友達と封印
住宅地が建ち並ぶ区画へと歩いてきたジルカとイルイラは、近くにある小さな公園へ入る。露店も飲み物を販売している屋台が一つだけ。迷路のような路地ともまた違う、静かな、のどかな時間が流れていた。
「へぇ~。あの馬車に、この国のお姫さまが乗ってたんだ」
「そういうこと。姫騎士は、第四皇姫近衛騎士団の団長なんだよ」
「かっこよかったよね! だから姫騎士なの?」
「それもあるけど……」
姫騎士がよほど気に入ったのか、公園にくるまでにもジルカを質問攻めにしていた。知っていることは教え、知らないことは知らないと答えていたジルカだが、初めて言い淀む。が、イルイラは気にする風もなく新たな質問を投げかける。
「第四ってことは、兄妹がいるんだよね」
「ああ。いまの第四皇姫は、えーと……三女にあたるんだっけか。上に皇子が二人と、皇姫が一人」
「三女なのに、上にお姫様が一人っておかしくない? 死んじゃったの?」
「死んでないよ。長女の元第二皇姫が継承権を辞退してるから、継承権が繰り上がってるんだよ」
当時は一悶着あったらしいのだが、三女である第五皇姫が、現在では第四皇姫と呼ばれている。
「あとは、下にも五人いたかな」
「おー……多いね」
「好色王って呼ばれてた時期もあるらしい」
皇帝の妻は、正妻と側室を合わせて四人いる。第一子である皇子――皇太子を正室が産んだときには、国を挙げて祝った。そして次の年には側室が皇姫を産み、また祝いの大騒ぎ。そして次の年、別の側室から皇子が産まれ祝われ、さらに同じ年、正室が皇姫を産んだ。
ここまでは、お元気な皇帝だといわれる程度で済んでいた。しかし、五人目が産まれるとまたかと言われるようになり、八人目が産まれた頃には、好色王のせいで家が断絶する、と話す貴族が出てきたほど。年に一度も二度もある出産祝いに、貴族が音を上げたという。
「末っ子の皇子が産まれたときには、本当に破産した貴族がいたとかいないとか」
「……怖い話だね」
「まったくだ」
子供が十人目で止まったのは、金に困った貴族が魔術師を雇い、種無しの呪いを皇帝に掛けたから、などという話もあるほど。
「唯一救われるのは、妻同士もそれぞれの兄弟仲も悪くなくて、どの皇子も皇姫も能力があるってことかな」
「仲がいいのは、いいことだよ」
「そうだな……はぁ」
「なになに? ほかにもなにかあるの?」
「いいや。なにも」
教えろ教えろとイルイラは体を揺らしてくるが、ジルカは喋りつかれたと黙ったまま。そんな二人の前に、小さな来客が訪れる。
「ふわぁ~~~~~!」
髪は綿毛のようにふわふわしており、間からは小さな角が見える。足には靴ではなく、羊のような蹄。サテュロスと呼ばれる亜人の幼女が口をあけ、ベンチに座るイルイラを見上げている。
「おねーちゃん、とりさん?」
「うん、鳥さん。セイレーンっていう亜人なの」
「ふわぁ! おねーちゃんも、あじんさんなの? あのね、はね、とってもキレイね」
笑う幼女につられ、イルイラも笑顔になる。綺麗な羽だからなにかに使える、などという無粋な感情はない。綺麗だから綺麗。その純粋な気持ちを受け取り笑う。ジルカも、やっぱり鳥でいいのか、などと思っても野暮なツッコミは口に出さない。
「んふー、ありがと。キミの髪も柔らかそうで、とっても気持ちよさそう」
「ママとおそろいなの!」
「そうなんだー。でもねー……ふふふふっ」
悪戯っぽく笑い、イルイラは翼を広げ幼女を羽で包み込む。
「アタシの羽も、すっごく柔らかいんだよ~? ほらほら~、こしょこしょこしょ~!」
「きゃ~~! あはははははは! おねーちゃんくすぐったい!」
「まてまて逃げるな~!」
羽をすり抜けキャーキャーと逃げる幼女を、イルイラが追いかけてゆく。二人とも楽しそうに笑っている。その光景に、公園を散歩していた老夫婦も微笑を浮かべている。それはジルカも同じ。路地での出来事からささくれ立っていた心が、穏やかになってゆくのがわかる。
「子供はいいですねぇ、お爺さん」
「そうだなぁ、婆さん」
「……今晩辺り、試しに」
「……そうだな、新しい子供もいいな」
「そこ! 生々しい話はやめろ!」
皇帝も皇帝なら、住んでいる住民も住民だった。どうにも世間は、ジルカの心を癒してくれない。
二人はしばらく公園で追い駆けっこをしていたが、汗をかき息を切らせたイルイラがベンチへ戻ってくる。幼女のほうは汗をかいてはいるが、まだまだ元気そうにしている。地上ではサテュロスに軍配が上がったようだ。
「つ、疲れたよ~……」
「地面を走るのは苦手か?」
「バランスがねー。飛べればアタシが勝つのに」
「小さい子を相手に本気を出すな」
再び近寄ってきた幼女に名前を聞くと、リリと名乗る。公園の近くのアパートに、母親と住んでいるという。
「パパはおしごとで、とおくにいってるの! でもさみしくないよ!」
「えらいねー、リリちゃん」
「うん!」
元気に答えるリリを、イルイラはまた抱きしめる。リリはまだ遊びたそうにしているが、日はずいぶんと傾き、もう夕方時。これ以上は、外も暗くなってしまう。
