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いてはならぬモノ

 ロンティルトの街門を目指し走り去る馬車を横目にしながら、二人は街道から横に少し外れた場所を、遅れている馬車めがけ駆ける。前方を走るのはリフィア。その後ろに、少し離れてジルカが続く。


「まるで風だ」


 ジルカは前を走るリフィアを見て、その速さに嘆息する。サリア大陸にくるまでは修行の一環として自然を相手に走り込み、脚力には自信があった。それでもジルカは、リフィアには追いつけない。


「最近、走り込みサボってたからな……」


 言い訳を呟きながらも気合を入れ直し、地を蹴る足に力を入れる。振り返りジルカを見たリフィアも少し走る速度を落としたことで、ようやく並ぶことができた。


「追いついてくるとは、見直したぞ」

「うる、さい! 嫌味にしか、聞こえないぞ!」

「褒めているのだがな。ムラサキの腰にある剣は、飾りではないな?」

「当たり前、だ! 護衛の依頼だってある!」

「そうか。ならば――」


 言葉を掻き消すように、ドンッ!! と大きな音が前方から響いてくる。速度と振動に耐え切れなかったのか、車軸の折れた荷台が馬を引きずりながら地面を跳ね、宙に舞う。しかも最悪なことに、載せているのは荷物ではなく人。馬がいたからこそなんとか逃げられていた状況。これではゴブリンとオークに追いつかれてしまう。


「ムラサキは救助を!」


 ジルカの腰から、シャラリと音が鳴り剣が鞘から抜ける。抜き放ったのは持ち主のジルカではなく、横を走っていたリフィアだ。再び走る速度を上げ、二十人近くいるゴブリンの集団に突っ込んでゆく。


「また勝手に!」


 思わずジルカは叫んでしまう。これでは、どちらが守られる立場なのかわからない。しかし、救助せずに放って置くわけにもいかないのも事実。


「大丈夫か!」

「う……うぅ……ぶぐ……っ」


 荷台と一緒に投げ出された御者の男に声をかけるが、薄く目を開けるも呻き声を上げるだけ。口からは赤い泡を吹き、体の内部にも傷があることがわかる。急いで街の病院に運ばなければ、手遅れになってしまう。


 荷台に乗っていた人々も、無事とは言い難い。ホロがあり宙に投げ出されはしなかったものの、頭から血を流している者もいれば、意識のない者もいる。鎧を着けた護衛らしき男もいたが、足が折れており動くことはできそうにない。


「おいおい、俺一人でどうにかできる量じゃないぞ……」


 ゴブリンの集団の先端では、すでにリフィアが戦いを始めている。それでも全員を足止めできはしない。脇を抜かれれば、すぐに倒れた馬車までやってきてしまう。そうなれば、始まるのは虐殺だ。


「――あの!」


 濃い死の臭いが立ち込めようとしている街道に、一台の馬車が走り込んできた。どうやら逃げていたキャラバンとは別の馬車のようで、荷は乗っているが数は少ない。十分に人を乗せられる。


「自力で動けない人もいるんだ! 手伝ってくれ!」

「は、はいぃ!」


 御者もそのつもりできたのだろう。協力し合い、急いで自分では動けない人を荷台に乗せてゆく。最後に怪我をした女性に手を貸し荷台に乗せると、ジルカは御者に、急いで病院へゆくように告げる。


「わ、わかりました! あなたは」

「事情があって離れられないんだよ。俺のことは気にせずいってくれ。助けにきてくれて、ありがとう」

「……どうかご無事で!」


 御者は馬に鞭を入れ、怪我人を乗せた馬車が離れてゆく。街道の途中で慌てたキャラバンを見かけ、一大事だと助けにきたのだという。恐怖に顔を引き攣らせながらも、助けにきてくれた御者の勇気に感謝する。


「おかげで自由に動けるよ」


 これで背後を気にすることなく戦える。手には真新しい両刃の剣。護衛を荷台に乗せるついでに拝借していた。最前線では、リフィアがまだゴブリンと戦っている。ゴブリンの短剣を避け、返す刃で次々と血風を巻き起こすリフィアの力は、ジルカの想像を超えていた。だからこそ、ゴブリンに救助の邪魔されずにすんだ。だが、救助したから逃げる、とは簡単にいきそうにない。


 脅威と見た残りのゴブリンが、リフィアを囲もうと動き出す。遅れていたオークの姿も間近まで迫っている。


「逃げたキャラバンの誰かが説明してれば、門番から騎士団に連絡がいってるはず。なら、十分くらいかな」


 たった十分、生き残れば勝ちだ。そうジルカは自分に言い聞かせ、覚悟を決める。


「フッ!!」


 ジルカは鋭く息を吐き、リフィアを囲もうとしているゴブリンのもとへと走る。薄暗くなった空の下、ジルカの行動はすでに眼中になかった馬車側からの奇襲となり、数人のゴブリンが浮き足立つ。


