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セイレーンの歌

 ジルカに後れること数秒、後ろを走っていた衛兵たちが、ゴブリンへと剣や槍を突き立ててゆく。背後からの奇襲にゴブリンは慌てふためき、弩弓の攻撃が完全に止まった。


「団長!」

「うむ! ――近衛騎士団、前へ!! 他の兵は今のうちに陣形を立て直せ!」


 セルミナとリフィアは元近衛騎士団を前線に広げ、他の兵士たちのために壁を作る。――しかし、矢で撃たれ傷付いた兵士たちは、遅々と足が動かない。


「ダメです。動きが鈍い」

「そこまで士気が下がっているか……! ゲンシンたちのおかげで敵が混乱している、今しかチャンスはないというのに!」


 背後から奇襲した人数は、ジルカを含めても十数名。敵の動揺が収まれば、すぐに飲み込まれ潰されてしまう。このタイミングで攻勢に出れなければ、また膠着状態に陥る。そうなれば、また持久戦になる。もし持久戦を避けるならば、魔術師団に全力で魔法を撃ち込ませることになるが、そうなれば街の被害はどこまで広がるか。


「セルミナ様、士気が上がればいいの?」

「い、イルイラ!? なぜここに!」


 いつの間にか兵士たちの隙間を縫い、イルイラが近くまできていた。危ないと下がるようセルミナは言うが、イルイラは首を振る。


「大変なんでしょ。アタシならできるよ。セイレーンのアタシなら」

「もしや、歌で操るというのか?」

「ううん。そうだけど、“そこまで”はムリだよ。でも、キッカケなら作れるよ。あとは、セルミナ様次第かな」


 どういうことか要領を得ない。だが、悩む時間さえも惜しい。


「私はなにをすればいい」

「セルミナ様は、みんなを鼓舞してあげて! じゃ、いくよー!」


 イルイラは数歩下がると、士気の下がった後ろの騎士たちを向く。何度か深呼吸をし、自分の喉を触る。


「……うん、大丈夫。アタシは歌える。みんなのために、セルミナ様のために……前を向いたムラサキのために」


 大きく息を吸うと、イルイラは口を開く。


「“これは始まりの歌。全てへ至る原初の歌”」


 それは祝詞。声に思いを乗せ、言葉に願いを託す。澄み切った歌声は戦場に広がり、兵士たちを包み込んでゆく。


「これがセイレーンの歌……」

「とても綺麗です」


 イルイラが喉を震わせるたびに、空気が変わってゆく。ともすれば、戦場である事を忘れてしまいそうなほどに。


「“顔を上げて、前を向いて”」


 士気が下がりうつむいた兵士の顔が上がる。それはまた一人、また一人と、騎士も衛士も、次々と。まるで夢でも見ているように、ゆらゆらと揺れながら。


「くっ……これは催眠術か?」

「それに近いものなのでしょう。それも、魔力を帯びたものです。士気が下がり意思の弱った者には、抗えないでしょうね」


 意識のはっきりしたセルミナでさえ、頭の芯に甘い痺れのような感覚がある。セイレーンの歌は人を惑わす。その恐ろしさの片鱗を垣間見た。


「ッ“思い出して。勇気ある者は……立ち上がりなさい”――ゴホッ!」


 急に咳き込み、イルイラの歌が中断された。その途端、頭の芯を襲っていた甘い痺れが消えてゆく。


「イルイラ!」

「……これ以上歌えないように、封印が施されているようですね。命に関わるようなものではありませんが、下手をすれば声を失う」

「う、ん。でも、アタシは、だいじょ、ぶだよ」


 喉には光る文字が浮かび上がり、赤くミミズ腫れのようになっている。繰り返す咳には血が混じっている。これでは喋ることも辛いはず。それでも、イルイラは気丈に告げる。


「アタシは、ここまでだよ。つぎ、は、ゴホッ! セルミナ様の、番。みんなを、導いて、あげて。前を向いたみんなが、進めるように」

