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後ろ向きの覚悟

「お嬢様! お待ちください! セルミナお嬢様!」


 首都ロンティルトの中心、グラウリース城の廊下に、靴音と呼び止める声が響き渡る。早足で歩くセルミナのあとを追うのは、従者のリフィア。


「まったく、人が寝ている間に勝手に資料を盗み見て」

「…………」

「勝手に一人でいってしまって」

「………………」

「勝手に落ち込んで帰ってきて」

「……………………」

「今度はなんの説明もなく登城ですか。そんなことだから猪姫などと兵に呼ばれるのです」

「か、関係ないだろうそれは!」


 リフィアの言葉を無視し続けていたセルミナが、やっと反応する。


「まったく、何事かと皆さんも見ているではないですか」

「うっ……じ、自分の家にいるだけではないか! リフィアも私に構うな!」

「そんなお顔をしているお嬢様を放って置くなど、できるはずありません」


 腫れの引ききっていない赤い目に、普段はしない化粧に隠された精気のない顔色。おかしいのは顔だけではない。梳かしきれていない髪。正装に着替えてはいるが所々乱れた服装。


「ムラサキ様に、許してもらえなかったのですか?」

「……許してくれるわけがない。ここまでだ、リフィア」


 二人の足が止まる。目の前には大きな扉と、扉を守る守護騎士の姿。ここから先は皇族と許可ある者のみが立ち入れる場所。皇族の血を引くセルミナは自由に入れても、セルミナ個人の従者であるリフィアは立ち入ることは許されていない。許可なく立ち入ろうとすれば、瞬く間に守護騎士に捕まり、重い処罰が下される。


「わたくしに死ねと?」

「決して付いてくるなということだ。わかっているだろう」

「逃げるのですね。神話の騎士を語っていた貴女(アナタ)が」

「……理由が、なくなってしまったのだ」

「それはどういう――」


 リフィアの言葉を遮り、扉が閉まってゆく。閉まる間際に見えたセルミナの顔は、覚悟を決めたように硬く強張っていた。


「なにが覚悟ですか」


 その呟きに守護騎士が怪訝な顔をするが、リフィアにとってはどうでもいいこと。踵を返し、廊下をすぐさま戻る。


 怒っていた。話さないセルミナに、そして話してもらえない自分に。長く仕えてきた従者として、セルミナのやろうとしていることは止めなければならない。後ろ向きの覚悟ほど、セルミナには似合わないものはない。


「お父様なら……」


 口に出しそうになった言葉を、リフィアは唇を噛んで止める。リフィア=クリスタの父――ロージ=クリスタは、もうこの世にいない。だというのに、頼りそうになってしまった自分を戒める。騎士としての強さも、人としての強さも、父には遠く及ばないことはわかっている。だが今は自分が動かなければならない。


「まずは、ジルカ=ムラサキの再調査ですね。次は……」


 ジルカという存在がセルミナを追い詰めている。その訳(わけ)を知らなければならない。セルミナを止める鍵にもなるやもしれない。やるべきことを整理しながら歩いていると、聞き覚えのある声が向かってくる。リフィアは廊下の端へ寄ると、頭を下げ通り過ぎるのを待つ。


「荷物のほうはどうなっている?」

「順次、所定の場所に運ばせております」

「けっこう。――おや、キミは」


 通り過ぎるのを待っていたというのに声をかけられ、リフィアは心のなかで舌打ちをする。目の前にいるのは、リフィアにとって好意を向け難い人物。


「セルミナお嬢様の従者を務めております、リフィアと申します」

「そうだった。たしかミリオーラの近衛騎士団の副団長もしてたよね」

「はい。左様でございます。ロムナス様、先日はお嬢様の危ないところを助けていただき、まことにありがとうございます」


 守るべき主の夫になる人物であり、仕える主人の義兄になる人物でもある。頭を下げることに抵抗はない。抵抗はないが、どうせなら顔を見ずに済むようにと、感謝しつつ頭を下げたままにしておく。


「いいさ。義妹の大事だったんだから。……そうだ! 近衛騎士団は解散なんだから、リフィアも一緒にリングスにこないかい? ほら、ミリオーラも一人じゃ寂しいと思うんだよ。また近衛をやれなんて言わないし、もちろんいい生活を約束するよ」

「申し訳ありません。わたくしはセルミナお嬢様の従者ですので」

「それは残念だよ。なら、今度はセルミナちゃんを誘おう。そうすれば、一緒にきてくれるんだよね?」

「……セルミナお嬢様の従者ですので」

「そうかそうか。なら、頑張ろうかな」


 奥へと歩いてゆくロムナスをリフィアは見送り、再び城の外へと歩き出す。顔は無表情だが、内心は苦々しいものだった。


「女性は視線に敏感なのですよ」

「は、はい……すみません」


 途中にいた若い掃除夫の視線を胸に感じ、思わず注意してしまう。胸を見られるくらい慣れているはずが、ロムナスの粘つくように体を這う視線を思い出し、小さく身震いしてしまう。


 ロージの急な死により、持っていたはずの伝手の大半が失われた。それでもリフィアは残った数少ない伝手から、ロンティルトにきたロムナスが歓楽街で派手に遊んでいる情報を得ている。ロムナスは身分を悟られぬよう遊んでいるつもりでも、物知りな目や耳はどこにでも転がっているもの。その程度であれば若さからくる夜遊びと片付けられるのだが、その情報のなかに一つ、怪しい噂があった。


 ロムナスの買った娼婦が、体の内部から食い破られるように破裂しているという変死体で見つかったのだ。目撃証言から娼婦が一人で部屋に帰った後のことであるため、ロムナスがなにかしたという確証はない。魔具の反応もなく、歓楽街を仕切っている組織でさえも、証拠は掴めていない。だが、リフィアはロムナスの周辺に、深い闇が広がっている気がしてならなかった。


「……そんなところに、お嬢様を向かわせるわけにはいきません」


 証拠が出れば婚約自体を破棄にできる。もし、それが叶わなくとも、セルミナだけは助ける。そのためにも、調べなければならないことは山積み。リフィアは城を出ると、まずは馬車の停留所へと向かった。

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