静謐。

 いつの間にか空は曇っていた。凍える風がプリスたちの髪と、床の割れ目から顔を出す花々をなぶる。

 ざ――、

 どこからか響く葉擦れの音は、わずかに揺れた割れ鐘の音に掻き消された。

 プリスはミオにだけ聞こえる声で囁く。

「ミオ」

「はい、……プリス」

 いつもの呼びかけ、そして応え。しかしいつもより覇気に欠けた声だった。

 目の前に立つ少女を見る。ナイティを消滅させた強大な力、ユラノを殴りつけ蹴り落とした狂気、いずれも今までのキララのものではない。彼女は自分をキララと認識しているようだが、目の前の少女は決して今までのキララそのものでは有り得ない。

 キララは言った――レーヴァは死んだと。しかし、違う。レーヴァは死んでなどいない。王はキララと混じりあって一つになってしまったのだ。そのせいでキララは狂ってしまった。全員を殺すと言い放ち、そうするだけの力もある。そして、実際にユラノが――。

 ……もはや、彼女は、敵なのだ。

 ならば、やらなければならない。そう決めたのだ。襲い来る吸血鬼を撃滅し、全ての人を守り抜こうと。例え騎士吸血鬼ナイティだろうと、ロードだろうと関係ない。

 目の前に居るのは敵。排除すべき敵。

 プリスは――迷わない。

「相手は王。いつものわたしたちでは敵わない。だから――やるよ、ミオ。ずっと準備してきた、わたしたちの奥の手を」

 応えるミオの言葉にもまた、迷いはない。

「はい、プリス。覚悟は、できています」

 プリスは頷き、短剣を握る手に力を込めた。そしてミオの腕に刃を入れる。いつものように断固たる態度で、いつものようにミオのことを想い、そしていつもよりも遙かに深い傷を刻み付ける。

「う……」

 ミオが痛みに顔をしかめ、溢れる血が腕を伝い流れ落ちる。儀式短剣に血が通う。

 すでに繋血は完了している。だからその言葉はもう要らない。

 プリスは告げる。たった一語で彼女たち二人の覚悟と絆を象徴する、決死の血約起動句を。

「――〈晶血リイン・ノット〉」

 赤い血の色をした閃光が、視界を塗り潰した。


   +


 あいつが落ちた。そう思ったら居てもたってもいられなくなって、キララを置いて下の階に向かってしまった。

 もしかして、もう――そう思う度に体の中身がひっくり返りそうなほど気持ち悪くなって、その気持ちを必死で押し殺す。でも、どれだけ殺しても、黴のようにこびりついて離れない。

 キララは……あいつを、殴っていた。泣き叫びながら何度も。

 あたしのせいだ。

 あたしが、お前はキララじゃないなんて言ったからだ。

 とてつもない後悔がアカリの胸を刺す。もう少し早く気付いていれば。もっとキララをよく見ていれば。心の底からそう思う。

 あたしは、なんて酷いことを。

 あれは吸血鬼なんかじゃない、確かにキララだ。でなければ拒絶されて、あんな風に泣き喚いたりはしない。取り憑かれていたというのは本当なのだろう、だからきっと、そのせいでおかしなことになってしまっただけなのだ。

 キララの言った通り、キララは吸血鬼じゃない。まだ、ここにいる。

 でも、どうすればいいか分からない。

 ――あいつのこと、気に入ってると思ってたのに。

 暗い気持ちになる。お前がいるからお姉ちゃんがわたしと一緒に来てくれないとキララは言った。あいつがいることで、もしかしてキララに寂しい想いをさせていたんだろうか。そんなつもりは全然なかったのに。吸血鬼のせいでおかしなことになってるとはいえ、殺したいほど憎むなんて。……まさか本当に、死んでは……いないよな。

 そんなことを考えながら、アカリは階段を下る。

 三年前の決戦で滑落し、土の中に埋もれた教会。その際に崩れたのか階段は至るところが割れ、瓦礫に埋もれていて簡単には降りられない。もどかしさと焦りが募る。先に階段を下りていったリンヤという子はもう見えない。もうずっと先に行ってしまったようだった。

 苦労して元二階だった階層に辿り着いた。そこも最上階と同じように壁の一面がごっそり消滅し、崖半ばの景色が見えている。他の壁も割れ、そこからは周囲の森からのものだろう土や植物の根が侵入していた。天井からはおびただしい数の根や蔓のようなものがぶらさがり、足元は瓦礫と花々に埋め尽くされている。上階以上にむせ返るような花の香りが満ちていた。

 自然の蹂躙を受けた階層の奥、崖の縁に、白い長髪の少女が蹲っている。駆け寄って背中ごしに向こう側を覗き見た。

 あいつがいた。花々の絨毯の上に横たわっている。

 酷い有様だった。腕は青黒く腫れ、ぐったりとして動かない。腹の防具が一際大きくへこんでいて、キララに蹴られたことがはっきりと分かった。顔だけが奇跡のようにほとんど無傷。腕の具合との落差が激しく、逆に痛々しかった。

 リンヤがさめざめと涙を流しているのに気付いて、ぞっとする。

 だが、胸の部分を良く見ると、ゆっくりと上下していた。――生きている。

 安堵。それが思っていたよりもずっと大きくて少しだけ戸惑った。誤魔化すように呟く。

「生きてたんだな」

 そう呟くと、リンヤがこちらを見た。

 泣きながら睨んでいた。たじろぐ。自分は何か悪いことを言ったのか?

