第19話 グラビトン
「日下部さん、事故現場で目撃した男たちについて、もっと詳しく教えてくれないか?」
親の仇でも見る顔をしていたのか、日下部さんに「何を怖い顔をしておる」と窘められたが、この状況で余裕を取り繕えるほどオレは器用じゃない。
「どんな些細な情報でもいいんだ」
「相当、切羽詰まっているように見えるが、おぬしたちは一体、何をしておるのだ。おぬしたちが事件を解決したい理由と何か関係があるのか?」
日下部さんは怪訝そうに目を細めながら、左手を顎へ移動させる。
「あんたが目撃した二人の男はオレの知り合いかもしれないんだ。しかも、元警察官の方はオレの――」
情報を得るためには、まず自ら手の内を明かさなければならない。オレは日下部さんに持っている手札のすべて見せることにした。
「元警察官の方はオレのじいちゃんだと思う。じいちゃんは三年前に死んだんだけど、通り魔事件を担当している刑事さんに言われたんだ。『じいちゃんの死が通り魔事件と関係しているかもしれないから再捜査をしたい』って。なあ、その元警察官は崎山孝志という名前なんだろう?」
日下部さんの答えを聞き逃してしまうのでは、と心配になるほど、心臓が騒々しい音を鳴らす。ボリュームをミュートにしたいところだが、こればかりは自分の意思ではどうにもならず、オレは深呼吸をしながら、ささくれ立った神経を落ち着かせ、言葉を待った。
「安心せい。拙者が見たのは、おぬしの祖父上殿ではござらん。別の男だ」
緊張の糸が切れるとは、正しくこの状況のことを言うのだろう。
日下部さんのたった一言で、身体中の筋肉という筋肉が緩み、膝が立たなくなってしまった。その場に尻をつくと、地面の冷たさが制服越しに伝わってくる。
「おぬしはヤワな男でござるな」
顔を上げると、日下部さんの分厚い手のひらが差し出されていた。
「本当はお付き人を守る意外に霊力を使ってはならんものだが、手を貸してやろう。これは他言してはならん。もちろん、崎山様も内密にお願いしますぞ」
日下部さんの冗談を受けて、真之助が微かに表情を崩すと、軽やかなステップを踏んだ晩春の風がするりと吹き抜けていった。心なしか真之助と日下部さんを取り巻いていた不穏な空気も薄まったように感じた。
「話を戻すが、その男の名や翔との仔細は言えんぞ。守護霊はお付き人に関する個人情報を気軽に話してはならぬ定めがあるのでな」
オレが立ち上がるのを待ってから、日下部さんは少し厳しい口調で言った。
守護霊界の掟は絶対だ。暗にそれを示したかったのだろう。
守護霊がお付き人のプライバシーについて守秘義務があることは、寿々子さんの件ですでに勉強済みだ。
彼ら、もしくは彼女らの口は、長年カギを開けることがなかった錆びた金庫よりも、強固で頑丈であるから、男の正体については、これ以上新たな情報を得ることはないだろうなと諦めかけたとき、
「だが、おぬしの祖父上殿に関することならば、いくつか話せることがある」
「本当か!」
パッと視界が開けた。
「うむ。今、名前を聞いて驚いた。実は崎山孝志殿のことを拙者も存じておるのだ。崎山と聞いてまさかとは思っておったが、崎山様に所縁のある御人であったとは何たる奇縁。実は翔が事故を起こす前に会っていたのが、おぬしの祖父上殿なのだ」
「ちょっと待て」
いきなりの展開に脳が空転する。
「あんたのお付き人とじいちゃんは知り合いだったのか?」
日下部さんがさも当然だという風に頷いた。
「翔が中学の頃だった。コンビニで万引きをしてな、駆けつけた交番の警察官が孝志殿であったのだ。その頃の翔は家庭問題もあり情緒不安定であったのだが、孝志殿は翔を叱り、励ましてくれたのだ。お役所仕事とはかけ離れた血の通った対応に拙者はいたく感激したものだった。そのときの翔も拙者と同じ気持ちでな、心にしっかと響くものがあったのだ。街中で孝志殿と顔を合わせることがあると、翔は照れ臭そうに頭を下げたものだったわ」
穏やかな表情で夜空を仰いでいた日下部さんの顔ににわかに翳りが差した。月が雲に隠れたのだ。照明を落としたかのように辺りも闇に包まれる。
「孝志殿は翔が通り魔であることに気がついておられたのだ。三年前のあの日、突然、家にやって来た孝志殿は翔を喫茶店に誘うと、そこで自首を勧めてこられた。翔はすっとぼけておったが、自らが一目置く男に言われたのだから、自首をするべきか否か迷いに迷った。そして、迷いを振り切るため、ひとり車で街を流しておったところ、女子が飛び出してきて、あの事故が起こった」
