嘲笑と軽蔑の記憶
街の南にある大通りをしばらく進み、そこから路地に入る。そして見えてくるのが、とある店の裏口。その店の二階にある一室を、ジルカは借りて住んでいた。
「ただいまー」
鍵を開けなかに入り声をかけるが、誰も出てこない。普段であれば、家主の娘が元気よく飛び出してくるのだが、家主揃っていないようだ。気にせず階段を上がり、二階にある自分の部屋へ。締め切ったカーテンと窓を開けると、新鮮な空気とともに、部屋のなかが陽の光で明るく照らされる。
一人用のベッドに本が並んだ机。そして少しばかり増えた服や仕事道具を入れている、布のかかった小さな衣装棚。この部屋に納まっている全てが、二年前よりも少しだけ増えたジルカの財産。
「俺も準備しておかなきゃな」
魔物と戦うために必要な、衣装棚に立てかけられた両刃の鉄の剣に手をかける。すると、手に取った剣の柄に布がひっかかり、床へと落ちる。
隠されるように布の下に置いてあったのは、布袋に入った刀と朱色の総面。
その二つを見て、ジルカは思わず奥歯を噛み締める。手入れをするために出したままにしていたのを、すっかり忘れていた。布に包みまたベッドの下に押し込もうかと思ったが、ジルカは頭を振り、手を止める。
「ごめん……」
父の形見の刀。姉がお守りだと渡してくれた総面。二つに謝る。またベッドの下に押し込もうとした思い出に。守れていない約束に。
――二年前
ヤオズ島を出航した漁船は長い航海を終え、サリア大陸のレンという港町に無事、着くことができた。船長の口利きで真珠を換金し、ジルカは馬車で首都ロンティルトへとすぐに向かった。
知らぬ土地で色々とありながらも騎士選抜試験の受付を済ませ、空いた時間にセラとロージの居所だけでもと探したが結局見つからぬまま、騎士選抜試合の初日を迎えた。
騎士養成学校にある練兵場が、最初の試合の会場となっている。準々決勝からなるグラウリース現皇帝を前にしての御前試合に出るため、まずは出場者を分けて予選をおこない、十六名まで絞る。その二日後が本選である御前試合となる。
その予選会場のなかにジルカの姿もあった。
騎士選抜試合の役割は、強者を見つける場。騎士の称号とともに、他の一般の兵士よりも高い給金で国に雇われることになる。だが、この時点ではただの名誉称号に近い。希望すれば騎士養成学校で戦略や戦術を学ぶこともでき、そうすれば部隊の隊長なども任される。現場の叩き上げで隊長を任される人物もいるが、数は少ない。
騎士になれば、国から安定した高い給金が出る。それが目的で試合に出る者も多い。ジルカの最初の対戦相手も、家族を養うために出場した青年だった。
まだ予選だというのに押し寄せた観客のなか、鬼神面を身に着け三界絶刀を構えるジルカと、湾曲した二振りの長剣を持った青年が相対する。得物は真剣でおこなわれ、魔法や魔具、飛び道具は不可。決着は、どちらかが降参するか、戦えない状況と判定されるまで。
初戦は、ジルカが相手の長剣を根元から斬り落としたことで、青年が降参し決着がついた。
「……負けたよ。代わりに優勝してくれよな。騎士になる男に負けたって、言わせてくれ」
「は、はい! 絶対に!」
握手をしたところで、観客が沸いた。誰が優勝するかという賭博も国公認で開催されているため、予選で自力のある選手が出れば自然と歓声も沸き起こる。それだけ、ジルカの力が認められたということでもあった。
ジルカは予選を次々と勝ち進み、観客は赤い面の男が強いと噂を立てる。
そして予選の決勝戦。巨大な斧を持ち、ジルカは自身の身の丈の倍近くある牛頭の亜人と死闘を繰り広げ、最後には相手が膝をつき降参を宣言した。一瞬、会場が静まり、そして割れんばかりの歓声が上がる。
「いやー、強かった! 優勝はこいつかもな!」
「ああ! 買っておいて損はないだろ! 予選でもこいつに賭ければよかったよ」
