時を駆ける王女、貴方に会いに行きます。 byアリス
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(あ…涙。)
濡れた頬を拭って上体を起こします。ここは王立学園の学生寮の自室。窓からは柔らかい春の日差しが降り注いでいます。
時間逆行は正しく発動し、私は七歳まで時を遡り、再び孤児院での生活を始めました。国に保護を求める事も考えましたが、誰が何処まで信用出来るるか分からないため、学園卒業までは自己の強化と情報収集に宛てる事にしたのです。
十歳の魔力適性検査を受けるまで二年と半年。そこから更に三年。体力を鍛え上げ、冒険者登録をしたり、街の図書館に通って情報の収集に努めました。そして今日、学園に奨学生として入学します。全ては未来を掴み取る為に。
手元の懐中時計で時間を確認して手早く制服に着替えます。今日の朝食はホットミルクとハムエッグ。身なりを整えて部屋を飛び出しました。
入学の式典には十分に間に合う時間だったのですが、今日はあの人の最期を夢に見てしまったこともあって心がとても急いてしまいます。
学園の門をくぐって受付を済ませると、奥の方に薄茶色の頭を見つけました。彼でしょうか?人違いだったらどうしましょう。
(確か、前の「時」は、私が教員の方と間違えて声を掛けてしまったのですよね。笑って許して下さいましたが…)
この時の私は緊張と興奮で、注意力が鈍っていました。いえ、この場合は平行感覚でしょうか。
目的の人物まで後少しというところで、バランスを崩してつんのめってしまったのです。こける!と思った瞬間、差し出された大きな手に支えられて、地面とキスをする事は避けられました。
恥ずかしい。何も無いところで躓いた挙げ句、彼に助けて貰うだなんて!
私よりも頭ひとつ分背が高い彼と目が合いました。
(やっと会えた…エルリックさん!)
彼、エルリック=マーチェルは侯爵家の長男で、今日は入学する妹さんの付き添いで来ているのです。
澄んだ琥珀色の瞳に引き込まれてしまいそう。少し癖っ毛な茶髪は日の光を受けて端の方がちょっぴり金色がかって見えて。貴方が、生きて目の前にいてくれる、それだけで胸が張り裂けそうです。どうしましょう。胸の高鳴りがが止まりません。
「あ、あのっ、私……!」
何か話しかけないと。勇気を振り絞って口を開いたけれど、上擦った声になってしまいます。
「おや、これは失礼を。お嬢さんが余りにも麗しいので、つい引き留めてしまいました。お許しください」
冗談めかした、懐かしい彼の声。記憶の中の彼は、女性には優しげに対応しつつも瞳にどこか冷ややかな光を湛えた人でした。でも、目の前のこの人の瞳はとても暖かい。今回の巻き戻しで、彼にどんな変化があったのでしょうか。
そんなことを考えていると、彼が何か思いついたのか悪戯っぽく微笑みました。手にそっと口付けが落とされて…って、うわぁ!顔、顔が熱い!今、私は自分の顔が真っ赤になっている自覚があります!この人はこんなに茶目っ気のある人だったでしょうか?変わりすぎです。私が気付いていなかっただけ?私の心臓は、既に限界を迎えそうです。
「お兄様!探しましたわ…また公衆の面前でセクハラしてるんですの?」
明るく弾んだ声が聞こえたかと思うと、彼と同じ髪の色をした少女が突進しながら彼に抱きつきました。彼女、ロザリア=マーチェルは彼の9つ歳下の妹で私と同じ新入生です。ところでセクハラとは何でしょうか。聞き慣れない言葉です。
「セクハラとは心外だな。嫉妬かい?我が妹は可愛いな」
「もう、自重してくださいと申し上げているんですの!…そんなだから三月ウサギだなんて言われるんですわ」
二人のやりとりにちょっとびっくりしています。彼らはあまり仲の良い兄妹ではなかったと思うのですが。血の繋がった兄妹とは言え、そうくっ付き過ぎるのは如何なものでしょうか。少し妬けてしまいます。
彼女の言葉は少しきついですが、兄を心配する気持ちが伺えます。彼も分かっているから苦笑で返しているのでしょう。
少し落ち着いてきました。顔のほてりも取れたでしょうか。
「確実にいつか刺されますわ…あなたも災難でしたわね!私はロゼリア=マーチェル。マーチェル侯爵令嬢ですわ。あなたのお名前を聞いてもよろしくて?」
彼女、ロゼリアさんに名を尋ねられるのは初めてではありません。でも、前の「時」もその前の「時」も、もっとこう敵意剥き出しだった気がします。
今回は彼女とも仲良くしたいですね。そして助けたい。
「ああ、そうだったね。初めまして、僕はエルリック=マーチェル。この子の兄だよ」
その言葉を聞いて、浮かれていた心が一気に冷静さを取り戻します。ああ、私は、今、上手く笑えているでしょうか?
魔法の使用者以外には時間逆行前の記憶は受け継がれません。わずかな既視感を覚える事はあっても、経験を記憶として知覚できないのです。分かっていたことですが、実際に言葉で理解させられると心にくるものがありますね。けれど……
「アリスです。…私は、アリス。奨学生として入学します。先程は支えて下さってありがとうございました」
…きっと大丈夫。私は何度だってあなたを振り向かせてみせます。今度こそ守り抜いて見せる。だから、覚悟してくださいね。
ループするヒロインって増えてますよね?