私と会長
入社から数週間後のある日、梶山社長が予定があるらしく、定時前に退社してしまった。
上司が退社後も延々残業する気分でも、そんな仕事を抱えてもいない。
私は定時で仕事を切り上げ、何気なく百貨店に寄り道して帰ることにした。
最初は、ここの所の仕事の疲れを癒すために、自分へのご褒美のスイーツでも……と思ったのだけれど、その前におもちゃ売り場に足を踏み入れる。
子供向けのおもちゃは、梶山コーポレーションの主力商品である。
事前にホームページは見ていたし、入社してからも、商品を知らないと話にならないので、カタログを見て勉強したり、実物を見せてもらったりはしていたけれど、実際のおもちゃ売り場は、あまり見ていないなと思ったからだ。
地元の老舗百貨店、市井デパートのおもちゃ売り場にも、様々なおもちゃが並んでいた。
今までそんなことを気にしたことなんてなかったけれど、おもちゃの箱をよく見て歩くと、売り場で大きなシェアを占めていたのはやはり大手メーカーだった。
梶山コーポレーションは、業界の中では比較的小さな会社だ。
もしかしたら、地元なのに、1つもうちの商品が置いてない、なんてこと、あるんだろうか。
だんだん不安に思い始めた時、一角に『KASHIYAMA』のロゴマークの書かれた箱を見付けて、私はほっと胸を撫で下ろした。
大きな企業にどうしても勤めたい訳じゃないけれど、メーカーに勤めるなら、どこに商品が売っているのか分からないより、ここに売ってるこういう商品を作ってるって胸を張って言える会社に勤めていたいとは思う。
並べられていたのは、木で出来たおもちゃのキッチン用品のシリーズだった。
木で出来たオタマや包丁、お鍋なんかがセットになっている商品や、大きいものだとシステムキッチンのセットもある。
どれもこれも、小さな女の子が喜びそうなピンクを基調とした色に彩色された、凝った作りになっていて、自分が子供の頃にこんなおもちゃが家にあったら、友達に自慢しまくっただろうと思う。
「それは私が、こちらの先代社長に是非にと提案して以来、ずっと置いてもらっている商品なんだよ」
私が、売り場の前に座り込み、並べられていたサンプルの食器棚を開けて見ていると、横から男性の声がした。
驚いて振り向くと、私の父親くらいの年齢……60代くらいの男性がニコニコしながら立っていた。
「あの、失礼ですが……?」
言われた言葉から察するに、梶山コーポレーションの関係者だろうことは分かるけれど、会った覚えがない。
なのに、どこか既視感を感じるのはどうしてなんだろう。
私が恐る恐る尋ねると、男性はニコニコ笑顔のまま言った。
「ああ、面と向かっては初めましてだねぇ。梶山一至の父親です」
「社長のお父様、ということは……」
梶山一至社長は、最近社長に就任した。
彼が社長に就任するまで、社長を勤めていた先代社長は、彼の実の父である梶山孝至氏。
長男の一至社長に社長の座を譲り、一線から退いた後、彼は会長職に就いた。
「か……会長……!申し訳ありません。ご挨拶が遅れまして……!社長の元で働かせていただいております、日野美里と申します!」
社長を退くまではいつも会社に出社していたという話だけれど、一至社長の就任後、彼は名前だけは会長としながらも、ほとんど表に出ず、会社の運営も一至社長に任せていると聞いていた。
だから、入社以来会社で会ったこともなく、挨拶出来ていないのも当然と言えば当然なのだけれど、私が慌てて言うと、会長は
「ああ、いいよいいよ気にしないで、もう隠居の身だからさ」
と、笑顔のまま答えた。
「瑞穂ちゃんの紹介で、女の子を採用したというのは聞いていてね。少し前に会社に顔を出した時、見慣れない顔の君がいたから、きっとそうだなと思っていたんだ。いやぁ、定時後にも自社製品を売り場に見に来るとは、感心感心」
本当は、スイーツが目的だったとは言えない私は、苦笑する。
「会長は、どうなさったんですか?」
と尋ねると、会長は
「いや、ちょっと近くまで来たついでに奥さんに甘いものでも買って帰ろうかと思ったが、ここに来るとどうしてもこちらを見ずにはいられなくてね」
と答えた。
偶然だけど、行動パターンが丸被りしている。
もし発見されるなら、スイーツ売り場よりはおもちゃ売り場の方がまだましだろうか。
調子に乗って大量にスイーツを買っているところを見られるよりは……。
そこでふと、私は会長も瑞穂さんの名前を知っているのだということに気付いた。
社長は昔馴染みだと言っただけで、瑞穂さんからも詳しい間柄は説明されていない。
人のよさそうな笑顔にほだされて、私は会長に聞いてみることにした。
「あの……会長。社長と瑞穂さんって、どういったご関係なんでしょうか……?」
すると会長は、少し驚いたような顔になった。
「なんだ、あの2人、どちらも説明していないのかい?瑞穂ちゃんの実家がご近所で、あの2人は幼馴染みなんだよ。年齢も、瑞穂ちゃんの方が少し上だが近いしね」
幼馴染み。
それを聞いて、私は妙に納得する。
多分、瑞穂さんが私に仕事を紹介するのを躊躇っていたのは、梶山社長と仕事をすること、そして社長の性格を知っていたからなのだろう。
会長は最後に、さらりと言った。
「2人ともいい年齢になってもなかなか結婚しないから、いつか結婚でもするんじゃないかと思ったけど。瑞穂ちゃんは相手を見付けちゃったようで、残念だよ」
「え……?」
「いや、付き合っていたりとか、そういう間柄ではなかったけどね。父親としては、いい線言ってると思ってたんだよねぇ」
何故か、ツキリと胸が痛んだ気がしたのは、どうしてだろう。
会長はすぐに
「ああいかん。早く帰らないと奥さんに怒られてしまうね」
と行って去って行き、私は1人何とも言えない気持ちを抱えたまま、売り場に残された。