「じいちゃんはそんなこと、一言も話してくれなかった」
「口の堅いお方だったからこそ、翔も信頼しておったのだ。祖父上殿がもし生きておられたならば、翔の凶行を止められたかもしれん。残念至極でござる」
じいちゃんが死ぬ三日前の様子を思い出そうとして目を閉じてみる。
残念なことに網膜に映し出されたのは、何の代わり映えもしない日常のひとコマだけだった。
ガーデニングが唯一の趣味で、日中はほぼ庭で過ごしていたじいちゃん。
オレが家に帰れば、「お帰り」と作業着姿で出迎えてくれ、「この植木鉢には何々の種を蒔いたのだ」と詳しく説明してくれたものだが、園芸に興味がないオレは、これからプレイする予定のゲームのことを考えながら、聞き流していた。
もっと真剣に話を聞いていれば、じいちゃんの異変に気がつけたのではないか。後悔が怒涛のように押し寄せてくる。
「じいちゃんはその事故の三日後に死んだ。日下部さんなら、どうして、じいちゃんが死ななければならなかったのか、見当がついているんじゃないのか?」
「それは神のみが知ることであって、拙者の守備範囲ではござらん。守護霊はお付き人が見聞きしたものしか知らんのだ。そういうものなのだ」
「私も立ち入ったことを訊いてもよろしいでしょうか?」
真之助がひょっこり右手を挙げる。
「元警察官の男と一緒に現場にいた三十代の男性のことなのですが、私たちは彼が少年係の刑事、藤木大輔巡査部長ではないかと思っています。彼は莉帆ちゃんが生前お世話になった刑事で、現在行き方知れずなんです」
「ほう」
「三年前、藤木さんが事故現場にいたとなると、彼の今回の失踪と何らかの関係があるかもしれません。日下部さんが見た男性の特徴など教えてもらえませんか」
日下部さんは少し考えてから、「優しげな面立ちをした男だった、ように思う」と、いまひとつ腑に落ちない物言いをした。
というのも、日下部さんは、事故を起こした五島翔の介抱に精一杯だったため、立ち去る二人の男の姿を一瞬しか確認できなかったのだと付け加えた。申し訳なさそうに頭を下げるその様子に嘘はなさそうだ。
「きっと藤木さんだ」
オレと真之助は頷き合った。
「それともうひとつ。日下部さんは、なぜ翔さんが意識を取り戻したら、犯行を繰り返すとお思いですか? 翔さんは、一度は自首も考えたんですよね。であれば、日下部さんが掟を破らなくても、改心する可能性もあるのではないですか?」
「拙者の身を案じてくださるのか」
「あなたに掟を破ってほしくない」
「気持ちは有り難く存じますが、心配はご無用でござる」
再び顔を出した月明かりの下、悲しみと悲痛なまでの決意を含んだ瞳が真之助を映し出している。
「ここ数か月、翔の指が頻繁に動くようになりました。その指が拙者に言うのです。『女の髪を切り、柔肌を切りつけたい』と。とにかく拙者は命に代えても翔を止めねばなりません。昵懇の担当刑事にお話しくだされ。五島翔が犯人であると」
オレと真之助は必ず警察に伝えると、日下部さんと約束を交わした。
五島翔が入院している病棟と病室と教えてもらいながら、隻腕のサムライがどんな気持ちで三年前の通り魔事件を再現したのか想像してみる。
守護霊の仕事はお付き人の命を元凶から守ること。
それは守護霊の仕事に一度就いたら、全うしなければならないお役目、らしい。
だから、赤ん坊の頃から大切に守ってきたお付き人が、例え人の道から外れようとも、口を挟まず、じっと辛抱強く、見守り続けなければならない。お付き人の人生への干渉は仕事の範疇を超えてしまうからだ。つまり、ご法度。
オレが思うに「守護霊界の掟」は軍や警察の内規のように、守護霊の仕事を全うするためのものであって、守護霊である前にひとりの幽霊として一個人の幸せを希求するためのものではないのだろう。
お付き人の五島翔が通り魔に身を堕とし殺人を犯しても、人としての正しさに目覚めることを願いながら、日下部さんは自らが通り魔となって生者を襲い続けた。
きっと方法は間違っているのだろうけれど、オレには日下部さんの行為を咎めることはできない。
寿々子さんと同じように極刑が言い渡されようとも。
それだけの苦悩と覚悟が日下部さんから伝わってくるからだ。
「翔は弱く情けないどうしようもない男だ。しかし、拙者は翔の守護霊。親と子よりも強い絆で結ばれておるのだ。例え親が子を、子が親を見捨てることがあったとしても、守護霊はお付き人を生涯見捨てるわけにはいかんのだ」
思いを込めた言葉は重い。




