第20話 託されるもの
日下部さんと別れ、オレたちはようやく帰途に就いた。
ぼんやり歩きながら今日はいろいろなことがあったなと思いを馳せる。
聖子先生を巡って醜いバトルを繰り広げていた友人Aと宮下が、妙なことで一致団結し仲良くなったり、桜並木駅で不良仲間に殴られていた上野を助け、一緒にバスに乗り込んだお陰で、莉帆の母親に会うことが出来たり。
さらに莉帆の母親からは、大ちゃんの意外な正体を教えてもらい、三田村さんと安藤さんからはその大ちゃんの失踪を知らされた。
そして、通り魔の被害者に会うために事件現場を訪れたところ、真之助の古い知り合いである日下部さんと出会い、通り魔の名前に辿り着き――ついには莉帆が亡くなった浅間坂に藤木さんらしき男と、もうひとり男の姿があったことが判明。男は元警察官で年齢などじいちゃんと共通する点もあったが、日下部さんは別人だと断言した。
莉帆、藤木さん、元警察官の男。
三人は一体何のために浅間坂にいて、莉帆は車道に飛び出し、命を落とすことになったのか?
まだまだ、謎は多いがいくつもの点と点が出現し、一本の線になりつつある。事件の全貌が明らかになるのも、時間の問題のはずだ。
「しっかし、最大の謎は女心だよな。莉帆は自分を死に追い込んだ藤木さんを庇おうとしたってことだろ」
「ヤキモチ?」
「別にそういう訳じゃねえけど」
藤木さんと一緒に事故現場にいた元警察官の男を、オレのじいちゃんだと勘違いした莉帆が、事件の真相を隠そうとして、嘘の目撃証言をしたのではないか。一瞬、そんな風に感じてしまった自分が自惚れていたようで恥ずかしいのだ。
「私には莉帆ちゃんが真を庇ったように感じたけどな」
「ないない。だって、あいつ藤木さんのことが好きだったんだぜ。庇わない理由がないって。何を根拠に言っているんだ?」
「守護霊の勘ってやつ」
「なんだよ、それ」
真之助は人差し指でこめかみを指しながら、「私の勘はよく当たるんだ」とおどけて見せる。
「莉帆ちゃんはね、真から孝志君の死が、通り魔事件と繋がっていると聞いて後悔し始めたんだよ。死の間際、藤木さんのために『通り魔に追いかけられた』と救急隊員についた嘘のせいで、通り魔事件と孝志君の事案が未解決のままになっているのではないか、とね」
「お前、名探偵気取るところあるよな」
妄想の大風呂敷を広げる真之助にオレは苦笑するしかない。
「推理の腰を折るようで悪いけどさ、オレは莉帆から母親と藤木さんに遺言を伝えて欲しいと頼まれたんだぞ。真之助の言う通り、莉帆が嘘を後悔していたんなら、最初からオレに真相を打ち明けていたはずじゃねえか。なのに、なぜ遺言なんだよ?」
公園脇の自販機まで来ると、真之助は足を止めた。この公園はいつか真之助の正体を見破ったあと、ブランコを漕ぎながら、あの世の仕組みについてレクチャーを受けた場所だった。
「真が一生懸命だったからだよ」
「オレが一生懸命だったから?」
何のこっちゃっと、つられてオレも立ち止まる。
「元々、莉帆ちゃんは真に真相を話すつもりはなかったんだ。でも、真の孝志君を思う気持ちに心が揺さぶられた。大好きな藤木さんのことを庇いたい気持ちと、真に真相を打ち明けたい気持ち。二つの気持ちが拮抗し合って、僅かに天秤が傾いた。それが真相を打ち明けたい気持ちの方だったんだ」
「それお前の妄想だよな」
「だから、守護霊の勘だって」
真之助は野生動物が「感覚こそが全てなのだ」とでも言うように誇らしげだ。
莉帆本人に聞いたわけでもないのにどうして臆面もなく自信満々でいられるのか不思議だが、真之助の勘に頼ってみるのも悪くないと思ったのは、
大ちゃんのこと全部許すよ――。
風に耐える花ような強さを秘めた莉帆の表情に、どんな意志が込められていたのか、真之助の目にはどんな風に見えていたのか気になったからだ。
「莉帆ちゃんが真相を話さなかった理由は、彼女のプライドが許さなかったからだよ。だって、『藤木さんを現場で見た』と言ってしまえば、彼が犯人だと認めているようなものだし、それでは大好きな大ちゃんを裏切ることになってしまうからね。だから、彼女は遺言という形を取ったんだ。遺言が藤木さんに伝わり、彼がすべて正直に告白すれば、莉帆ちゃんの事故死と通り魔事件が無関係だと判明すると考えたんじゃないかな。真を庇うために藤木さんの良心に賭けたんだ」
なぜ、藤木さんは、彼を慕っていた莉帆を見捨て、現場から立ち去ることができたのか。
藤木さんが無事に戻ってきたら、真っ先にぶつけなきゃならない疑問だ。
「とにかく莉帆ちゃんは自分の遺言が、孝志君の事件を解決する手掛かりになればいいと思ったんだ。真は託されたんだよ」
「託された、か」
再び、日下部さんのことを思い出す。
『翔が目を覚ましたら、再び同じ事件を起こす。その前に逮捕して欲しいのだ。懇意にしている刑事に伝えてくれよ。必ずだ』
「日下部さんにも託されたしな」
「そうだね」
日下部さんとは明日、市立病院で落ち合うことになっている。植物状態の五島翔を見舞うのだ。
「思い返してみるとオレたち託されてばっかりじゃね? 寿々子さんにも成瀬さんのことを託されたし、三田村さんにもじいちゃんの手帳を探すように託された。オレたち、託されたり、頼まれたり、そんなのばっかだな」
