本心と偽心と
セルミナが姉を守るため戦闘を始めたころ、ジルカもまた、ゴブリンと戦っていた。
ゴブリンは身軽な体躯を活かし、地や壁を蹴っては短剣を何度もジルカに振るう。
「ふっ……らアッ!」
地面に伏せ刃を避けたジルカは、転がっていた木の板を思い切りゴブリンに向かって叩きつける。
「――!」
ゴキリという鈍い音がゴブリンの首から鳴る。叫び声も上げずにぐったりと地面に横たわったゴブリンの手から、無理やり短剣を剥ぎ取り、慌てて立ち上がれば、警戒するようにジルカを囲む二人のゴブリンが見える。
「どこから湧いて出てきやがった、くそっ!」
少し前、配達の近道で路地裏を通ってたジルカは、不思議な音を聞いた。なにかが破裂するような硬い音が、何度も路地に響いた。そして、現れた。物陰から、空き家のなかから、使われていない倉庫から。まるで虫のように。
無数のゴブリンとオークの大多数は大通りへと向かったが、少数は好き勝手に暴れている。隠れながら金の鶏亭へ戻ろうとしていたジルカは、運悪く空き巣をし家から出てきたゴブリンと鉢合わせしてしまった。
「さぁて……」
ゴブリンが持っていた質の悪い短剣を握りながら、両脇に陣取るゴブリンの気配に注意を配る。二対一。数が勝り、相手を挟み込んでいる状態。
「「――!」」
喉から息を漏らし、ゴブリンが同時に動く。セオリーどおりの挟み打ち。片方は地を滑るように低く、片方は顔を狙うように跳ねる。
「舐めるなっ!」
足元に落ちている木の板を、足元を狙うゴブリンに向かい蹴り飛ばす。目くらましにでもなればと蹴った板は、ゴブリンの額に当たりジルカとは別方向にたたらを踏ませる。しめたと見るや、ジルカは反対の飛び込んでくるゴブリンに向かい大きく踏み込み、自ら体を寄せる。
「――!」
「……ッ!」
顔に突き立てられるように向かってくる短剣を、ジルカは首を捻るだけで避ける。持っていかれたのは髪を一房。代わりに貰うは命。ジルカが真下から突き上げた短剣は、ゴブリンの胸当てを突き抜け深々と刺さっていた。
「ちっ、安物が!」
衝撃で短剣が折れてしまった。ジルカは躊躇いなく柄から手を離すと、血を流すゴブリンの体を掴み、残ったゴブリンの上に投げつける。仲間の死体を押し退け路地の奥に逃げてゆくゴブリンを追おうか逡巡するが、ゴブリンを見つけたと衛兵たちが集まる声を聞くと、大きく息を吐いた。
「はぁ、はぁ……っ、戻らなきゃ……」
ゴブリンとオークの目的はわからないが、人を襲うということは確か。ルイシャとメイランが店にいる。配達に出たイルイラが帰っているかも気になる。だというのに、足が上手く動かない。
「なんだよ……こんなんで動けなくなるほど、軟な鍛え方はしてないだろ!」
もつれる足を叩きなんとか動かすが、一歩、また一歩と進むごとに重くなる。まるで体に付いたゴブリンの血が、重い足枷になったように。
『本当はいきたくなんかないんだろ? 逃げちまえよ』
聞こえてきた声に、ジルカの足が止まる。辺りにはジルカ一人。それでも、その誰の声なのか、誰が喋っているのか、よく知っている。
「俺の、声だ」
『なんだ、わかってるじゃないか!』
楽しげに幻聴が答える。呼吸が上手くできない。体の内側がどろどろと溶けてゆく。そんなジルカに、幻聴は優しく囁く。
『逃げちまえって』
「やめろ」
それは本心で、
『どうせ向かっても無駄だよ』
「やめろよ」
やりたいことで、
『メイランが死んでたら、ルイシャはどんな顔でお前を見るかな』
「やめてくれ……!」
考えてはいけないけれど、
『ああ、死んでるのはルイシャかも』
「やめてくれよ!」
どうしても考えてしまう、
『血に濡れながら、失望した目でお前を見るぞ。なんで早くきてくれなかったのって。お前のせいだって』
「あ、ああ、ああああああああ……!!」
抜けない棘の刺さった心の声。
『そんな目で見られるくらいなら、逃げちまえよ。なぁ、お前。こんな状況なんだ、誰もお前のせいなんて言わない』
耳を塞いでも声は止まらない。
それは内側から聞こえてくるのだから。
幻聴だと言い聞かせても声は止まらない。
それは自分の心の声なのだから。
『逃げて、隠れてやり過ごして、別の街に逃げてさ。逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて……また一から始めよう』
優しく、優しく、見たくないモノは見なくていいのだと、逃げてしまいたいなら、逃げてしまおうと、優しく囁く。天使の歌声のような悪魔の甘言は、心の奥底にまで浸透してゆく。
『それでさ、どうにかヤオズ島に帰ってサキ姉の料理を食べるんだ』
「……久々に食べるサキ姉の料理は、美味しいだろうなぁ」
同意する。これはジルカの本心であり、やりたいことなのだから。
帰りたい。騎士になれずに帰ったジルカを、きっとサキは怒るだろう。それでもサキならば許してくれる。
「サキ姉の料理を食べて、島のみんなと一緒に漁なんかをして」
島での生活は不便でも、街で過ごす煩わしさに比べればどうということはない。悪意の視線を気にすることもなく、嘲笑するような島民もいない。自然に身を任せ、ゆったりと流れる時間のなかで……
「後悔しながら過ごすなんて、まっぴらだ……ッ!」
ジルカは歯を食いしばり、地面に張り付いた足を無理やり動かす。
『おいおい、どうした。怖くないのか?』
「怖いよ。そんなの、お前が一番わかってるだろ」
『だから言ってるんだよ。弱いくせに』
「そうだね。神話の騎士なんて、もとから夢物語だったんだ」
破壊神ミルジや魔族の力にも怯まず、知恵を用いて魔物を蹴散らし、神と大地と人々を助けた勇気ある人間。それが『神話の騎士』。
「そんな存在に、俺がなれるわけないよな。信念なんて欠片も残ってないんだから。……でも、こんな俺でも信じてくれるって言ってくれる人がいるからさ。だから……」
その人たちは、どうしたら信じてくれると言ったのか。
「だから、ごちゃごちゃとうるせーんだよ! 俺のやりたことだろうが、本心だろうが! 間違ってちゃダメなんだ!」
弱くて、弱すぎて、神話の騎士なんて目指せない心でも、その人たちを裏切ることはできない。自分の大切な人を見捨てて逃げ出そうとする心を、間違っていると否定する。
「弱い心はちょっと黙ってろ」
『…………』
幻聴はなにも答えない。重かったはずの足枷が、壊れてゆく。足はまだ震えている。歯を食いしばらなければ前を向いていられない。
「っ!」
それでも、停滞していた時間はやっと終わりを迎えた。




