三郎君のお弁当
『三郎君のお弁当』
こんな仕事があるんだけど、どうかな?
春菜は三郎君に求人情報を見せた。
春菜は転職エージェントに入社して今年で二年目になる。
やっと仕事にも慣れてきた所ニート就職支援員になった。
二ヶ月前から春菜が担当している三郎くんは色白でぱっちりした目が可愛らしい二十七歳の美少年だ。
初めて会った時は、あの、本当にご本人ですか? 弟さんとかではなくて? と危うく聞きそうだった。
大学に一年弱通ったものの次第に行かなくなってしまい引きこもりを続けるうちにこの年齢になり、このままではいけないと思ってネットで見つけてここに来たらしい。
先輩支援員と協力して三郎君を社会人にすべく日々頑張っている。
三郎君は口をきつく結び、瞬きをさかんにしながら求人情報を読んでいる。
瞬きをするたびに彼の長く濃いまつげが春菜の目の前で上がったり下がったりした。
春菜は三郎君のお人形のような睫毛にいつもながら感心した。
三郎君に紹介される仕事はとんでもなく給料が低いものばかりだったが彼には毎月の睫毛エクステ代も睫毛美容液代もいらないのだから、案外、彼自身はそれほど少ないと感じないのかもしれない。
でも何よりも羨ましいのは春菜より三歳年上とは思えない、ぬけるように白くてキメの細かな肌だ。
以前三郎君て超色白いよね、と雑談風にさりげなく美肌の秘訣を聞き出そうとすると、僕、昼間はあまり外に出ないですから、とのことだったので春菜もそれ以来、外に出るたびに日焼け止めクリームを塗りなおしたり、日傘をさしたり、部屋にいる時もなるべく窓側に行かないようにしたりして紫外線対策を欠かさない。
でもクリームが肌に合わなかったみたい、と考えながら一昨日前からあごにできたニキビを触っていると、ぜひやらせて頂きたいです、と三郎君が叫んだ。
じゃあ面接の日程が決まったら連絡するからね、と今日の面談を終わりにすると、三郎君は立ち上がりまるで面接練習の時のように真っ直角にお辞儀をし、部屋を出ていった。
お昼の時間だ。
春菜は携帯で睫毛エクステの予約を済ませた後、外に食べに行こうと思い、つばの広い帽子をかぶり、日傘を片手に喫茶スペースを通った。
ふと横を見ると、三郎君がお弁当をつついていた。
水色のギンガムチェックの包みと、お揃いみたいな水色のお弁当箱には色とりどりのおかずが入っている。
三郎君のお母さんの彼への愛情が感じられ、春菜が思わず、いいな! お母さんのお弁当! と声をかけると、三郎君は、あっ、これは、もごもごもご、と歯切れの悪い様子である。
恥ずかしいのだろうか?
でも春菜の母親はアイドルの追っかけに忙しくお弁当なんか作ってくれないから、うらやましい限りだった。
うちの母親なんか絶対作ってくれないよ、超うらやましい、ちょっとよく見せてね、と言いながら、お弁当箱を覗き込むと玄米にれんこんに蒟蒻にひじきに人参の煮物とまるでお医者さんが書いた本に載っている理想の食事みたいで春菜がここ一年は口にしてないものばかりだった。
やっぱり和食が肌にいいのね。
そう思った春菜は今日の昼食はイタリアンにするつもりだったが急遽和定食屋に行くことに変更した。
『僕が作ったんです』
こんな仕事があるんだけどどうかな? と春菜が求人表を三郎の目の前に差し出した。
三郎は、一瞬色とりどりに塗られスパンコールが散りばめられた彼女の爪に目を奪われたが、すぐに求人票に目を向けた。
未経験者可。システム保守。三十歳ぐらいまで。一週間に三日は夜勤。月給十二万円から。正社員としての雇用……
週の半分は夜勤か。
まあ今までもほとんど夜中起きていて朝寝る生活だからあまり抵抗はない。
月給はバイトもしたことのない彼にとってはこの十二万が多いのか少ないのかよくわからず、いわばどうでも良いことだった。
どうやらパソコン相手の仕事で人にあまり接することも無さそうだから自分にもできそうである。
そして正社員としての採用。これが一番重要であった。
ネットの情報によると働けるなら何でもいいやとバイトや契約社員を始めると毎日の忙しさにかまけてフリータを続ける事に甘んじてしまいもっと年をとってから焦ることになるから何としても正社員になれとの事である。
是非やらせて下さい、と言った後、自分があまりに張り切った口調で言ったので恥ずかしくなり頬のほてりを感じた。
春菜が面接の日程が決まったら連絡するから今日は終わりにしよう、と言ったので、立ち上がり、お辞儀をして部屋を出る。
ドアの閉まる音を聞いたところで思わずため息がもれた。
白いタイルの床を眺めながら、廊下を歩き、喫茶室に入るとコーヒーを買って弁当を広げた。
就職支援センターに通うようになって二ヶ月がたつが、ここで一番好きな時間は面談が終わってからこうやって喫茶室でほっとする一時である。
自分ももう二十七歳。
早く就職したいのはやまやまだったが何故だが面接の日程の連絡がなかなか来なければいい、やはりこの求人は無くなりました、という連絡が来ればいい、とも思ってしまうのだった。
「今週土曜日のお昼頃から睫毛エクステ百本コースお願いします!」
喫茶室中に若い女の声が響き渡った。
「バースデー月割引と春のときめきキャンペーンのクーポンって一緒に使えますか?」
さっき面談をした支援員の春菜だ。
声が大きいので何を言っているか全部よく聞こえる。携帯でエステの予約をしているようだった。
彼女は会う度に三郎が色が白いだの睫毛か長いだの外見の事を言う。
今、大声でエステの予約をしているのを聞いて余程人の見てくれにこだわる人間なんだなと思った。
ふと春菜は幾つなのだろうかと考えた。
若くていかにも軽そうな女だったが名刺にはリーダーと書いてあったし、まさか年下なんてことはあるまい。
予約が済んだらしい春菜がこちらに向かって歩いてきた。
リゾート用のような麦藁帽子を被っている。
三郎の傍らに立つと、三郎君お弁当? と言いながら身をかがめ三郎の弁当を覗きこんだ。
いいな、お母さんのお手製! と春菜が言うので、いやこれは僕が自分で作ったんです、とあわてて反論した。
三郎には何も自慢できるものなんか無いけれど料理だけは自信があった。
半年前、母親に、家でごろごろしてるなら家事ぐらい手伝ってよ、と言われ、本を見ながらチャーハンを作ってみたところ、思いの他よくできた。
それ以来作るのが楽しくなって毎日のように料理をするようになった。
最初は母親が買い込んだ食材を使っていたが次第に家に材料の無いものも作りたくなり、マンションの一階の二十四時間営業スーパに買い物に行くようになったのが引きこもりをやめたきっかけである。
春菜の賞賛の声を胸をときめかせながら待っていたのに、いいなー! うちの母親なんか絶対作ってくれないよ、超うらやましい! 三郎君のお母さん超優しい! 早く就職して親孝行しなよ! とまるで三郎の話を聞いていない様子である。
あの僕が作ったんです、ともう一度言おうとしたがいつのものように緊張するとなかなか声が出てこない。
三郎が喉の奥から何とか言葉を絞り出そうとしているうちに春菜は出口に向かっていき昼時の街へ消えていった。