第4話 無機質なロミオとジュリエット
桜並木市立病院は崎山家から割と近い場所にあるため、オレたちは徒歩で出かけた。
今日は土曜日のため外来は休診。
市立病院は一昨日、加奈が通り魔の模倣犯に怪我を負わされたあと、脳の精密検査のために訪れたばかりだったが、総合病院特有の木で鼻を括ったような殺風景な雰囲気がどうも苦手だ。
オレと真之助はエレベーターに乗って入院病棟の4階で降りた。目的の病室はナースステーションで訊ねるとすぐに教えてくれた。
「五島翔」のネームプレートが出ている個室を見つけるとオレは得意満面で勝ち誇ってみせた。
「やっぱり存在するじゃねえか。五島翔!」
そして、生前の因果か日下部さんに猜疑心を抱いたままの真之助を強く非難する。
「『五島翔が本当に存在するか確認しよう』だって? 聞いて呆れるぜ。幽霊じゃあるまいし、五島翔は生身の人間。日下部さんがいくら恋敵だったにせよ、信じてやるのが漢ってもんだろ」
「だったら人生の先輩としてひとつアドバイスするけど、真はお人よしだから、あんまり人を信用しすぎない方がいいよ。じゃないと真みたいなタイプはいつか騙されて痛い目を見るんだ。将来はハニトラとか結婚詐欺の餌食になるに決まっている」
真之助は罪悪感を一切感じていない顔でサラリと言ってのけた。
「決まっているって、お前はいつ守護霊から預言者に転身したんだよ。それにいくら痛い目に遭おうとも、人を信じられない誰かさんよりはマシだね」
「私は親切のつもりで言っているんだ」
「それは親切じゃなくてただの自己満だぜ。本物の親切っていうのはな、真之助と日下部さんの仲を取り持ってやろうとしている、このオレのことを指すんだからな」
強い口調でドヤ顔を決めると、看護師の冷たい視線を集めていることに気がついた。
ここは天下の総合病院。ミイラ取りがミイラになるではないが、日下部さんに会いに来たはずなのに下手をすれば精神科を勧められるではないか。そうなってはオレがあまりにも不憫すぎる。
さっさと日下部さんに会ってお暇しようと、ドアの取っ手に手を掛けたとき、室内から話し声が漏れ聞こえてきた。
日下部さんが五島翔に声をかけているのかと思いきや、
「もう帰ってくれないか」
聞き覚えのある声にハッとし、オレと真之助は串に刺さった団子のように縦一列に並んだ。ドアの隙間からそっと室内を覗き込む。
すると、そこには日下部さんではなく──風紀委員の坂本の姿があった。
ベットにはカーテンが半分だけ引かれているため、オレが覗いている位置からでは眠っている患者の顔までは見えないが、それが五島翔なのだと見当がついた。
そして、五島翔を見舞っている坂本樹生の端正な顔。
坂本と五島翔はどういう関係なのだろうと疑問に思ったのも束の間、その疑問を吹き飛ばす猛烈な台風が忽然と現れた。
「まだ怒っているの?」
鈴を転がすような、すっと耳馴染みのいい声。聞き間違えるはずがない。三年一組の喧騒からいつも耳を澄ませては探していた声。成瀬さんの声だ。
「樹生のこと、放っておけないの。それっていけないこと?」
成瀬さんはカーテンの死角から現れ、坂本の横に立った。髪で顔が隠れているため、表情は窺い知れないが、声音はひどく柔らかい。
「安心して。私は樹生と一緒にいるから。ずっとずっとだよ」
オレたちが覗き見ていることなどいざ知らず、成瀬さんは坂本の背に腕を回し、そっと抱きしめた。その壊れてしまいそうなシャボン玉を優しく丁寧に包み込む抱擁にオレは全てを理解した。
坂本と成瀬さんは付き合っていたのだ。
だから、寿々子さんは「お付き人の傍を離れてはならない」という守護霊界の掟があるにも関わらず、駅前公園にいたオレたちの前に姿を現すことができた。
恐らく、あの日も坂本と成瀬さんは五島翔の病室で会っていたに違いない。その証拠に駅前公園と市立病院は目と鼻の先にある。
「成瀬さんの後ろには坂本君がいる」と言った平沢の証言に俄然信憑性が出てきた。
坂本は一体何を考えているのだろうか?