「あなたのせい」

 涙と怒りで震えた声。

「あなたのところに行っていたから、ユラノはこんな目にあったんだ」

 すさまじい衝撃に襲われる。――確かに、その通りだ。

「なんで、ユラノがこんな目に遭わなきゃならないの。何にも悪いこと、してないのに」

 答えられない。彼女の言う通りだった。あいつは何も悪くない。あたしが全部、悪い。

「なんで、ユラノは……こんな子のこと」

 そう言い捨てると、リンヤはアカリから目を逸らした。そしてとても優しげな手つきでユラノの頭を抱え上げる。

「……生きててよかった」

 胸に頭を抱いて、泣きながら呟いた。

 ――きっとこの子にとって、あいつはとても大切な人なんだろうな。それを、あたしは。

 リンヤはそのままじっと目を閉じ、動かなくなった。

 奪おうと……してしまった。大切な、命を。

 ……ここに居ては、いけない気がした。

 強烈な冷気が降りてくる。上で何かが起きている。アカリは静かに天井を見上げた。


   +


 キララを前にし、プリスは思う。

 ……本当はずっと、悩んでいる。

 ミオを傷つける度にもうこんなことはしたくないと強く思う。自分の体を傷つけるよりも、ずっと痛い。騎士としての誓いに背くことはすなわちミオに対する裏切り、だから断固たる態度でミオの腕を切るけれど、本心ではもうこれ以上毛先ほどの傷もつけたくはなかった。


「……何、それ」

 プリスとミオの周囲を幾重にも赤い糸が取り囲んでいる。それらが放つ閃光が、一面を赤黒い血の色に染め上げている。

「繋血、じゃない?」

 キララの呟きに、プリスは心中でその通りと答えた。

 晶血したことにより、プリスの魔力はミオの体を通じ、プリス自身に還ってきている。いまや儀式短剣には、プリスとミオの二人分――並の人間には到達し得ない魔力が満ちていた。

 プリスの額を一筋の汗が伝い落ちる。反動は、予想以上だった。体の中から大切なものを引きずり出されるような感覚。気を抜けば意識は閉じ、倒れてしまいそうだ。

 これが、魔力消耗の感覚――。プリスはある種の感慨を持ってその異様を体験していた。

 ミオはいつも、こんな感覚を味わっているのか。傷の痛みの上に身がよじれるようなこの不快感。ミオはどれだけ辛い想いをしてきたのだろう……自分で自分の魔力を操れたなら、どんなによかったことか。

 だが、それはできない。自分で自分の魔力を利用すれば、自閉ループに陥った魔力が際限なく消耗され、術者は死に至る。それを防ぐために敢えて一度、ミオの体を通しているのだ。

