第15話 明日死ぬように生きろ
「フィギュアゲットならずですみませんでした……」
「気にしないで、崎山君の気持ちが嬉しかったから。それにこれは私自身の問題だもの」
二人掛けソファーでガックリと肩を落とし項垂れるオレを、聖子先生は優しく励ましてくれた。
「生徒に愚痴を聞いてもらう先生なんてダメね。教師が向いていないなんて弱音を吐いている場合じゃないわ。もっとしっかりしなきゃ」
「でもオレ、本物の聖子先生の方が好きですよ」
「え?」
「だって、本物の聖子先生は刺すような視線もチョークも飛ばして来ないじゃないですか。肉食動物のテリトリーに侵入した草食動物みたいに戦々恐々としなくていいから安心ですよ。むしろ、毎日こうだったら学校生活も楽しいなあなんて。あ、ペラペラと失礼なことをごめんなさい」
「ちょっと嬉しいかも」
たった今オレたちが悪戦苦闘していたクレーンゲーム台に新たなチャレンジャーが現れたのを遠目に見ながら、聖子先生は「ところで」と話を切り替えた。
「崎山君、元気ないわよね。何かあったの?」
「えっ」
今度はオレが驚く番だった。聖子先生が抜け目ないのか、オレがわかりやすいのか。ちょうど第三者に愚痴りたいと思っていたところだったから、よくも悪くも真之助がいないのを好機と捉え、全部ぶちまけてしまおう。
「実は友達とケンカしたんですよ」
「芦屋君と?」
「別な友達です。ずっと昔からの」
「幼なじみね」
「そんなとこです」
オレは曖昧に言葉を濁した。
「オレが悪かったんです。友達の優しさにつけ込んで甘えすぎていたんですよ。だから、あいつの心を土足で踏み荒らすようなことを言ってしまった。反省してます」
「だったら、仲直りした方がいいわ。私も大切な幼なじみがいたんだけど。ほら、前に話したジンジャークッキーのレシピの子。私が余計なことを言ったまま、もう二度と会えなくなっちゃったのよ。永遠のサヨナラってやつね」
「亡くなったんですか?」
「ええ。ある日、突然死んでしまったの。若いキミには実感がないかもしれないけれど、人生って呆気ないものよ。驚くほど儚くて短い。まるで咲いては散る花の一生のよう」
そう言った聖子先生の瞳にはこの世の悲しみという悲しみが映り込んでいる気がした。もしかすると今日の喪服姿も幼なじみの死と無関係ではないのかもしれない。
「だから、崎山君もその幼なじみ君と話せるときに話した方がいいわ。『明日死ぬように生きろ』って、偉人の名言があるじゃない。後悔は明日に残せないわ」
「その通りですね」
頷きながら、じいちゃんと真之助のことを思い出していた。
ケンカしたまま、永遠の別れになってしまったじいちゃんと、守護霊だからいつでも傍にいると思っていた真之助。
どちらの関係もオレが二人の優しさに甘え、あぐらをかいてしまったが故に自らの手で壊してしまった。
丁寧に築き上げたつもりの絆でも、人はたった一度の過ちで大切な人を簡単に失ってしまうのだ。じいちゃんとの関係修復は無理でも、真之助にはまだ謝れる。
クレーンゲームに挑んだチャレンジャーが、たったワンコインでフィギュアを手に入れてしまったのを複雑な思いで見届けたオレたちは、それぞれの午後を迎えるため、この場で解散することにした。
「そういえば、聖子先生。BLの雑誌は買わなくていいんですか」
「シッ! 声が大きいわ」
「一度、腐女子に聞いてみたかったんですけど。性癖が目覚めるきっかけってあるもんなんですか?」
「私の場合は『初恋のキミ』の影響ね」
聖子先生が大学生だった頃の話だ。あるコスプレイベントに参加するため、三キロ減量の目標を掲げ、桜花川の河川敷でジョギングを始めたそうだ。そのとき出会ったイケメンに運命を感じ一目惚れした聖子先生は、六年が経った今でも「初恋のキミ」と崇め奉り、初恋を拗らせているらしい。名前も知らぬ初恋のキミに出会うため、休日は河川敷のジョギングをかかさないという。
「その初恋のキミとBLはどんな関係があるんですか?」
「そ、そ、それはまた今度詳しく話すわねっ。月曜日に学校で会いましょう。遅刻しないでね」
何を思い出したのか聖子先生は頬を真っ赤に染め上げて、謎を残したまま店を出て行ってしまった。
オレは溜め息を吐いた。
聖子先生に好きな人がいるのならば、友人Aは失恋確定ではないか。やっぱりこの話を友人Aにするのはやめよう。気の毒すぎる。
友人Aの恋心に深い同情を寄せながらTETSUYAを出ると、どこから降って湧いたのか、左右から少年たちがヌウッと現れた。まるで影の間を移動する妖怪のようだと思う間もなく、突然腕を掴まれたオレは相手を睨みつける。
「いきなり何すんだよ……って、誰かと思えば上野の取り巻きたちじゃねえか。おい、上野はどこに行ったんだよ?」
「ギャーギャー喚くな。騒ぐとブッ殺すぞ」
「ブッ殺すだって?」
生憎、見た目通り物騒なことを平然と口にするようなやつらと貴重な土曜日を共有する時間はない。
オレは拘束された体と休日の自由を取り戻すため腕を振り払おうと試みたところ、案外簡単に取り巻きたちの力が緩んで確信した。
これは逃げ切れる。
こちとら伊達に遅刻常習犯をやっているわけではないのだ。脚力には人一倍の自信がある。
一度隙を見せたら最後、二度とオレを捕まえられると思うな──と脳内で自由の女神が民衆を率いたとき、みぞおちに強烈な痛みを感じ、ハッとした。
「うっ……まさか」
さっき食べたみたらし団子味のソフトキャンディーにあたったのかと驚いたが、顔を前に戻すと、怖い顔をした上野が目の前にいた。
ああ、上野のパンチを食らったんだな、と気がついたときには、あれよあれよと体中から力が抜け出し、路上で酩酊したサラリーマンのようにその場に崩れ落ちた。
ぐにゃぐにゃと正体を失ったオレの体は、目の前に停車している黒塗りセダンのトランクに荷物以下の乱暴な扱いで押し込まれてしまった。
遠のく意識の中、こんなことなら天地無用とプリントされた面白Tシャツを着てくればよかったなと後悔したがもう遅い。
車は発進してしまった。
いつまで油を売ってやがる、真之助!!!!!
最早、自由の女神の姿はどこにもない──。