「はあっ!!」


 横薙ぎに振った剣がゴブリンの頭を叩き斬る。人間の身長であれば胴体の場所だが、小さな体躯をもつゴブリンでは頭になる。骨を砕く嫌な感触が手に残るが、気にしているようなヒマはない。続けて剣を振り、二人目の首を斬り、三人目には腕に深い傷を負わせことに成功する。


「きたかムラサキ!」

「当たり前だろ! 依頼人が死んだら、誰が金を払うんだよ!」

「私は右だ。左を頼む。連携が怖い。オークと合流させないように動け」

「人の話を聞けよ! りょうかいだ!」


 後退してきたリフィアと背中を合わせていたのは、その会話の間のみ。ジルカによりできた包囲の穴を、リフィアとともに押し広げる。


 ゴブリンは小さな体躯に不釣合いな大きな頭を持つ亜人で、体躯が小さい分、動きも素早い。オークは巨大な体躯を持ち、動きは重鈍だが怪力で知られている亜人。連携されれば、厄介この上ない脅威となる。


 巨大な棍棒を持つオークを引き離しつつゴブリンを牽制し、二人はゆっくりと後退してゆく。背後を見せて逃げるには近すぎ、攻撃もメチャクチャではあるが激しい。ジルカとリフィアは互いに離れすぎないよう意識しながら、迫るゴブリンだけに剣を振る。


「大儀ある相手は敵だ。悪意ある相手は全部魔物だ……!」


 互いに大儀があるならば、人として戦い、人として斬ることこそが礼儀。しかし、悪意を持ち命を脅かすような相手ならば、それは魔物と変わらない。優先すべきは感情ではなく自分の命。だから気にすることはない。


 護衛依頼で夜盗に襲われたとき、初めて“人”を斬ったことに吐き続けるジルカを見かねて、護衛部隊の隊長が教えた言葉。おかげで、割り切ることができるようになった。


 そしてもう一点、ゴブリンとオークは、個人ではなく種族ごとグラウリース皇国への入国が認められていない。この国にいる時点で、悪事を働こうとした証拠。放置すれば、被害が広がる。


「ふっ!」


 飛びかかってきたゴブリンを剣で薙ぎ払う。が、胴に着けている鉄の部分鎧に刃が当たり、致命傷とはならなかった。脇を狙ったのだが、護衛が持っていた剣は普段使っている剣とバランスが違い、どうにも思い通りの場所を狙えない。


「三界絶刀なら、あんな鎧ごと」


 そこまで言って、ジルカは頭を振る。ないものをねだっても意味はない。それに、三界絶刀は騎士になるために姉のサキから受け取った刀。今の自分に扱う資格がない、と。


「この、ちょこまかと!」


 低い姿勢で襲ってくるゴブリンにジルカは剣を振るが、当たる直前に身を引かれ、攻撃は空振りに終わる。空振りによってできた隙に、後ろに控えていたゴブリンが短剣を繰り出してくる。ジルカは身を捻りなんとか躱すが、ゴブリンは深追いせず後ろに下がっていた。


 人数が半分に減り、ゴブリンの動きが変わった。さきほどまでのように闇雲に襲ってくるのではなく、機を伺い、隙を作り、攻撃してくる。その行動は、リフィアが相手をしているゴブリンたちも一緒だ。


「……そうか。お前らが本命か」


 日が落ちる間際に照らしたゴブリンの口元が、笑ったように見えた。ゴブリンたちは一斉に、胸元の鎧の隙間から薄い布を取り出す。宵闇のように黒に染められた、魔具でもなんでもない、ただの布。だがジルカには、背筋が凍るほど恐ろしいモノに思えた。


「ムラサキ!」

「わかってるよ!」


 夜の帳が完全に下り、黒い布を被ったゴブリンの姿が闇のなかに溶けてゆく。


 素早い動きを警戒したジルカとリフィア、勢いだけだが結果的に逃走を阻止していた雑兵、そして日の落ちるタイミング。偶然助けにきただけの相手を冷静に観察し、環境をも使った策に嵌めた強者つわものがいる。知恵ある亜人マモノの、なんと恐ろしいことか。


 ジルカとリフィアは背を合わせ、闇に潜むゴブリンを警戒する。迂闊には動けない。後退はできない。オークの姿も重い足音も、すぐ近くにある。オークは黒い布を被っていないので姿は見えるが、余計にゴブリンが目立たなくなってしまう。


「……やられたね」


 切り刻まれるか、叩き潰されるか。その両方か。このままでは、闇に目が慣れゴブリンの姿を視認する前に死んでしまう。


 だが――


「絶体絶命だと思うか?」

「いーや。“俺たちの勝ちだ”」


 ――時間稼ぎには十分すぎるほど時は過ぎた。


 魔具の光が、二人ごと街道を照らす。街の方向から聞こえてくる、何頭もの馬の蹄が地を駆ける音。背後に見える騎士の姿に、二人は勝利を確信する。

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