 ミオを見る。立っているのもつらそうだった。肩で息をしている。通常の魔力消耗の上、さらにプリスの魔力圧を受け、ミオの負担は常よりも大きなものになっているはずだ。

 目が合うと、微笑んでくれた。

 信頼。

 ミオの頬を一筋の雫が伝い落ちる。それは汗なのか、それとも――。

 その様子がプリスを誓いに駆り立てる。誓いの形は呪文の詠唱。

『我ら霧氷の乙女フリジア、ここに願い詠う』

 それはどこか、絶望に似ている。


 ――吸血鬼を傷つけるのに、一切の躊躇など存在し得ないと思っていた。

 それは、間違いだったと知った。


 呪文詠唱の始まりを受け、キララは動く。

 赤い糸に劣らぬ強烈な輝きを灯した両の眼が、霧を裂いて迫ってくる。

 だが、プリスの魔法が発現するほうが早い。

『生霧――降霜――氷結――閉鎖。〈凍眠に誘え〉……』

 霧が爆縮する。キララの肌表面に霜が降り、急速に凍結する。

 キララの動きが鈍る。それはただの霜ではない、活力を奪い魔力を封じる魔法の呪縛だ。

 キララの両手から暗く粘り気のある光が漏れる。分解――魔法を破壊する光が、しかし、唐突に消え失せた。

「分解――できない?」

 キララの顔に焦りが生まれる。晶血の魔力量が、キララの分解能力を上回る魔法強度を生み出しているのだ。そのことに気付いたキララは更なる魔力を掌に込めるが、届かない。

 極低温の霜は降り積もる。


 今自分が魔法を放っている「敵」は、誰なのか。本当は分かっている。どれだけおかしくなっても、見た目が吸血鬼でも、彼女はかつて一緒に暮らした――キララなのだ。


 巡る赤い糸からこぼれた魔力が煌々と散る。赤い血の色をした粉雪が、霧に混じって消えてゆく。

 詠唱は続く。

『咲き乱れよ氷花。枷となり、仇を繋げ――』

 キララの前後左右から無数の氷柱が生え出し、彼女目掛けて襲い掛かる。それは伸びるに従い枝分かれし、可憐な花のように咲いていく。敵を貫く氷花の群れ。

「――っ!」

 キララは掌を突き出して〈分解〉による防御を試みるが、呪縛の霜がこれを許さない。氷花の群れがキララの体を縫い止めた。


 吸血鬼は残らず破滅させると誓った。大切な人を、吸血鬼から守ると誓った。

 キララは吸血鬼になってしまった。そして、ユラノを傷つけた。

 でも――。


「ミオ……。陣を」

 ミオは無言で頷き、背を向けた。もう喋るのも辛いのかもしれない。プリスは一瞬だけその小さな背を見つめる。躊躇っている暇はない。短剣を持つ手を握り直す。

 こんなに、儀式短剣は、重かっただろうか。

 刃をミオの背にあてがう。震えた。目を閉じたくなる。そんな逃げは許せないと、自分で自分を叱咤した。

 何もかもを抑え込んで、切る。ミオが呻く。その声を聞いて手が震える――歯を食いしばって、耐える。真っ二つになった衣服の向うにミオの背中が露になる。そこに描かれた複雑な図形に、傷が新たな一線を加えていた。プリスは呟く。

「〈起陣〉」

 ミオの背直上に赤い輝線が疾り、凄まじい速さで図形を描く。直径二メルほどの円形をベースとし、複雑精緻な幾何模様と言霊を組み合わせた魔法陣。ミオの背中に、ミオ自身の血を用いて彫り込んでおいた、魔力増幅回路概念が形を顕す。

 輝く赤い魔法陣はゆっくりと回転し、空間は血色の粉雪に煙る。

 響くのは慟哭のような、呪文の詠唱。


 でも、守るべき人が吸血鬼になってしまったときは、どうすればいいのだろう?

 答えは出せなくて、だから結局、誓いに従うしかできない。

 

『停滞の音に耳を澄ませ、始まりと終わりの闇へと還れ。臨零の揺籃、深淵に至る子守唄――』

 ミオが気を失い、倒れた。

 気が遠くなる。呪文の連唱によって凄まじい魔力量が引きずり出され、消費されてゆく。

 キララは氷の花畑と極低温の霜に阻まれ動けない。ただ両眼はますます輝きを増している。まるで募る怒りと狂気を表現しているかのようだった。


 ……どうしてこんな気持ちでミオを傷つけないといけないのだろう。

 本当はこんなことをしたくないのに、誓いだからと、自分に言い聞かせていたのに。


 視界はぼやけて赤一色。降り散る魔力の粉雪、キララの眼、二人を結ぶ赤い糸。そしてミオの血。血、血――。

『――永遠の静謐に汝は至る。安らぎは我が手の中に在り』

 ようやく――ようやくだ。

 終わる。

『あらゆる痛苦の……、停止と、解放を!』

 呪文の詠唱が、完了する。

『〈アンテ=セルヴィの永久揺籃〉……!』

 空間が凍結する。氷花もキララも巻き込んで何もかもが閉ざされる。すべてを飲み込み閉じ込めて、刹那の姿に止め置く氷のゆりかご。

 その色は、赤い。

 キララの体が赤い氷に飲み込まれる。氷の花に貫かれ、身を乗り出し何かを叫ぶ形相のまま、キララは止まった。

『産声の前に』

 凍りついたキララの頭上に巨大な氷の十字架が顕現する。その色もまた赤い。逆巻く霧と粉雪を、まるで従えるようにその身にまとう。

 これを落とせば。

『墓標を』

 王は、滅びる。

 ――しかし。

「キララぁっ!」

 割り込み。赤い、髪をした、少女。両手を広げ、赤い氷の前に立ち塞がり、落ちてくる十字架をじっと、見つめた。

『……立てろ』

 止められない。氷のゆりかごに囚えられたキララめがけ、赤い十字が落ちていく。

 突き立つ。地を揺るがす轟音。衝撃で天井が崩れ、剥がれた建材が降り、土煙が巻き起こる。

 光が消えて世界が色を取り戻した。プリスとミオを結ぶ赤い糸も、ミオの背に浮かんでいた魔法陣も、何もかもが消え失せた。

 アカリたちの姿は煙に紛れて、見えない。

 プリスは力尽き、儀式短剣を取り落とす。膝をついた。そして気を失ったミオに重なるように倒れ込む。

 呪文は確かに完成し、正しく発動した。しかし――。

 土煙が晴れる。その向うに現れたのは氷に閉じ込められたキララと、へたり込んでそれを見上げるアカリの姿。

 そして、赤い氷十字。

 それはキララを逸れて、すぐそばの床を深々と穿ち、斜めに傾いで立っている。

 それを見た瞬間、プリスの意識は途絶えた。

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