「……ああ、わかった」


 イルイラのことをリフィアに任せ、セルミナは兵士たちの前に立つ。セイレーンの歌により、大多数の兵士はまだ放心したまま。


「聞け! グラウリースを守護する者たちよ!」


 その声に、兵士全員がセルミナに振り向く。イルイラの歌が心に沁みる声ならば、セルミナの鼓舞は心に響く声。


「お前たちの前にはなにが見える!」


 セルミナが大きく手を広げる。その先に見えるのは、混乱から立ちおなりかけているゴブリンの集団。奇襲したジルカたちは、すでに集団に囲まれている。


「そうだ! 祖国に攻め入ってきた賊どもだ! そして今尚、危機に晒されている人々がいる! 私たちが守らずして誰が守る! 親を、子を、友を、祖国をその手で守れ!」


 その鼓舞が実るのに、時間はかからなかった。


「俺が、俺が守る!」

「そうだ! 俺たちが守る! 家族を守るんだ!」


 次々に立ち上がる兵士たち。多少の怪我などものともせず、みな武器を手に取り前へと進み出る。


「標的は前方のゴブリンどもだ! 勝利をその手に掴み取れ! 突撃いッ!!!」


 号令とともに兵士たちは走り出す。最前線で戦っていた元近衛騎士団をも追い抜き、あっという間にジルカたちが戦う敵の後衛まで戦線を押し上げる。


「セラ!」

「ゲンシンか! 先ほどは助かった。おかげで救護隊まで被害が及ばなかった」


 包囲から抜け出したジルカたちと合流し、セルミナは安堵の笑みを浮かべる。イルイラのおかげで、大切な人を失わずに済んだ。


「俺のほうこそ。あと少し遅かったらこっちが――って、それどころじゃない! 皇姫とロムナスはどこにいる!?」

「姉上とロムナス様ならすでに城内に入った。ほら、結界も」


 城に張ってある結界が、目に見えるほど濃い光を放っている。まるでシャボン玉のように城を包む不可侵の結界は、もう誰も通すことはない。


「間に合わなかったか。陸の孤島のなかの、さらに孤島か……セラでもなかには入れないのか?」

「ムリだ。ああなれば、安全が確保できるまで結界が解かれることはない。……おい、なにをそんなに焦っている」

「焦りもするさ。これを見てくれ」


 ジルカが取り出したのは、一枚の紙切れ。国外からの荷物に張られる許可証の一種。


「リングスとグラウリースの判子が押されてる。つまり、リングスからの荷物ってことだよね」

「そうなるな。しかし、それがどうした。リングスは姉上が嫁ぐ国で、式典にはロムナス様もいる。リングスから荷物が届くのは不思議ではないぞ」

「その許可証が張ってある大きな木箱が、内側から壊れていてもか? それも何十と」

「……なに? 少し待て――おい! そこの騎士殿!」


 セルミナは近くにいた男に声をかける。男は街に残っていた騎士団の小隊長で、左翼の指揮を執っていた騎士でもある。士気が下がるなかでも左翼が崩れきらずに済んでいたのは、この騎士の力によるところが大きい。イルイラの歌が流れる前に、前を向いていた人物でもある。


「なんでしょう、姫騎士様」

「戦線の指揮を任せたい。やってくれるか」

「そ、そんな! こんな人数の指揮など、執ったことが」


 突撃した兵士の総数は二百人に近い。多くて五十人程度を指揮する小隊長には、少々荷が重い人数。


「私はやることがあり、指揮を執ることができない。この勢いであれば、後ろから発破をかけてやるだけで十分に勝てる。任せたぞ!」

「な!? 姫騎士様! くそぅ――全軍進め進めー!!」


 ヤケクソ気味な小隊長の号令だが、それだけで本当に進軍の速度が上がった。イルイラの歌により夢うつつのなか、セルミナの号令でやる気を出した兵士には、進めと言われるだけで十分な力となっている。いずれ南の大通りの敵を排除し、街門を開けることができるだろう。


