私の名前はアリスです。 byアリス
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私は七歳の時に冒険者の方に保護されて、十三歳で学園に入学するまでは地方の孤児院で育ちました。
保護された時のことは、もう朧気にしか思い出せません。ただ、どうやら人攫いに逢ったらしいこと、私を攫った人達は魔物に襲われて死んでしまった様だということを大人達が話してくれました。冒険者の方が発見した時には、もう生き残りは私だけだったそうです。
その方は色々な伝手を通じて私の身元を調べてくれたそうなのですが、身を証明する物が何もなかった為に結局は孤児院に預けられることになったのです。
私が覚えていたのは、七歳という年齢とアリスという名前だけ。余程恐ろしい思いをしたのか、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっていたのです。
私はそっと髪飾りに触れました。これは保護された時からずっと身に付けているものです。勿忘草。悲しい謂われのあるその花言葉は「私のことを忘れないで」。
(エルリックさん…)
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突然ですが、私には実は誰にも言っていない秘密が有ります。その秘密とは私の魔法と出自に関すること。
この世界には魔法と呼ばれる力が有ります。動物、植物、ありとあらゆる生命に魔力が宿り、魔力は世界を廻ります。
魔力量や適性には個人差が有り、人によって使える魔法が異なります。ただ、詳しい原理は解っていませんが、親から子へある程度は引き継がれるようです。今後の研究課題ですね。
私の魔法は[光]と[時]。私の魔法[時間逆行]は使用者を含めた全ての時間を任意の時点まで巻き戻すというものです。
最初の魔法行使がいつだったのかは覚えていません。記憶が引き継げるかどうかは精神状態に左右されるので、全てを記憶しているている訳ではありません。過去には別の方を好きだったことも有り得ますし、結婚して子供がいた可能性すら有ります。
(けれど、今私が此処にいるという事は幸せは長く続かなかったのですね…)
何があったにせよ[時間逆行]が行使されたと見て間違いは無いでしょう。
一つ前の「時」で私達は奴と対峙しました。世界に魔物を生み出し、災厄を振りまく悪しき亡霊。
死して尚も転生を拒み、現世に留まり続ける彼の災いはあまりにも多くを奪い去りました。
私が学園を卒業し、彼と同じ職場に勤め始めて暫くして。隣国ローゼンクラウンとの間に戦争が起こったのです……
そもそもの発端は十年前の第一王女襲撃事件に遡ります。ローゼンの第一王女とハーティアの第一王子の婚約の折。襲撃は王女の乗った馬車が国境に差し掛かった所で起きました。護衛の騎士達と迎えのハーティアの騎士達が応戦しましたが、どういう訳か王女が攫われ行方知れずとなってしまったのです。両国の騎士達にも少なくない被害が出たこの事件は、瞬く間に国家間の責任問題に発展しました。
場所が国境付近だったこと、両国の騎士に共に被害が在ったことなどを鑑みて賠償問題は有耶無耶になりました。ですが、生まれてしまった軋轢は、長く友好関係にあった両国に暗い影を落とし、戦の火種として水面下でくすぶり続けたのです。
(何故こんなことになってしまったのでしょう?)
当時、ローゼンの王女は七歳。私と同じ金の髪に翡翠の瞳も持った同じ年の少女。
戦禍の中見えたローゼンの第二王子は、私と、私の髪飾りに目を留め、驚いた表情で私をアリシアと呼びました。
アリシア=ローゼンクラウン。ローゼンクラウン王国第一王女。それが私の本当の名だと。私はハーティアに騙されているのだと。
兄だと名のるその人は私を連れて行こうとしましたが、それは叶いませんでした。突然辺りに濃い瘴気が立ち込めたのです。そして現れた魔物の群れ。あちこちで怒声と悲鳴、剣戟の音が聞こえてきます。
暫くして、生臭い風が吹いたかと思うと、そこに一人の男が現れました。魔王と人々に恐れられるソレは、そこでおぞましい真実を語りました。十年前の襲撃事件も、今回の戦争も、全ては私の[時]の魔法を手に入れる為のもの。
直接対峙こそしませんでしたが、以前の「時」でもその影を感じることはありました。
この悲劇は全部奴が仕組んだことだったのです!
怒りと悲しみで目の前が真っ白になります。その時、影から一体の魔物が踊り出ました。
間一髪で爪は避けましたが地面が深く抉れてしまっています。当たれば痛いどころではありません。額に汗が滲み、心臓が早鐘を打ちます。極限の緊張状態の中、頭は冷静に相手を観察します。
魔物は瘴気によって生き物が変じた姿です。目の前の魔物は人間で在った頃の特徴を色濃く残していました。
「!…あなたは、ロゼリアさん!?」
一体彼女に何があったのか。そんなことを考える間もなく二撃目が飛んできます。
王子は魔王に攻撃を繰り出していますが、どれも軽く去なされています。こちらを助ける余裕は無いでしょう。
四撃目を避けたところで、爪が肌を掠り血が滲みました。急に身体が痺れて力が入らず、その場に立ち竦みます。どうやらあの爪には麻痺の効果があったようです。
彼女が酷薄な笑みを浮かべながらこちらに向かってきました。魔王が死霊術を扱えるのなら、私を生かしておく必要はありません。殺してから操ればよいのです。
「アリス!」
覚悟を決めて迫る爪を見つめていたその時、私達の間に割り込む影がありました。
ドシュッ――
彼の剣は彼女の首を切り飛ばしましたが、同時に彼女の爪も彼の胸を深く抉りました。崩れ落ちた彼の胸からは赤い命の色が流れ落ち、口からは浅い呼吸音が聞こえます。辺りには鉄臭い匂いが充満し、最早愛しい人の命が助からないことは明らかでした。
涙を流して彼の名を呼ぶ私に、彼は、愛している、と。
まだ痺れの残る身体で彼を抱きしめながら、私は最後の魔力を注ぎ込み魔法を紡ぎ上げていきます。
(…集中しなくては。)
魔物達がが襲って来る、その刹那の魔法行使。魔力の粒子が幻想的に輝く中、私はトリガーとなる言葉を叫びました。
「時よ戻れ。[時間逆行]!」