第6話 ストックホルムの風は吹く
『名物 桜パフェ 喫茶室有ります。郷土博物館』
濃厚な生クリームの甘みが口いっぱいに広がるスイーツと、酸味と苦みがほどよく調和したコーヒーを飲みながら、幸福感に浸りたい。
そんな願望を叶えてくれる作戦会議の開催場所を探して街を彷徨ったオレたちは、いつの間にか桜並木市立郷土博物館へやって来ていた。
桜並木市立郷土博物館はその名前の通り、古代から近代まで桜並木市の歴史を俯瞰し学べる施設だ。隣の桜並木城址公園に併設しており、小学校の遠足の定番コースにもなっている。
「懐かしい。小ーのとき以来だから、十年以上振りじゃん。よし、入ろうぜ」
「え、入館するの? 喫茶室じゃなく?」
真っ直ぐ博物館入口に向かうと、真之助が意外そうな声を上げた。
「だって、入館料は無料だぜ」
「作戦会議はどうするのさ?」
「どうするもこうするも、三田村さんと連絡が取れないんだ。時間を潰すしかねえだろ」
「ふうん」
真之助は気乗りしないのか、不満げな表情を露にしながらも渋々といった感じで付いてきた。
江戸時代のサムライのくせに新しい物好きの性分だから郷土博物館は退屈なのだろうが、お付き人のいるところに守護霊ありだ。
文句を言うなら、鉄の掟で縛られる守護霊という仕事を選んだ自分に言うべきであって、オレを責めるのはお門違いなのだから、堪忍して付き合ってもらおう。
館内は時代の古い順から歴史を辿るように資料が展示されていた。土曜日だというのに入館者は疎らで、ほぼ貸し切り状態だからのんびり見学できそうだ。
旧石器時代から戦国時代まで見終え、いよいよお目当ての江戸時代だというときになって、白髪に黒縁メガネがよく似合う初老の男が話しかけてきた。
「熱心だね、学校の課題かな?」
「え、まあ、そんなとこです」
まさか真之助の生きた時代に興味があるとは言えず、曖昧に言葉を濁すと、男はにっこり微笑んだ。
「わたしは郷土史研究家でね、博物館でボランティアをしているんだ。君さえよければ、解説してあげるよ」
男は上背があるため、自然と見上げる形になる。首から下がったネームプレートに何気なく目をやると「豊原」の名前が飛び込んでくる。
豊原敦彦――捜していた男だ!
危うく驚きの声を上げそうになったところで、後ろから真之助に口を塞がれた。
「シッ。様子を見よう。うっかり余計なことを言って、孝志君の孫だと悟られてはいけないよ」
「ん、ゴゴゴゴ……」
天然なのか故意なのか、鼻まで塞がれてしまっては息ができない。じいちゃんの事件を解決する前にオレが死んでしまうではないか。すかさず真之助の腕をタップするのと同時に息苦しさから解放され、酸素が肺へと戻ってくる。
「どうしたのかな?」
「い、いえ……持病の喘息の発作が。でも、もう大丈夫です」
オレは適当な嘘をついて豊原という男の申し出を喜んで受け入れた。
「──で、これは初代藩主佐久良 賢親が家康公からもらった手紙でね。家康公が体調を崩したときに、左久良氏から贈られた見舞いの品が大変気に入ったと、感謝の気持ちが綴られてあるんだ。そして、家康からの返礼がここに展示してある一輪挿しでね。左久良氏は桜の花を好んで飾ったと言われているんだ」
「へー」
豊原さんは展示物をひとつひとつ丁寧に説明してくれる。授業なら迷わず眠りの世界へシフトするところだが、不思議と睡魔は襲って来なかった。豊原さんの解説が上手いせいだろう。思わず聞き入ってしまう。
「桜並木藩はね、元々外様大名だったんだけど九代藩主からは譜代大名扱いになったんだ」
「譜代と外様って確か、関ケ原の戦いで家康側に付いたのが譜代で、敵側に付いたのが外様ですよね」
すると、豊原さんが惜しいという顔を作った。
「正確に言うと、元から徳川の部下だったものたちを大名として各地に配置したのを譜代大名と言い、対して元々各地の大名だったものたちを外様大名と呼ぶんだよ。だから外様大名でも関ヶ原の戦いで東軍にいた大名たちもいる」
「知りませんでした。告白すると実はオレ、日本史が苦手なんです。でも、豊原さんの説明を聞いたら興味が出てきました」
「嬉しいね。ボランティア冥利に尽きるというものだよ」
