下水道に巣食うモノ
東から昇った太陽が、だいぶ西へと傾いたころ。南門から出た街の外、街壁の側で、数十人の泥だらけになった人々が座り込んでいる。近くには下水道の入り口。全員、下水道の掃除に集められた作業員。
その泥だらけの作業員のなかに、ジルカの姿もある。ジルカは剣に付着した汚れを布で拭っている最中。布には泥のほかにも、赤黒い液体や粘着質な液体が付いている。赤黒いのは、ビッグラットの血。粘ついている半透明の液体は、低級の魔物であるスライムの体液。
「おーう、怪我はなかったか、ジルカ」
同じように泥だらけになったダリアスが、ジルカに近づいてくる。ダリアスが到着したのは掃除が始まる時間ギリギリだったため、ジルカが割り振られていた場所とは別の場所を担当していた。
「そっちこそ、大丈夫だったみたいだね」
「そりゃな。ビッグラットやスライム程度、どうってことねぇよ。でけぇワームにゃ身震いしたが、ミミズと思えば可愛い……くはねぇが、どっちにしろたいして危険でもねぇし」
下水道に出た危険な生物は、ビッグラットやジャイアントワーム、そして魔物のスライム。他はせいぜい小さな虫程度で済んでいる。
「今日もまた怪我人が出みたいだぜ」
「そうなのか?」
「オレらより東奥を担当してた班の奴らしいんだが、これ以上進めないってところの壁に空いた穴に、光るモンが見えたんだそうだ。んで、手を突っ込んだらビッグラットの巣だったんだと。指を二本なくして手に入れたのが、昔々の価値もねぇスプーンだってよ」
「そりゃ不運だ。欲に目が眩むといけないってことだな」
「おう。オレが見つけなくてよかった」
他の危険な生き物は、あらかた片付けることができたが、ビッグラットは巣ごと毒餌を使って対処するらしい。
「ビッグラットの多さには驚いたが、それだけだったな」
「だね。俺もビッグラットを何匹も斬ったよ。スライムがいたのも、ビッグラットを狙って集まったんだろう」
「スライムに、隙間は関係ねぇからな」
魔物は、生ある者を糧にする。下水道に不法に捨てられた生ゴミなどでビッグラットが繁殖し、それを餌にするためスライムが集まる。放っておけば、増えたスライムが下水から街中に現れていた可能性もあるため、掃除をする時期としても丁度よかっただろう。
「ま、これで仕事は終わりだ。最終日だけあって、やることも少なかった。本当なら、もうちっとやることがあるんだろうけどよ」
下水道に詰まっていた泥やゴミなどは、あらかた綺麗にされていた。奥にはまだビッグラットやワーム、スライムが残っているかもしれないが、それは理由があり、普通の作業員では対処ができない。
「下水の奥は、城に通じてるからね。ゴーレムも見回ってるらしいし」
城下街ある下水道だが、街の中央にあるグラウリース城にも通じている。下水道を街の中央へゆくように進めば城の下にゆけるのだが、途中の道には頑丈な鉄格子が嵌められ、警備のゴーレムが巡回しており、容易に近づくことはできない。そして迷路のように張り巡らされた下水道は、たとえ鉄格子が破られようと、どの道が城の下へ通じているかは、皇族や城の重鎮でもなければわからない。
「どうした、下水道の地図なんかジッと見て。いくら見ても、城の下は空白になってんだろ」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「真下は城のやつらがやってくれんだろ。そこに魔物じゃなくて、魔神が住み着いてたりしたら笑えんだけどなぁ」
「いや、笑えないだろ……」
魔物よりも上位の存在である魔神。紅い瞳を持ち、その力は六人の神にも匹敵するといわれている、神の如き魔物。そんな存在が現れたら、国など滅んでしまう。
「ゆーても魔神も全部、魔障大陸に封印さてるって話だけどな。見たって話も聞かねぇし。どっかの山奥にゃ魔神が住んでるなんて噂もあるが、眉唾もんどころか飲み屋の笑い話にすぎねぇ」
「だったらそんな話するなよ。衛兵に聞かれたら、破壊神を信奉する異端者だーとかって、難癖つけられるぞ」
「へいへい。ごめんよー、神様。だからオレに儲け話をくださーい」
ダリアスがポケットから取り出した、五芒星の彫られたメダリオンに向かって叫ぶ。シェーラ神教と呼ばれる、創造神ミゲルが生み出したという六人の神を崇めている宗教のメダリオン。
運命を司る女神シェーラ。
戦を司る男神ブルドゥーム。
知識を司る女神ラウローズ。
商売を司る男神ゼルローグ。
慈愛を司る女神アルーシェカ。
鍛冶を司る男神ソール。
創造神ミゲルが最初に生み出した運命の女神シェーラを中心に、残り五人の神がシェーラを支えていると言われている。メダリオンに五芒星が彫られているのも、中心の五角形が女神シェーラで、周りを囲む五つの三角形が残りの神ということを象徴するため。
ダリアスが信仰しているのは、シェーラ神教のなかでも商売を司る男神ゼルローグ。料理店を営んでいるメイランとルイシャも、ゼルローグを信仰している。
「ジルカも、さっさと入信すればいいのによ」
「まぁ……気が向いたらで」
シェーラ神教というものを、ジルカはサリア大陸にきてから初めて知った。ヤオズ島では宗教というものは存在しない。信仰するものをしいて上げるならば、自然が神の代わりだろうか。野菜が豊作ならば土に感謝し、魚が大漁ならば海に感謝し、嵐が襲えば空に恐怖する。
「入らないってなら別にいいけどよ。強制ってわけでもねぇし、地方によっては土着神の信仰を優先するとか、色々とあるみたいだからな」
「そうそう。そんな感じ」
「入っときゃ、色々と便利なんだけどな」
グラウリース皇国の住民のほとんどは、シェーラ神教を信奉している。ちょっとした話題にもできるし、仕事を受ける上でも無宗教や別の宗教よりも信用されやすい。だがジルカは、創造神ミゲルと破壊神ミルジの神話も、セラに聞かされて始めて知ったほど。自然よりも神を信奉するというのは、多少なりとも抵抗があった。
「ダリアスが入ってるからいいよ。仕事を取るのも話題にするのも、任せる」
「なんとも社長泣かせなことを言ってくれやがる」
「犯罪以外ならな」
「はいはい。昔を蒸し返すな。オレたちは、クリーンな便利屋だからな。んじゃ、仕事も終わったことだし、体もクリーンにしてくるか。ほれ、今日の分だ。盗られんなよ」
渡された小袋には銀貨が十枚。昨日の報酬の三倍以上入っていた。
「じゃなー。あ、一眠りしたら店にいくかも」
「お疲れ、ダリアス。せいぜいめかし込んでからこいよ」
去ってゆくダリアスを見ながら、ジルカも家に帰ろうと腰を浮かす。が、荷物のなかにランチボックスが入りっぱなしなことを思い出す。よくよく考えてみれば、昼休憩などなかった。一度思い出してしまえば、急に空腹がジルカの腹を襲ってくる。
「持って帰って食べるのも味気ないな……とはいえ、これじゃちょっと」
泥やらなにやらで汚れた体。下水道に入っていたせいで、変な臭いもする。これではせっかくの食事が台無しになってしまう。街に戻れば銭湯もあるが、余計な出費をしたくはない。
「……そういえば、騎士団がこの辺りの魔物討伐してたっけ。それなら」
なにかを思い立ち、ジルカは街のなかではなく、さらに外へと向かって歩き出す。