「オレ、一口だけ買ってた。四百倍だったから大儲けだ!」
好き勝手にジルカを褒める観客に辟易しながらも、ジルカは胸を撫で下ろす。御前試合で皇帝にいいところを見せられれば、優勝ではなくとも騎士に取り上げられるか、騎士養成学校に入れる可能性がある。
「セラ、もうちょっとだよ……」
ジルカはその脇道を知らないというせいもあるが、目指しているのは優勝のみ。ここまでの道のりは順調も順調。あとは明日の御前試合……なのだが、ここでジルカの歩む道は、脆く崩れ去る。
練兵場に現れたのは、黒い服を着た数名の審判。明日の御前試合について教えてくれるのかとジルカは思ったが、そうではなかった。
「調査の結果、ムラサキ選手の使用する武具に魔法が付与されていることがわかった! これは規約違反である! よってグラウリース皇国騎士選抜試合において、ムラサキ選手を失格処分とする!!」
その宣言に言葉を失ったのは、ジルカだけでなく、ジルカの対戦相手も、観客もだった。
「………………へ? 失格……? ウ、ウソだろ!?」
予選が始まる前に、刀と総面が魔具ではないかチェックされており、しかも問題なく通過している。だというのに、なぜなのか。だが、審判団は聞く耳を持たない。詳しい説明もなく、ジルカは失格だと告げるのみ。
「なんで、なんでこんなことになるんだっ!?」
気付けばジルカは衛兵に囲まれ、練兵場から引きずり出される。そして引きづられる道々で、ひそひそと嘲笑が沸き起こる。
「んだよ。反則かよ。くだらねぇことしやがって」
「おかしいと思ってたんだ。こんな奴がミノタウロスに勝てるなんて」
「どうやって持ち込んだんだか。クソ、喜んで損した」
頂点にあった評価が底へと落ちてゆく。そして、その観客のなかに――
「………………ッ!!!」
――軽蔑の眼差しを向ける、ジルカと対戦した選手がいた。
一目を置き期待をしていた視線から一転し、殺してやると言わんばかりの殺気の篭った視線。ジルカは思わず顔を下に向ける。そんな悪意を向けられたのは、生まれて初めてのこと。
文句を言っても審判はなにも聞かない。心に突き刺さる嘲笑と軽蔑。引きづられながら、ジルカは目の前が真っ暗になるのを感じた。
約束を守るため純粋に、ただ純粋に突き進んできたジルカの心が――折れた。
こうして騎士選抜試験は、苦いどころか傷をジルカの心に植え付けた――
「試合に負けたならいざ知らず、失格処分だもんな……」
思い出すだけで、心に突き刺さった棘はいまだに痛みを生み出している。セラとロージとも会えていない。正確には、探すのをやめていた。
失格になった選手がこうして同じ街で生活できているのは、ひとえにボロボロになったジルカを助けてくれた家主への恩返しと、御前試合で起きたさらに衝撃的な出来事で失格という話題が掻き消えたおかげ。試合が終わって早々に、ジルカの悪名が世間に挙がることはなくなった。それでも、便利屋の仕事で表に出るのはダリアスの役目になっている。
「それに、この鬼神面もかな。サキ姉、確かにお守りだったよ」
予選で面をつけていたおかげか、素顔が知られていないのも理由の一つだろう。そうでなければ試合の直後に、後ろ指をさされる街を飛び出し、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない。
ベッドの下にしまう代わりに、刀と面を棚の上に戻し再び布をかける。ジルカも、このままではいけないとわかっている。まだ使う気は起きないが、せめて閉じ込めるような真似は、もう止そうと。
「――ジル兄~~~! いるの~~~!? いるなら荷物運ぶの手伝って欲しいの~~!」
部屋の向こう。おそらく階段の下から、ジルカを呼ぶ声がする。家主たちが帰ってきたのだろう。
「はいはい。いますよっと」
ジルカは十分に換気をした窓を閉め、部屋の外へと出ていった。