豊原さんは次のコーナーは日本史が苦手な人も楽しめると教えてくれた。
「ここは日本刀の展示でね」
そこには鞘や柄といった一切の装飾品が外された裸のままの日本刀が三振り、刀掛けに飾られてある。
「歴代藩主や、藩士つまり家来が愛用していた刀だよ」
「へー……」
その中の一振りの脇差しにオレは目を奪われた。
「きれいですね……」
「お目が高いね。脇差の中でもやや小ぶりで小刀に分類されるものだけど、非常に良いつくりでね。よくご覧なさい。沸が桜の花びらの文様になっているんだよ」
「本当だ」
息を飲むほど美しいという表現はこの刀のためにあるのだろう。細い三日月のようなスラリとした刀身に桜の花びらがいくつも浮かび上がっている。
まるで月夜に散る桜──。
「さらにこの刀の拵もまた素晴らしくてね。ほら、下段の刀掛けにあるだろう。縁頭や鍔も見事なデキなんだが、特に鞘は格別だよ。一見、黒漆塗りの鞘の角度を変えて見ると、ほら。散らした無数の青貝がきらめく仕掛けになっているんだ」
「ターコイズブルーの天の川ですね」
「青貝微塵塗りと言われる技法さ。初めて見たときは圧巻だったね。こんな美しいものがこの世界に存在しようとは、生きいてよかったと心底思ったものだよ。決して大袈裟ではなくね」
「青貝って何ですか?」
「螺鈿の原料となる貝のことだよ」
「なるほど」
螺鈿と言えば、寿々子さんの簪も螺鈿細工だったことを思い出した。江戸時代、高級品であった螺鈿細工は庶民よりも富裕層に人気があったため、「寿々子さんは上級武士の家柄だね」と真之助は言った。
きっと、この刀の持ち主も寿々子さんに負けず劣らず上級武士の家柄なのだろう。生まれがいいだけじゃなく、刀のセンスまでいいとはかなりモテたサムライに違いない。
そんなオレの思考が顔に出ていたのか、豊原さんが笑った。
「この刀は、江戸時代は家老職にあった子孫の方から当博物館に寄贈してもらったんだ。ほら、代議士の滝尾浩一郎先生だよ」
「滝尾……ぁあ!」
どこかで聞いた名前だと思ったら、莉帆が命を落とした現場近くに立てられていた政治の宣伝用看板にあった名前だ。藤木さんを庇うため、莉帆が現場で怪しい男を見たと嘘をつき、滝尾浩一郎の特徴を挙げたのは記憶に新しい。
「若い君でも滝尾先生は知っているだろ。あのお宅は旧家でね、今じゃ内閣のメンバーだ。地元の誇りだと喜ぶ人も多い……と、話がそれてしまったな。次のコーナーに進もうか、百姓一揆だ」
──大方、展示物の説明を聞き終わり、場に解散の空気が滲み始めた頃、オレは豊原さんにお礼を言った。
「勉強になりました。さすが『桜並木市の歴史』の著者ですね!」
「よく知っているね」
「実は学校の図書館に豊原さんが書いた本が置いてあって、借りたばかりなんですよ」
「恥ずかしながら好きが高じて出版したんだよ。学校には何冊か寄贈した覚えがあるけど、君はどこの学校なのかな?」
「梅見原高校です」
「ああ、確かにあそこには寄贈した覚えがある」
オレは人のいい顔で笑う豊原さんに好感を持ち始めていた。人当たりのよさは当然のこと、オレを高校生だと知っても別段驚いた様子を見せなかったことが新鮮だったからだ。「単純だなあ」と真之助は呆れるだろうが、善人と悪人の判断基準があるとすれば、オレを中学生と見誤るかどうかがボーダーラインだ。
そのとき、スマホが震えた。三田村さんかと思いきや、画面には「友人A」の名前がある。あとでかけ直そうと思い、ポケットにスマホを戻したとき、
「あれ、何か落ちたよ」
豊原さんが拾ってくれたのは学生証だった。スマホを取り出したときに一緒に落ちてしまったようだ。
豊原さんは学生証を凝視してから、「おやっ」という表情を覗かせた。
「君……崎山君って言うんだね。ひょっとして、おじいさんは警察官じゃなかったかい?」
そう問われ、オレは顔から血の気が引いていくのがわかった。
「何をやってるのさ。バレちゃったじゃないか!」
真之助に非難されるのも当然だ。
どうしてこんなときに限って普段は持ち歩かない学生証を持ってきてしまったのか。
オレは気まぐれな自分を呪いたい衝動に駆られた。