「お人よしの誰かさんが全部引き受けるからだよ。託されついでに私も頼みがあるんだけど」
「わかってるって。生きたいという望みを捨てないこと、だろ」
「まあ、それもあるけど……」
語尾をフェードアウトさせながら、真之助は頼りなげに指を持ち上げた。
「これ飲みたい」
「おしるこ?」
業者の怠慢なのか、消費者の熱い要望なのか、どうして五月下旬におしるこがあるのか理解不能だが、指は自販機のおしるこのボタンに触れている。しかも、あったかいやつだ。
「お前、オレが金欠だってわかってて言ってるよな」
「知ってる? 甘いものはHPを回復させるんだよ」
「幽霊にHPがあるわけねえし!」
「じゃあ、MPの設定に変えるからさ」
「お前のMPが増えれば、オレのMPが減るんだよ」
「お! なかなか上手いこと言うね。座布団一枚」
「LPゼロの幽霊のくせに調子にのってんじゃねえよ」
これまでだって真之助は、ファミレスやカフェなど複数の目がある場所で「スイーツが食べたい」だの「パフェが食べたい」だのと無茶な懇願をしてはオレを困らせてきた。
もちろん、オレ意外の生者に真之助の声が聞こえないのだから、その度に断固無視の姿勢を貫いてきたわけだが、今回も通例に倣って、けんもほろろに一蹴しようとしたところでハッとした。
「仕方ねえなぁ、今回だけだぞ」と態度を軟化させたのは、他人の目がないことに気がついたからだ。ここは無人の夜の公園。
ガタンゴトン。
時期外れのおしるこが自販機から産み落とされた。触れるのも遠慮したいほど熱せられたおしるこを真之助に投げてやる。
「熱いからな、気を付けろよ」キャッチした真之助に言う。
「大丈夫、幽霊だもん」
「あ、そうだったな。あとで仏壇に供えておいてやるよ。冷めちまうけどな」
邪気のない満面の笑みに、オレも思わず顔がほころぶ。
「そう言えばさ」
オレにはひとつ気になっていることがあった。
日下部さんと別れるとき、日下部さんが真之助の背中に声をかけ、呼び止めたのだ。
『崎山様、あの方にはお会いになりましたか?』
『いいえ』
オレには、この「あの方」が二人が取り合った女を指すのだろうなとすぐにわかった。
真之助の表情は動かなかったが、日下部さんは罰が悪そうに視線を漂わせ、左手で、ないはずの右腕をぐっと掴んだ。
『左様でござるか。謝っても取り返しがつかぬことと存じておりますが、すべて拙者の責任でござる。申し訳ござらん。拙者が翔を守るのは懺悔の気持ちもあるのです』
二人の会話が符牒のようで意味をなさなかったが、真之助にも水に流せない恋愛があるのだなと意外に思った。
「案外、お前もモテなかったんだな」
オレが「同志よ」と親しみを込めながら言うと、
「モテ、ナカッタ?」
片言を話す外国人のようにおかしなイントネーションが返ってくる。
「すっとぼけたって無駄だぞ。日下部さんと真之助はライバルだったんだろう? お互いにひとりの女を巡って戦ったんだよな。バチバチ火花を散らせてさ」
「面白い顔をして何を考えているのかと思ったら、突拍子もないね」
「恥ずかしがるなよ。若いうちは失恋のひとつやふたつ、しておいた方が人間の器が大きくなるんだぞ」
「どの口が言うのさ」
「未練がましいやつめ」
オレは肘で真之助の脇腹を突くようにして茶化した。いつも飄々としている真之助にも弱みがあったのだ。からかう材料を手に入れた。そう思ったらニヤニヤが止まらない。いつもやり込められているのだから、少しくらいやり返したとしても罰は当たらないはずだ。
もっと昔話に焦点を当てようとしたとき、スマホの着信音が鳴った。邪魔者の介入にオレは舌打ちをする。相手は友人Aだ。
「平沢に会ってきたぜ」
ドヤ顔が目に浮かぶような口調だった。何か収穫があったのかもしれない。
「で、平沢は何だって?」
「ああ、それがさ」
聖子先生の依頼を受けた友人Aと宮下は、平沢の家を訪れた。「会いたくないと言っている」と伝えてきた母親を押しのけ、ほとんど強引に平沢の部屋に押し入り、欠席した理由を問いただしたのだと言う。
「全部、聞いた。財布を盗んだ成瀬を庇うために盗った財布をオレのカバンに入れたことも、真を屋上から突き落とそうとしたことも。泣きながら謝ってた。ごめんって」
「許してやったのか?」
「当たり前。つうか、オレ、なんとも思ってねえし」
「だと思った」
「お前もそうだろ?」
「当たり前」
「だろうと思った」
ひとしきり笑い合うと、友人Aが引き締まった声を出した。
「でさ、こっからが本題なんだけど、平沢は成瀬に脅されて、オレのカバンに盗った財布を入れたと言ったんだけど。どうやら成瀬は、裏にいる別なやつの指示で動いているらしいんだ。平沢の話だと、学校に行ったらそいつに殺されるから登校しないんだと」
「別なやつ?」
初耳だった。
「聞いて驚くなよ」
「うん」
空白の間がやけに長く感じられた。友人Aが躊躇っているのだと気がつく前に沈黙は破られていた。
「風紀委員の坂本樹生だ」
友人Aの隣にいるのか、宮下の発狂に近い叫び声が聞こえるが他人事のように鼓膜を滑り落ちていく。
「オレは坂本に利用されたんだ。持ち物検査はあいつの計画通りだった!」
もはやオレには意味がわからない。
十八歳の誕生日まであと二日――。




