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過去と今

 街には東西南北のそれぞれに一つずつ、ゴミを処理するための施設が存在する。なかには下水道へ入るための大きな入り口があり、その前に立っているのはジルカとイルイラ、セルミナ、そしてダリアスの四人。リフィアは元近衛騎士団の指揮を執るため大通りに戻ったため、ダリアスはいつもと同じ調子に戻っている。


 非力なイルイラ以外は、各々武器の他にも、ツルハシやスコップ、長いロープなどを持っている。全て便利屋の事務所に置いてあった仕事道具。


「……うぅ~、くちゃい」


 ジルカとダリアスが開けた鉄扉のなかから漂う異臭に、イルイラが鼻を押さえる。他の三人も臭いに顔を顰めるが、我慢する以外の選択肢はない。


「しょうがねぇだろ。街壁の外の入り口は使えねぇし、見られないで入れるのはここだけなんだ」


 誰も入ってこられないよう、施設の入り口には厳重に鍵をかけた。道々にも下水へ繋がる点検孔はあるが、逃げたゴブリンやオークに邪魔される恐れもある。邪魔だけならまだいいが、そこからヘタに大きな騒ぎになって目立つのを回避するため、わざわざゴミ処理施設まで足を伸ばした。


「うし。おまえら、いくぞ」

「う、うん……くさいよー」


 ダリアスに続き、イルイラ、ジルカ、最後にセルミナと階段を下りてゆく。ダリアスとジルカは通路を松明で照らしつつ、下水道まで辿りつけば、掃除をしていたおかげか臭いも多少マシになる。


「ったく、なんでオレが……」

「文句言ってないで、臭いんだからさっさと進むー! 力を貸してくれってリフィアさんに依頼されたからでしょー!」

「へいへい。貰うもんを貰っちゃったからねー。やりますよ」

「へいじゃなくて、はい」

「へ~~い」


 なんだかんだと仲が良さそうな前の二人に、ジルカも少し安心する。狭い通路でいがみ合われていては、精神衛生上よろしくない。


 そんな苦笑を浮かべるジルカの後ろには、ただただ苦い顔を浮かべるセルミナがいた。口を開き、ジルカの背中に手を伸ばそうとするが、触れる寸前で口を閉じ手も引っ込める。そんなことを、何度繰り返しているだろうか。


「………………はぁ」


 自分の意気地のなさに、知らずと息が漏れる。今は移動中、作戦会議などは済ませている。目的の場所につくまで時間はある。だというのに、なにもできない。


 騒ぎのなか、余計なことを考える間もなく、ジルカが援護に駆けつけた。話すことができた。話しかけることができた。会えば話さなければならないことがある。なのに、今は手を伸ばせば届く距離にある背中が遠い。


「っ……げ、ゲンシン。話が」

「いやー、リフィアさんなんだけどさ!」


 セルミナがありったけの勇気を絞りやっと出した声を、ジルカは自ら掻き消す。何度も口を開きかけ、手を伸ばしかけ、そわそわと後ろでなにかしようとしているセルミナに、ジルカも気付いていた。


「リフィアさんって、ロージさんの娘なんだってね。驚いたよ」

「あ、ああ。幼いころから、ロージと共に仕えてもらっている。知っていたのか」

「実は、昨日の夜に会ったんだ。自己紹介して早々、貴方あなたがゲンシン様なのですか、って聞かれた」


 そしてジルカは、そうだと答えた。セルミナの従者であり、ロージの娘だというリフィア。すでに正体を知っており単なる確認だとジルカは思っていたが、そうではなかった。


「セラは、俺のことをリフィアさんに話してなかったんだね。情報を集めた結果の推理だって言われたよ。あと、ロージさんの名前を聞いたときの俺の反応もかな。それで、謝られた」


 ゲンシンだと認めたジルカに、見つけることができずに申し訳ありませんでした、とリフィアは躊躇いなく頭を下げた。


 ヤオズ島のことはセルミナもロージも、誰にも話していない。だが、ゲンシンという少年と出会い、約束を交わしたことだけはリフィアに話していた。そして父親ロージが死に、ゲンシンを探す役目はリフィアが引き継ぐはずだった。


「なのにダメだったって。ロージさんの力の半分も自分は受け取れなかったって、悔しそうに」


 そんなリフィアの顔を見て、ジルカはなにも言えなかった。言う資格さえないと思った。ジルカも、探していなかったのだから。


「リフィアは他に、なにか言っていたか?」

「言ってたよ。……二年前の話をしてくれた」

「っ」


 セルミナの顔が泣きそうに歪む。だからジルカは、セルミナの声を遮った。泣きそうになるほどのこと。理由を知っているからこそ、セルミナから言わせることはないと。


「俺を失格にしたのは、セラの――セルミナの従者だったんだね」

「……そうだ」


 セルミナが頷く。セルミナでさえ知ったのはつい最近。休みから戻ったリフィアが宿舎に帰り、朝になっても起きてこないのをいいことに、イタズラでもしてやろうかと寝ている部屋に忍び込んだ。そこでジルカについてまとめられた資料を見てしまった。


