侵入
ガチンガチン……と、下水道に壁をツルハシで砕く甲高い音が響く。下水道中に響くような大きな音だが、誰かが反応してやってくることもなく、城の敷地内を示す鉄格子のなかにも入っていないのでゴーレムが襲ってくることもない。
「おらッ!」
ダリアスの叩きつけたツルハシが、ビッグラットの巣穴のある壁に深く突き刺さり、引き抜くと同時にガラガラと壁が大きく崩れる。ダリアスと共に壁を崩していたジルカは、ツルハシから松明に持ち替え、壁の向こうを炎で照らす。
「……道だ」
「みてぇだな。ジルカの予想は外れてなさそうだ」
壁の向こうに、古い石壁と石畳の道が現れた。改めて人が潜れるくらいに壁を崩し、四人は目配せをしなかの道へと入ってゆく。なかは下水道の臭いと古い埃の臭い、そしてビッグラットの汚物の臭いが混ざり合い、言いようのない異臭を放っている。
「ムラサキ、重くない?」
「平気だよ」
汚物と湿気で滑る道を、ジルカはイルイラを背負って運んでいた。四人のなかで唯一の素足――といっても鉤爪だが――のイルイラをそのまま歩かせるには、少々酷な道のための処置であった。松明を持つ役目は、今はセルミナが担っている。
「……むむむ」
松明を持ち最後尾を歩くセルミナは、重なり合った前の二人を見ては唸り、しょうがないのだと思ってはまた唸る。
「ゲン……ジルカ」
「どうしたセルミナ。なにかあったのか?」
「いや、そのだな……なんでもない」
「? そうか。――おっとと」
「んぴゃ!?」
浮いた石畳に足を取られ、ジルカがよろめく。足を踏ん張りなんとか耐えるが、急に動いたので背負ったイルイラとさらに密着してしまう。
「もー、危ないよー!」
「ごめんごめん」
「……むむむむむむむ」
そんな遣り取りをしている背後の三人に、ダリアスはうんざりした顔で地面に唾を吐く。
「はぁあ……帰りてぇ」
誰に聞こえるわけでもなくダリアスの口から出た言葉は宙に消え、無心で歩き続ける。しばらくすると、道の終端が見えてきた。石で組まれた壁と木製の扉。ダリアスは腐り穴の空いた扉を蹴り壊すと、細長く上に伸びた空間が現れた。
「井戸みてぇだな。道とおんなじで、こっちも古いな」
「おそらく、今の城に建て替える前に使われていた隠し通路なのだろう」
「建て替えたのって、百五十年くらい前だっけか」
「そんなに前なんだ。へー!」
「手抜き工事で訴える相手も生きちゃいねぇか」
三人も入れば一杯になる井戸の底。松明の光を井戸から遠ざけ上を見てみると、微かに灯りが見える。
「誰が上までいくの? ここまで狭いと、アタシじゃ飛べないよ」
「俺がいく。危ないから他のみんなは井戸の外に出ててくれ」
ジルカは持ってきたロープを腰に結び、松明の火を小さなランタンに移し、こちらも腰に道具袋と一緒につける。
「いけ……るな。島の崖よりは楽そうだ」
子供の頃に遊んでいた苔生した崖よりはマシだと、あえて気楽に考える。多少濡らついてはいるが、大小の石を組んで作った井戸の石壁は取っ掛かりが多い。
「……ふっ!」
手頃な石の隙間に指を入れ、体を持ち上げる。手を掛け、足を掛け、不安な場所には太い釘を打ち。ランタンの光はあくまで補助であり、薄暗い空間を視覚ではなく手足の触覚を頼りに登ってゆく。
「見え……た……っ!?」
苔で滑った足に肝を冷やしながら、頭上に空いた穴を確かめる。子供の体くらいなら、平気で通り抜けることができそうな穴。だが、大人では厳しい。ジルカは釘を数本、壁に深く打ち、腰につけたロープを結び命綱にすると、道具袋からハンマーを取り出し、力強く穴に向かって振る。何度か打つと、穴は一気に広がり、崩れた石が下へ落ちてゆく。
「おい、しょっと!」
穴から頭を出し誰もいないことを確認すると、穴から這い出し床に出ることができた。床の上には無造作に積まれた壊れた家具や、袋の破れ目から零れたカビた小麦の粒が散乱している。憶測どおり、場所は倉庫のなかのようだ。あとはロープを倉庫の柱に固く結びつければ、準備は完了となる。
「おーい……! いいぞー……!」
ジルカの合図に、下から松明の光で返事がくる。最初はセルミナが、続いて自分で登れないイルイラを二人でロープで引っ張り上げ、最後にダリアスが登ってくる。ツルハシなどの大きな道具は井戸の底に置いたまま。ここからは身軽に動かなければいけない。
「イルイラ、外の様子は?」
「えーと……裏口っぽいところに緑色の鎧の騎士が二人。他はお城の陰になっててわかんない」
倉庫の天窓から城を覗いていたイルイラからの報告に、ジルカはこれからを考える。四人のなかで一番視力のいいイルイラからの報告ならば、そうなのだろうと。セルミナに聞いても、他に近い入り口はない。
「時間はあと四十分もない。さて……」
樹林騎士団の総数は四十人。たった四十人に城は占拠されている。だが、皇帝を人質にされている時点で人数は関係ない。
「二人か……どうするジルカ、強行突破とするか?」
「止しといたほうがいいんじゃねぇの? この倉庫から裏口までは距離がある。見つからないで倒すのは至難の技だぞ?」
制限時間があるうえ、待っていればいなくなるというものでもない。警備している樹林騎士団に見つかり援軍を呼ばれてしまえば、人質を助け出すどころではなくなってしまう。
