第8話 助太刀いたす!
しかし、オレの期待に反して豊原さんに顕著な変化は見られなかった。
「会う約束はしたよ。わたしは待ち合わせ場所のファミレスまで行ったんだから。でも、直前でキャンセルされてしまったんだ」
「キャンセルされた?」
「ファミレスに着いた途端、タカちゃんから電話がかかって来たんだよ。『家族が家出をしたから会うのは今度にしよう』とね」
それを聞いて二の句が継げなかった。
その日、家を飛び出し、じいちゃんに断りの電話をかけさせたのはオレだからだ。じいちゃんは家を飛び出したオレを探すため、外へ出たきり、翌朝遺体となって発見された。
「葬儀のときに奥さんにも話したんだけど、タカちゃんから電話をもらったときに、家族を探しに行くと言ってきかない彼を止めればよかったと後悔しているんだよ。あ、もしかして──」
豊原さんはそこで言葉を切ると、眼鏡の奥に好奇を帯びた閃光を走らせた。
「もしかして家出した家族って、君のことかい?」
「ええ……まあ」
「ああ……悪いことを聞いたね。タカちゃんを死に追いやったことを気に病むなと言っても難しいだろうけど、あまり自分を責めてはいけないよ。君はまだ若いんだ。タカちゃんの分もしっかり生きて。それが供養になるってもんさ」
豊原さんは居たたまれなくなったのか、元気を出せとばかりにオレの肩を二度三度と叩いて、立つ鳥のように席を立った。
あとに残されたオレはというと、呆然自失としてフロアの幾何学模様を眺めていた。
じいちゃんを殺したのはオレなんだ──。
邪気のない好奇心ほど胸をえぐるものはない。かさぶたになりかけていた心の傷が再び血を流し始めた。
痛い。痛い。胸が痛い──。
視界がぼんやりと霞み、握りしめた拳の上に涙がポタリと落ちた。
悔やんでも悔やんでも変えることのできない過去。じいちゃんの死の真相を知れば、つらい過去にほんの少しでも光を見い出せるかもしれない。もう一度、人生を生き直したいと思えるかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、過去と向き合ったのが浅はかだったのか、早くも打ちのめされてしまった。
「オレにはもう無理だよ……」
腰を折り、太ももに顔を伏せる。人目を憚らず、情けない嗚咽が口からこぼれそうになったとき、
「しっかりしろ、真!」
いつになく厳しい真之助の叱責に驚き、オレは顔を上げた。
「真の孝志君への思いはその程度だったのか? いつまでも甘ったれるな、真実から目を逸らすな。貴方は、孝志君の死と関りがあるかもしれない男をみすみす逃そうとしているんだぞ!」
頭から水をかけられた思いがした。
オレはすぐさま飛ぶようにして豊原さんのあとを追いかけた。
品のある紳士然とした背中が見える。
「関係者以外立ち入り禁止」と張り紙のあるドアの前。
すでに半身を滑り込ませている豊原さんに渾身の一声をぶつける。
「待ってください!」
博物館には似つかわしくない最大の声量に、ぎょっとして豊原さんが振り返った。
「突然大声を出してどうしたんだい。心臓が飛び出すかと思ったよ」
「まだ話は終わっていません!」
オレは息を整えてから、豊原さんを見返した。
「三年前の5月22日の夜、豊原さんは何をしていましたか?」
「いきなり何の質問だい?」
「いいから答えてください。三年前の5月22日の夜は何をしていましたか?」
オレの咎めるような強い口調が気に触ったのか、仮面に亀裂が入るかのように豊原さんの柔和な顔がピクリと痙攣した。
「三年も前のことを覚えているはずがないよ。わたしはもう年なんだ、一昨日の夕飯のメニューもうろ覚えなんだからさ」
自虐的に笑っているつもりだろうが、不自然に引きつる唇からは、居心地の悪さが見え隠れしている。
「夕飯のメニューを聞いているんじゃないんです。アリバイの確認です。その日は豊原さんにとって今でも忘れられない日になりましたよね?」
「どういう意味かはかりかねるな。わたしのアリバイなんて調べてどうしようって言うんだい」
「三年前の5月22日、浅間坂で戸高莉帆という女子大生が交通事故で死にました。その事故現場で怪しい男が目撃されているんですよ」
そう目撃証言をしたのは日下部さんだ。
「怪しい男?」
「豊原さんじゃありませんか? 戸高莉帆が死んだ現場にいたのはあんたですよね」
オレはほとんど確定事案のように決めつけた。豊原さんが口を開く前に一気に叩く。そうすれば、矛盾点や綻びが見つかるかもしれない。
「オレ、じいちゃんがただの転落死だとは思っていません。莉帆の事故とじいちゃんの死は必ず繋がっていると思っています」
わずかな空白を挟んでから、豊原さんが唸るように放った低音が空気を揺るがした。
「じゃあ、何かい。君はわたしがタカちゃんを殺したとでも言いたいのかい?」
「そうは言ってません。ただ、豊原さんは真実に一番近い居場所にいる、そう思っています」
「曖昧な言い回しだね。生憎、離婚して独り身のわたしには、三年前に限らず昨夜のアリバイだって証明してくれる人物なんかいないんだよ。それともわたしが容疑者という証拠でもあるのかい?」
今なら追い風が味方をしてくれる。このまま、押せば勝てる。そう確信したオレは最後の勝負に出た。
「証拠ならあります。オレはじいちゃんの手帳を持ってるんですよ。手帳には、この二つの事件の関連性がはっきりと書いてありました」
これは半分はったりで半分真実だ。手帳には『莉帆の交通事故死』と『じいちゃんの転落死』を繋ぐ糸口など書かれていなかった。だが、二つの事件は確かに関連しているとの三田村さんの証言がある。
さあ、豊原さんはどう出るか──。
「ほう、手帳が」
またしても表情に主だった変化は見られなかった。
「手帳を証拠品として警察に提出しますよ」
「勝手にすればいい」
手に入れた金銀財宝が一夜明けてみると、実は何の価値もないガラクタだった──海賊物語のテンプレートとも言えるストーリーだが、豊原さんの奇妙なまでの落ち着きぶりは、オレの手中にあるお宝の真贋を見抜いているほど自信に満ち溢れていた。
二束三文にもならない手帳を証拠品として警察に提出したところで何の効力も持たないぞ、と嘲笑うかのように。
そうなってしまっては鎧のようにまとった気勢も呆気なく剥がれ落ち、オレはこれ以上、反論する言葉も見つからなかった。
「そう言えば」
沈黙が形勢逆転を告げ、豊原さんがドアノブに手をかけたとき、忘れ物を取りに戻ったような顔で振り返った。
「タカちゃんは珍しい植物を育てていなかったかい? 例えば絶滅危惧種とか」
「知るわけ……ないじゃないですか」
「そうかい」
遠くを見るようにして細められた目が、オレをその場に止まらせた。
まるで、地縛霊になったかのように一歩も足が前に出ず、豊原さんをそれ以上追い詰めることは愚か、追いかけることもできなかった。豊原さんの方が一枚上手だったのだ。
完全なる敗北だった。
足の震えはやがて全身に巡り、オレは怒りと悔しさでどうにかなってしまいそうだった。