 リフィアらしい几帳面な文字で、詳しく、裏付けまで取られた資料。セルミナを騎士選抜試合で優勝させるため、従者は選抜試合の武器鑑定をしていた夫と共謀した。


「優勝するのに、俺が一番の障害になりそうだったと」


 その結果、予選で目覚ましい力を見せ観客を沸かせていたジルカの武器を魔具だと偽り、失格に追いやった。


 リフィアも、もとからジルカの失格には裏があると疑っていたわけではない。主人セルミナの目にかなったジルカが安全かどうか、身辺調査をしたところ判明した事実。知ることができたのは偶然でしかなく、同じ従者としてリフィアもにがい思いをしている。


「すごいよね、リフィアさんは。失格になった原因まで調べ上げちゃったんだから。その後のことも聞いたよ。従者は罪の意識に苛まれて、旦那さんと一緒に田舎に帰ったんだって?」

「リフィアの調べではそうらしい。……私は、まったく気付いていなかったがな……」


 よく尽くしてくれた従者だった。先に騎士になっていたリフィアやロージが騎士の師ならば、その従者は生活を支えていた恩人と言ってもいいほどに。信頼していた。信用していた。騎士選抜試験の直後、体調を崩した従者のことを、セルミナは本気で心配した。なんの疑問も浮かべず、休養のため夫と田舎へ帰るという従者と、惜しみながら別れていた。


「困ったことがあればいつでも連絡しろと言ったが、去ってから一度も連絡はない。夫婦揃って病を患い、食うのにも困った今でも」

「なら、セラから近づいてあげればいいんじゃないかな」

「そんなことできると思っているのか! そいつらがゲンシンになにをした!?」


 叫ぶセルミナを前に、ジルカは困ったように頭を掻く。なにをされたかなど、ジルカが一番よくわかっている。わかっているからこそ、助けろと言っている。


「俺を嵌めた罰として、そのまま苦しんでろ――とでも俺に言わせる気か? うっわ、酷いこと思いつくな」

「茶化すな!」

「茶化してなんかないよ。恨んでないと言えば嘘になる。でも、手を差し伸べないほど恨んでるわけじゃない」


 許すとは言わない。しかし、苦しめとも言わない。厚顔無恥にセルミナの従者を続けているならまだしも、罪を感じ田舎に引っ込んでいる。だから、罪を罪だと認識し、後悔しているならばそれでいいと。


「今の生活は、気に入ってなくもないからさ」


 過去には戻れない。これはもう結果が出ている話で、終わっている話でもある。躓いた結果の先に続いていた道は、それほど悪いモノでもなかったから。それに、自分ならまだしも、他人を恨むというのは、どうにも慣れない。


「ならば、私か? 私を恨んでいるのか?」

「どうしてそうなるかな……」


 誰がそんなことを、とまた頭を掻く。従者の善意であれ悪意であれ、確かにセルミナが原因の根本ではあるだろう。だからとセルミナを責める気などジルカにはない。


「俺はそんなに気にしてない。だからセラも」

「違う、違うんだ……! 私は、ゲンシンを言い訳にしていたんだ……」


 だからセルミナは逃げようとした。ジルカの前からも、この国からも。


「私は、皇姫という立場が疎ましかった。たいした自由もなく、将来は国のために身を捧げなければならない。嫌だった。嫌だったんだよ。だから、ロージの言葉は天啓に等しいものだった」


 継承権を捨て、騎士として生きる。元皇姫という身分は付いて回るが、それでも皇姫として生きてゆくよりは自由がある。


「ゲンシンに自慢するためと口にしておきながら、私はゲンシンを探さなかった」

「それはロージさんが死んで、俺を探せなかったからで」

「ロージが死んだだけで、ゲンシンを探すことが不可能になると思ったのか? そんなわけがない。私は、“皇姫”だったのだぞ?」


 皇姫というグラウリース皇国の象徴たる血族の一員。その力を使えば、人探しなど造作もない。そうでなくとも、全ての港町に『ゲンシンという人を探しています』とでも書いた張り紙をすれば事足りる。しかし、サキとの――ヤオズ島との約束があった。


「ヤオズ島のことは誰にも話せない。そういう約束だからな。あのときの船員にも、漏らせば厳しく罰すると言ってある。……私はな、その約束を、都合よく利用したんだ」


 個人的に、そして秘密裏に探すのであれば、ロージが適任だったろう。しかし、ロージは死んだ。リフィアもロージほど力を持っていない。だから探せないのだ、と結論付けた。


「なにせ、探す必要などどこにもない。ゲンシンも、ロージも、ただ私が騎士であるために、存在りゆうだけが必要だったんだ!」


 誰にも理解されなくていい。自分がわかっていて、自分が納得していればいい。私は頑張っているぞ、と空に向かって呟けば、皇姫の身分を捨てた言い訳になると。


「あの日、私はジルカ=ムラサキに謝りにいった。謝り、できる限りのことをしてやるつもりだったんだ。なのに、なぜゲンシンおまえがそこにいた! なぜ、なぜゲンシンだったのだ……」