友達の恋愛事情を盗み見することに全く罪悪感がないと言ったら嘘になるが、好奇心に抗えるはずもなく、オレたちはドアの隙間にさらに意識を注ぎ続けた。
「成瀬」
坂本は成瀬さんの抱擁をそっと解き、低い声で恋人の名前を呼んだ。
互いの瞳を覗き合い、甘く優しい言葉で愛を囁くのだろうと決めてかかると、
「自惚れるのも大概にしようか。オレは成瀬に失望しているんだよ。もう今日で終わりだからオレたち」
坂本が無慈悲にもリストラを切り出す上司のように別れ話を切り出したから驚いた。
「嘘!」
「嘘じゃない。成瀬はもう必要ないんだ」
抑揚のない坂本の物言いは無機質な病室の冷たさを際立たせ、オレの背筋を凍らせる。
「樹生がそんなことを言うなんて一体どうしたっていうの? 私たち、何年も一緒に上手くやってきたじゃない」
「だったら、長い付き合いの成瀬はオレが失敗や面倒事も大嫌いなこと、知っているよな?」
「それは──」
成瀬さんは言葉を詰まらせると、縋るような目で坂本を見上げ腕を揺すった。
「二度とあんな真似しないからお願い許して」
「チャンスは何度も与えたつもりだよ。それなのに成瀬は期待に応えてくれなかった」
「ご……ごめんなさい。もう一回だけやらせて、今度はヘマなんかしないから!」
「遅い。成瀬には期待しないことに決めたんだ」
「樹生ッ」
「お前が嫌いなんだ。二度とここには顔を出さないでくれ」
「──ぃや……ぁぁぁ!」
成瀬さんがその場で泣き崩れた。
懸命に押し殺した嗚咽が小さな悲鳴となって廊下へ漏れ出すと、不思議なことにオレの耳は成瀬さんが発するSOSのメッセージと自動変換してしまう。
崎山君、助けて──。
いくら成瀬さんにこっぴどく振られたばかりとは言え、好きだった人が傷つく姿を目の当たりにすれば、当然のように怒りが湧き起こってくるのが人情だ。
「坂本の野郎……!」
成瀬さんの好意を無下にするとは許せん。乗り込んで行って坂本を一発ぶん殴ってやろう!
メラメラと燃える嫉妬心に火をくべながら、ドアを開け放とうとしたとき、グッと後方に体が引っ張られた。抵抗する間もなく、羽交い絞めにされる。
真之助がオレを邪魔しているのかと思い、自由になる首だけで振り返ると、警備員に捕まえられたのだとわかった。
「怪しい中学生だ。こっちに来なさい!」
「オレは中学生じゃねえよ!」
フロアにかかとを突き立てるようにして抵抗したものの、警備員の力は思いの外強い。オレはズルズルと引っ張られながら、助けを求めるため宙へ手を伸ばした。
「離せ、オレは坂本をぶん殴らなきゃならないんだよ。おい、真之助。笑ってないで助けてくれ!」
「ドンマイ」と真之助が肩を揺らしながら笑う後ろで、無情にもドアは閉まり、病室がどんどん離れていく。
警備員の事務所へ連行される最中、図書室で成瀬さんが本を読んでいたことを思い出した。確か海外の劇作家が書いた恋愛悲劇だったはずだ。もしかすると成瀬さんには坂本との恋が終わりを迎える予感があったのかもしれない。
「無機質な病室、ロミオとジュリエット、恋の終わり……か」
呟いてみたが、「眠り続ける通り魔」と「会えなかった守護霊」に結び付く単語が見つからなかった。