「待たせた」

「よかったのか?」

「残っている敵の数を考えれば、負けることはない。それよりもゲンシンの話が気になる。イルイラたちのところで話そう。私の副官もいる。元近衛騎士団の、だがな」


 二人は一旦、救護隊のところまで戻る。鬼神面と額に巻いていた当て布を外したジルカに、イルイラが駆け寄ってくる。声は少ししゃがれているが、喉の発光も収まり、出血も止まっている。


「イルイラ! 大丈夫だったか?」

「うん! 歌うのはしばらくムリだけど、大丈夫だよ! メイランさんとルイシャは?」

「二人とも大丈夫……というか、俺が守る必要なんかなかった」

「どういうこと?」

「あー……メイランさんは元傭兵だったらしくて、襲いかかってきたゴブリンを一瞬で捌いてたんだよね」


 金の鶏亭に戻ったジルカが見た、衝撃映像だった。笑いながらあっという間にゴブリンを細切れにするメイランを見て、自分の腕の未熟さを痛感している。


「うわー……メイランさんを怒らせちゃダメだね」

「そうだな、命に関わる。そうだ、イルイラ。歌、俺にも聞こえたよ」

「へへへ~、上手だったでしょ?」

「それは、まぁ……ね」


 ジルカは照れたように鼻の頭を掻く。


「ゴホンッ! ゲンシン、話の続きをしてくれないか?」

「お嬢様、なんともワザとらしい咳を。のど飴はいりますか? それとも熱冷ましのほうがよろしいですか?」

「ううううるさいぞリフィア! ゲンシン、早く話せ!」

「あ、ああ。金の鶏亭に戻ったあとのことなんだけど――」


 ゲンシンは通行証を見つけた経緯を三人に話す。


「つまり、敵に見つからないよう裏道を通っていたところ、廃屋で壊れた大きな木箱をいくつも見つけたと。その箱の側に落ちていたのが」

「その許可証です。壊れてた箱なんだけど、破片が箱の外側に飛び散っていた。あの壊れ具合からすると、ずいぶんと大きな音が鳴ったと思うよ。それこそ、“破裂”したような音がね」


 街から聞こえてきた爆発音。その正体は、多数置かれた木箱が破壊された音であり、なかにオークやゴブリンが入っていたのであれば、音が鳴った後に急に現れたことも説明が付く。


「つまりオークとゴブリンは、リングスの積荷として入ってきたということか? そんなバカな! 搬入される荷物は、なんであれ検査しているはずだ。確認の段階でわかるはずだぞ」

「そうでもありません。リングスからの積荷の確認は、大臣の許可のもと樹林騎士団がおこなっていました。二日前の夜から昨日にかけて、大量の積荷が届いていたはずです。婚約者の国の荷物ですし、特例的に許可が下りたものだと思っていましたが……」


 長く続いた平和の代償。平和ボケと言ってもいいだろう。リングスからの荷物であれば、なんでも搬入することができた。日用雑貨から、“亜人”を詰めた箱まで。


「それにおかしいのは荷物だけじゃない。ゴブリンあいつらの動きもおかしいんだよ」

「それは私もリフィアと話していた。あれでは街を混乱させるだけ。規模の割には狙いが弱い」

「じゃあ話が早い。弩弓のゴブリンの動きもおかしかった。弩弓を出したタイミングを考えると、ミリオーラ様たちを乗せた馬車が入城する直前だってことになる。これじゃまるで、“誰か”に当たる心配がなくなったから撃ち始めた。そう考えられる」


 ここまで証拠が揃えば、この騒ぎの主犯はおのずと絞られる。それも、一人の人物に。


「ならば姉上は!」

「ミリオーラ様だけじゃないよ、皇帝や集まった皇族もだ」


 四人がグラウリース城を見上げると、突如、濃い霧の塊が城の上空に発生する。塊は城の四方を囲むように薄く広がり、霧の中心に映像が映り出される。それは魔術師による投影魔術。皇帝が演説などをする際に使われる魔法なのだが、映っている人物は皇帝ではない。


『やぁやぁ。グラウリースのみなさん。大変そうだね』


 そこにいたのは、リングスの王子にして、ミリオーラの婚約者。ロムナス=リングスの姿だった。

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