 呟く相手やくそくのしょうねんは空ではなく、すぐ近くにいた。いてしまった。探しもせず、しかも夢を潰えさせていた。言い訳にすることなど、セルミナにはもうできない。


「私は酷い女だろう? 子供の約束だと切って捨てていた。あげく、国外に逃げようとしていたのだから」

「まぁ、ショックではあるけど」


 セルミナは約束を忘れてはいなかった。だが、約束を守るとは思っていなかったと言われると、ジルカも悲しいものがある。しかし、不思議と大きなショックではない。


「ちょっと安心したかな」

「安心……だと……?」

「なんて言えばいいのかな……セラが前に進む理由に、俺が選ばれていた。だったらいいかなって」


 ヤオズ島で約束をしてから、九年という期間が過ぎている。それでもセルミナはジルカを忘れていなかった。それだけでいいと、ジルカは許す。


「セラは約束を破ってないから。約束を破ったのは俺だから」

「違う! 私のせいだ!」

「違わない。俺は騎士になれない。神話の騎士なんかにはね。ほら、見てくれよ」


 ジルカは、セルミナの前に右手をかざす。左手に持った松明に照らされた右手は、小刻みに揺れていた。見れば、立ち止まっている足も震えている。


「……怖いんだ。セラを助けなきゃって思って、こんなところまできておいて、失敗したらどうしようって。通路がなかったら、俺のせいで余計に国に危険が迫ったら……考えたくなくても、考えちゃうんだよ。二年前、きっと俺が優勝して騎士になってたとしても、なにか些細なことで躓いて、ダメになってたと思う。ロージさんには悪いけど、信念を持ち続けるなんて俺にはできない。神話の騎士にはほど遠いよね」


 悪魔の囁きはなくなったが、それでも怖いものは怖い。それは変わらない。


「それでもゲンシンは逃げないのだな……強いな。わたしよりもずっと強い」

「弱いよ。だから震えてる」

「わたしも弱い……だから」


 震えるジルカの右手に、セルミナの右手がそっと重なる。九年前のヤオズ島の船着場と同じように。


「もう一度、わたしと約束してくれる?」

「うん、いいよ」


 二人は震える手を、固く握り合う。


「俺は……ジルカ=ムラサキは約束する。前を向いて歩くよ。止まらないで、間違ってると思うことはしないって」


 騎士になるとは言わない。自分に資格はないから。ただそれでも、逃げずに前を向くと約束する。


「わたしは……セルミナ=イースラントは約束しよう。私も逃げない。言い訳ももうやめだ。ゲンシンを――ジルカを信じ、共に前を向こう」


 再会はなった。だが、約束を守れたとは思っていない。だからこそ、次は逃げずに共に歩こうと約束する。


「しかし、なんなのだその名前は」

「似合ってない? サキ姉と一緒に考えたんだけど。セラこそ名前が違うじゃないか」

「私はセルミナこちらが本名だからな」


 九年前とは名が違う。容姿も成長し変わっている。だが、ここにいるのは紛れもなくゲンシンとセラ。九年前の約束は、曖昧なままに、叶えられないままに。これからも約束が終わることはない。互いに認めない。


「名前を捨てたわけでも、前の約束を忘れたわけでもない。どっちも、捨てたり忘れたりできるものじゃないから」


 だから、新しい約束をする。今度こそ、守るために。叶えるために。……手の震えは、いつのまにか治まっていた。


「今度こそ約束を果たそう」

「ああ、守ってみせる」


 二人は手を離し、笑い合う。まだぎこちないが、前に進めたと思える程度には。


「でも、イルイラの言ったとおりだったな」

「……なに?」


 セルミナの離した手が、ピクリと動く。


「イルイラが夜、言ってくれたんだよ。きっとセルミナも俺を信じてくれるって」

「ほほ~う、夜か。もしやそれは、二人きりでか?」

「うーん……そうだね。部屋には二人だった。色々あって、イルイラも俺を信じてくれるって言ってくれたんだ。そのおかげで俺は、少し前向きになれた」

「ほう、先に、イルイラが、ジルカを、信じると。つまり私は、二番目か」


 セルミナの心に、わけのわからないモヤモヤが生まれる。


「ルイシャとメイランさんもいたから……正確には四人目?」

「そうかそうか! そんなにあとか!」


 モヤモヤした気持ちのままに、セルミナはさっさと歩き出す。


「どうしたんだよセルミナ。なに怒ってるんだ?」

「知るか! 私にもわからん! いくぞ。前の二人と離れてしまった」

「あ、ああ……?」


 ジルカは急に怒り出したセルミナを不思議に思いつつ、遅れを取り戻すように下水道を急いだ。

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