表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/39

償えないもの

 金の鶏亭の風呂は、元宿屋だけあって広く作られている。騎士団の宿舎、それも貴族専用に作られた部屋の風呂には高級感で劣りはするが、メイランによりよく手入れをされた木製の湯船は、暖かな雰囲気を放っている。


「……」


 天上から落ちた水滴が湯に波紋を作る。広い湯船だというのに端で膝を抱えたセルミナは、ぼうっと波紋が消えるまで見つめる。


「謝るとは、難しいものだな……」


 湯に浸かっているというのに、温かさを感じられない。逆に、ますます体が冷えてゆくような錯覚に陥る。普段であれば広い風呂に足を伸ばし、一緒に入っているイルイラにセイレーンについて質問攻めするくらいはしていただろう。だが、そんな気にはなれない。


「セルミナ様は悪くないよ! 悪いのはルイシャだよ」

「ルイシャを怒ってはいない。むしろ、感謝しているくらいだ」


 あのままジルカと話していたら、どのようなことを言われていたのか。そのことを考えるだけで、また体が冷えてゆく。


「……それに、少し懐かしかった」

「卵の白身をかけられたのが?」

「ああ。私が今のルイシャよりも小さいころのことだ」


 懐かしい記憶。セルミナにとって、苦くも温かい思い出。


「台所でいつものように摘み食いをしようと戸棚を開けると、なかから卵が落ちてきてな。わけもわからず立ち尽くしていると、『はしたない真似ばかりしているから、バチが当たったのですよお嬢様』と後ろから現れた執事に、服を着たまま風呂に叩き込まれた」

「セルミナ様でも摘み食いなんてするんだ」

「するさ。お腹が減っていればな。あとでわかったことだが、私を懲らしめるために、執事が卵をわざと落ちるようにしていたらしい」

「それで、摘み食いしなくなったの?」

「いいや? 戸棚を開けるときに、罠がないか警戒するようになった」


 そしてまた別の罠が仕掛けられ、また失敗したのだとセルミナは楽しげに語る。


「『姫ではなく盗賊になるおつもりですか』などと言われたな。まぁ、姫でも盗賊でもなく、騎士になったのだが」

「その人、セルミナ様が騎士になって怒ったの?」

「……怒らなかった。六年ほど前に、流行り病で急に逝ってしまった。死ぬ間際に『騎士を目指してみてはどうですかな? 盗賊よりはお似合いかもしれまぜんぞ?』などと言われて、悔しかったから本当になってやった」


 セルミナの鼻先に、またポツリと水滴が落ちる。


「剣術の手ほどきは、幼い頃からしていた。養成学校で習うようなことも、執事に教えてもらったりしてな。頑張ったんだ……自慢したい相手がいたから。『ほら、私も騎士になったぞ? どうだ凄いだろう』とな。だから私は、そいつに自慢できる騎士でありたい。怖いのも我慢して、神話の騎士を目指して」


 けれど失敗してしまった。水面に口をつけたセルミナの懺悔は、泡となって波紋を作る。もう自慢などできない。騎士として、人として、やってはいけないことをしている。


「その人も……騎士なの?」

「わからん。この国にいるのかも、な。執事は色々とコネがあったので、生きていれば探すくらいはさせていたのだが……イルイラ?」


 隣に座っていたイルイラの頭が、グラリと水面に落ちる。セルミナが慌てて抱え起こすと、イルイラの顔や体は真っ赤になっている。


「世界が~~……ぐるぐる~~……飛んでるみたい~~……」

「それはノボせているのだ。まったく、長湯が苦手なら先に言えばよかろう……脱衣所まで運ぶぞ」

「うん~~ありがと~~……はね~~しぼらなきゃ~~……」

「私がやるから大人しくしていろ」


 セルミナはイルイラを抱え脱衣所に運ぶと、なんとかイルイラに服を着せ、自分も用意された服を手早く着る。


「ふむ……胸回りはきついが、大丈夫か。イルイラは立てそうか?」

「ぐるぐるしてムリ~~……部屋に運んで~~……」

「子供か。まったくしょうがない。――すまない! イルイラがノボせてしまい、部屋に運ぶことになった! 誰か水を持ってきてくれ!」


 厨房へ声をかけると、イルイラを背負い階段を上がる。イルイラの示すまま部屋の扉を開ける。


「ここがイルイラの部屋なのか? それにしては男臭いというか……ま、まさかムラサキと一緒の部屋なのか!?」

「ちがう~……けど、こっちの部屋のほうがいいの~~……」

「どういう関係なのだ……」

「べっど~~……ぴぅ……」


 背中から降り、ふらふらとベッドに向かっていたイルイラが、ベッドの下からはみ出たなにかに躓く。


「おい、大丈夫なのか?」

「じょぶ~~……う~~ムラサキのにおい~~……」


 イルイラがベッドに横になると、水分の抜けきっていない翼からシーツに染みが広がる。


「怒られてもしらんぞ」


 ますます言い出せる雰囲気ではなくなってしまった。ベッドで動かなくなったイルイラに溜息を吐きつつ、ベッドの下にある躓いた原因を拾い上げる。乱暴に布で包まれた棒状のモノ。ずしりとした重さから、セルミナは武器の類なのだろうと予想する。


「おっと」


 布の隙間から、一枚の朱色の面が床に落ちる。慌てて拾おうと屈むと、次は逆の手に持っていた武器を包んだ布が、適当に巻かれていたためかほどけてゆく。最後には残った布袋から、重い音を立て三界絶刀が床に転がる。


「……やってしまった」


 隠していたモノを勝手に見るのはマナーに反する。見つかってしまえば、また気まずくなってしまうだろう。


「これは……剣か?」


 見慣れぬ武器に、セルミナはクビを傾げる。ジルカが持っていた両刃の鉄剣よりも細く、反りがある。そして、どこか心に引っかかる。


「剣……ではない。これは……刀だ……」


 見たことがないはずなのに、見覚えがある。執事が死ぬ数年前、乗っていた船が難破し、辿りついた先の島で。


『ねぇ、あれはなに? 初めて見る形だわ』

『ぼくのおとうさんが使ってた武器! 刀っていうの!』


 頭に浮かぶのは、また過去の思い出。仲良くなった男の子と交わした、大切な約束。


「あ……ああああ……!」


 震える喉が、勝手に声を上げる。呼吸が上手くできない。まるでノボせたように世界しかいが回る。なのに、体の芯から冷えてゆく。


「たく、なんで毎度毎度、俺の部屋なんだよ……あっ! セルミナなにして……るんだ……」


 水を持ってきたジルカは、床に落ちている鬼神面と三界絶刀を見て声を荒げるが、尻すぼみに声は小さくなってゆく。


「お、おい。セルミナ?」


 泣いていた。顔を歪め、セルミナは涙を流している。


「……すまなかった。全て私のせいなのだ、私の……」

「私のせいって……わからないよ。説明してくれセルミナ」

「できない……できないよ」


 ただの少女のようにセルミナは泣きじゃくり――


「ごめんなさい、ゲンシン……わたしがゲンシンを苦しめた……! わたしもロージも、こんなこと望んでいなかったのに!」


 ――ジルカの本当の名を呼んだ。


「セルミナ!」


 部屋を飛び出すセルミナを慌てて呼び止めるが、セルミナはとまらない。


「なん……で……」


 とっさのことで足が動かない。なぜ泣いていた。なぜゲンシンという名前を、なぜロージという人物を知っていた。


「セルミナが……セラなのか……?」


 その答えを知る者は、部屋のなかにいない。

THE 王道

やっぱりこういうのがないとね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