「強制睡眠が使える魔術師でも連れてくりゃ話は別だがよ。鳥の嬢ちゃんも、歌は歌えないんだろ?」
「喋れるけど、歌うのはムリ」
「それに、なるべく静かにしておきたいからね。だからここのキーマンは、ダリアスだ」
「オレぇ? マジかよ」
「俺やセルミナは樹林騎士団に会ったことがあるからダメ。イルイラは戦えない」
「だからオレってか……ちくしょう、ババ引いたなこりゃ」
城の敷地に入ったあとは、状況を確認しながらその場で行動を決めてゆくしかない。指針は見つからないように、コッソリと。せいぜいこの程度。
「しゃあねぇ、やるか」
ぶつぶつと言いながらも、ダリアスは準備を始める。セルミナとリフィアからは、少なくない報酬を約束されている。報酬分は働く気があるし、その報酬は成功報酬であり、失敗すれば全財産が国ごとなくなる危機ときている。ならば上手く立ち回らなければならない。
ダリアスは皮鎧を脱ぎ剣をジルカに預けると、比較的よい状態の小麦の入った袋を肩に担ぎ、一人で倉庫の外へと出る。こそこそと隠れるようにではなく、それこそ堂々と。少し裏口に近づけば案の定、裏口を守っていた樹林騎士団がダリアスに声をかけてくる。
「おいお前! そこでなにをしている!」
「ひぃ!? わ、わたしはこの城の使用人ですよ! あの倉庫から、料理に使う材料を取ってこいと言われたんです! ろ、ロムナス様にお出しするとかで……」
情けない声を上げ空いている手を挙げて、ダリアスは裏口の騎士へと近づく。
「ロムナス様に? おい、そんなの聞いてたか?」
「いや、聞いていない。……だがロムナス様のことだからな。急に思い立ったんだろ。袋の中身は検めさせてもらうぞ。毒など入っていないだろうな!」
「も、もちろんです」
騎士の片方はダリアスが地面に降ろした袋のチェックを始める。袋を開けた途端、冑をかぶっていて表情がわからないというのに、どんな表情をしているのかダリアスには想像がついた。
「おい、キサマ。これはカビじゃないのか?」
「それが秘訣なんですよ。リングスでは、ブドウ酒と一緒に臭いチーズを食べないんで?」
「……ふん。まぁ、オレたちが食うわけじゃないからな」
小麦の質にはそれ以上の質問はなく、袋に腕を突っ込み、なかを改めて調べ始める。その間、ダリアスはもう一人の騎士へ話しかける。
「あのー、騎士様も大変ですね。こんな場所を二人で守ってるだなんて」
「酒の差し入れでも欲しいところだよ。……そういえばお前、ちょっと臭うぞ? それで料理を……いや、そもそもどこから倉庫に――ガァッ!?」
話していた騎士は小さな悲鳴を上げ、体を地面に横たえる。その横には、隠し持っていたナイフを構えるダリアスが立っていた。
「それ、最初に気付けよバーカ」
「き、キサマ――ッ!?」
「死にたいか? なら止めねぇけど」
抜き身のナイフが、冑の隙間から騎士の首に触れる。
「わ、わかった。殺さないでくれ……!」
「わかってるよ、っと!」
残った騎士も気絶させると、ダリアスは倉庫に手を振り合図を出す。セルミナとジルカは急いで合流し、裏口を覗き安全を確認すると、気絶した騎士を引きずり中に入る。
「やるねダリアス」
「怪しいヤツが外にいたら、まずは確保だろうに。こいつらがバカで助かった。まっ、おかげで殺さずに済んだけどな」
「助かるダリアス殿。樹林騎士団の全員が、納得しての行動とも思いたくないからな」
「お優しい姫さまなこってまぁ」
ジルカとダリアスは近くの部屋に騎士を放り込むと、鎧を剥ぎ取って縛り上げる。
「鳥の嬢ちゃんはどうした?」
「他にやってもらいたいこともあるし、倉庫に残ってもらった」
「はーん。……よし、これでどうだ」
騎士から剥ぎ取った鎧を身に着け、ジルカとダリアスは部屋から出る。
「ふむ、意外と似合っているなジルカ」
「そう言われても複雑だよ。騎士になれないって言った途端、騎士の鎧を着るはめになるとはね。……それにしても、動きにくくてしかたない」
セルミナも含め、よくこんな格好で剣が振れるものだと不思議でならない。ジルカは頭を掻こうとするが、冑に阻まれ手は届かない。しょうがなく肩を竦めることでセルミナに返事を返す。
「で、次は? 城の中に捕まってる騎士や魔術師たちでも、解放しにいきゃいいのか?」
「魔術師を解放し結界を解いては、すぐに侵入がバレる。父上に剣が向けられるだけだろう」
だから魔術師を助けにいくことはできない。ならば城に残った騎士をどうするかだが。
「父上の身辺警護をしている騎士たちを解放することができれば、それは力強い味方となるだろう。だが、樹林騎士団も抵抗を危惧し、相応の人数を見張りに付けているだろう」
「じゃあどうするよ。三人で皇帝たちを助けるなんて、やっぱ無茶じゃねぇか?」
「私に考えがある。ジルカやダリアス殿に頼ってばかりもいられんからな。まずは、“ある場所”を目指す。この国の騎士たちには悪いが、引き続き囮になってもらおう」
セルミナが向かうと言った場所は、城でも二年に一度しか使われない場所だった。そこは、”とある目的“で集まった者たちの控え室。そこならば、たいした警備もされていないだろうと。
「ここは、騎士になりたい連中に手を貸してもらおうではないか」