「わすれてた! きょうはママが、シチューつくってくれるっていってたの! リリ、ママのシチューだいすきなの!」
「なら、早く帰らないとね。送っていく?」
「ううん、だいじょうぶ! じゃあねー、イルイラおねーちゃん! おにーちゃんも!」
公園に生えている木のような存在と見られていたと思えば、リリはジルカにも手を振り、住宅地のなかへと消えてゆく。
「~~♪」
「ご機嫌だな」
「さっそく二人目の友達、できちゃったから」
「二人?」
「ん」
イルイラが翼でジルカを指す。どうやら一人目はジルカのことらしい。
「俺? ……会って数時間しかたってないんだけど」
「リリちゃんなんて、十分で友達になれたよ」
何日一緒にいれば友達だ、などという決まりはない。友達と思ったときには、数分でも数時間でも友達なのだろう。
「……そうか。俺もか」
「うん!」
ジルカはどう返事をすればいいか悩む。どうにも感覚が追いつかない。ヤオズ島に住んでいた頃、周りの子供とは気付けば友達だった。セラとも出会った日には遊んでいた。だがサリア大陸にきてから、友達だと誰かに言われたことがあっただろうか。
メイランは家主で恩人。ルイシャはその娘。一緒に遊ぶことはあっても、どこか遠慮してしまう。ダリアスとは遠慮なくものを言い合える仲ではあるが、友達かと問われればまた違う。仕事終わりに食事をすることはあっても、どこかに遊びにいくような関係ではない。
「どうしたの?」
「自分の交友関係の寂しさに打ちひしがれてた」
二年間過ごした分だけ知り合いはいても、本心から友達だと言えるような相手がいない。そのことを、改めて思い知らされる――のだが、数日後、この話を知ったルイシャとダリアスから散々怒られ、ジルカはデザートと酒を奢らされることになる。
「でも、アタシはもう友達だって思ってるよ? ムラサキは楽しくなかった?」
「俺は……楽しかった、と思う」
もとは依頼と侘びで始めた街案内。嫌なこともあったが、誰かと街を回るというのは楽しかった。しかし、それで友達になれたかと言われても、わからない。それが正直な答え。
他人を友達と思える方法が、思い出せない。
「友達かどうかは、宿題ってことで」
「めんどーくさい性格してるね」
「そうかもね」
一旦保留。友達というモノを思い出せるまで待ってもらう。
「~~~♪」
気を悪くしたということもなく、イルイラは夕陽を見ながら鼻歌を歌う。ゆったりとしたテンポで、心地よい音が流れてゆく。
「……歌」
「なーに?」
「いや、その。セイレーンの歌がどんなもんか、聞いてみたいなって」
惑わされたいわけではないが、人を惑わすというセイレーンの歌声は、どれほど素晴らしいのか。そんな興味が湧いた。
「ごめんね。アタシ、歌えないんだ」
「音痴なのか? そうは思えないけど」
「えっとね。セイレーンが歌っていいのは、国のなかだけなの。国の外では、不用意に人を惑わせちゃダメって決まりがあるんだ。ガイコー問題になるとかって」
それもそうか、とジルカも納得する。どの程度惑わせるのかはわからないが、国の要人を惑わしたりすれば外交問題。下手をすれば、戦争に発展することもあるだろう。グラウリース皇国は今は平和に見えても、八十年ほど前までは戦争をしていた。国境には警備のために騎士団も派遣されている。国外ではいまだ戦争している国も珍しくない。
「だからアタシが国を出るとき、歌を封印されたの。ほら、ここ。あ~~ん……」
大きく開かれた口の奥、喉の部分に、淡く発光する紋様が見える。
「ほぉ? みえう?」
「ああ、うん。見える……よ」
ジルカに見せつけるように開かれた口のなかで、イルイラが喋るたびに赤く濡れた舌が別の生き物のように動き、ピンク色の喉が震える。見てはいけないものを見ているような、倒錯的な気持ちがジルカを襲う。
「わ、わかったから口を閉じてくれ。それよりも、これからどうするか教えてくれ」
「これから? ケーキ食べる!」
「買ったのはパイだけどな。じゃなくて、夜はどうするかってこと。泊まる場所とかさ」
「あー……なにも決まってない、です、よ?」
イルイラはなぜか汗を流しながら目を泳がせる。
「そりゃそうか。今日、初めて街にきたんだもんな。金、どらくらいもってるんだ? こんな時間だから、まともな宿は全部埋まってるかもしれないけど……」
どうせ案内するのなら最後まで。職業柄、街を駆け回ることが多いジルカは、頭のなかに地図を思い描きつつ宿の場所を確認してゆく。
「あそこは……ダメだな。亜人に人気があって、すぐ予約で埋まる。それに皇姫の婚約式典で観光客も多いし……」
「ム、ムラサキ! アタシ、お腹が減った! なにか食べに行こう!」
「いやでも、そんなことしてたら宿が埋まるぞ?」
「いーの! いざとなったら森で寝るし! お勧めのお店とかない?」
「……お勧めね。なら、やっぱりあそこか」
上手くいけば、宿泊先も確保できるかもしれない。そんなことを考えつつ、お土産を手に次の目的地へと向かった。




