私と面接
「……結局、徹哉とは別れることにしました。彼は最後まで、何を私が不満に思ったのか分からなかったみたいです……。私も、普通に、まだ働きたいから会社に残るよって、言えばよかっただけの話かなとも思ったんですけど……。でも、この人といたら、またいつか、同じようなすれ違いが起こるんじゃないかと思って……。それこそ、彼と結婚なんて、考えられなくなってしまって……」
小さな赤ちゃんがいるお母さんの所に相談に来てしまうのは悪いとは思いつつ、私は在職時から色んなことを相談に乗ってもらっていた瑞穂さんの所に、つい足を運んでいた。
「彼を紹介してくれた田宮くんも、別れること聞いたみたいで。さすがに直接文句言って来ることはないですけど、何か言いたそうにしてます。……なんか、同期の信頼なくしちゃったかな」
私が、徹哉に結婚の話をされた時、喜んで了承していたら、もしかしたら全てが丸く収まったんだろうか。
正直、そう思った。
会社も、本当はそんな風に、円満に私が去る方法を本当は望んでいたかもしれない。
でも、やっぱり今はそんな気分になれなかった。
組織変更も異動も、数週間後の泉の退職後、来月一日付けで発令されることになった。
私がどうするかは、まだ保留にさせてもらっているけれど、いつまでもそのままにしておける訳ではない。
そろそろ、結論を出さなければいけない。
「なんかもういっそ……思い切って他の会社でも探した方が良いんですかね……」
私が溜め息をつくと、瑞穂さんが言った。
「……美里ちゃん。転職を考えてるなら、ひとつ、紹介出来る心当たりがあるにはあるんだけど……」
どうしてか、歯切れが悪い言い方だった。
「瑞穂さんの紹介なら、是非お話を聞いてみたいです。どういう会社なんですか?」
私は、大学を卒業してからずっと今の会社一筋で来た。
1度会社を辞めて転職となると、正直転職活動、というものが上手く行くのかが不安だった。
文学部卒の私は、就職する時にもそこそこ苦労をしたのだ。
信頼している瑞穂さんの紹介する会社なら、是非前向きに考えたい。
瑞穂さんは、自分から切り出したものの、勧めてしまっていいのか分からない、というような戸惑った表情で言った。
「おもちゃを中心に、子供向けの商品を作っている、そんなに大きくはない会社なの。会社の規模だけで見たら今の会社の方が大きいから、まったく同じような待遇で働けるかはわからないけど……」
「まったく同じじゃなくても、大丈夫です。専門技術がある訳でなし、今よりいい待遇の会社を探すのはどちらにしろ難しいと思いますし。職種としては、事務職でいいんでしょうか」
「事務職……でいいと思うけど。本当は私が誘われたんだけど、今働く気はないし……もしかすると美里ちゃんなら合うかも、と思ったんだけど……どうかなぁ。大丈夫かなぁ」
どうかなぁ、と言いながらも、瑞穂さんは私に聞いているというより、自分自身の頭の中で、『私がやって行けそうかどうか』を考えているようだった。
瑞穂さんがこんなに迷うなんて、どんな理由があるんだろう。
「……もしかして、ブラック企業なんてことは……」
まさかと思って私が尋ねると、瑞穂さんは
「あ、ううん。そういうことはないと思う」
と焦ったように言った。
「……そうねぇ……行ってみないと分からないかもしれないし……。1度直接、話を聞きに行ってみる?」
最後にそう言われて、私は1日有休を取り、瑞穂さん紹介の会社に面接を兼ねて話を聞きに行くことになった。
瑞穂さんが紹介してくれた会社、梶山コーポレーションの3階建ての社屋は、住宅街の中に埋もれるように、ひっそりと建っていた。
周囲の一般住宅と左程大きさが変わらないので、社名の書かれた看板がなければ、見落として通り過ぎてしまいそうだ。
今までオフィス街にあるビルの中で働いていた私は少し面食らいつつ、1階にある受付に向かう。
「面接に伺いました、日野と申します」
受付に出て来た女性に告げると、心得ていたらしい彼女は、私を会議室に通した。
「こちらでお待ち下さい」
そう言われた通り、座って待っていると、少しして面接をしてくれるらしい男性が入って来た。
慌てて立ち上がると、彼は私をちらりとみて、
「どうぞ、座って下さい」
と言った。
私よりは年上だと思うけれど、面接と言うと、年配の人が出て来ると想像していた私は、正直思ったよりも若い面接官だな、と思った。
多分、行っていても30代後半だと思う。
眼鏡を掛けているからか落ち着いては見えるけれど、眼鏡の下の顔はそこそこ若いようにも思う。
総務の人か何かだろうか。
「履歴書を見せてもらっていいですか」
面接官の男性に言われて、持参していた履歴書を手渡すと、彼はまず、黙って書面に目を通し始めた。
自分の経歴を、面と向かって見られながらの沈黙に、いたたまれない気持ちになる。
「佐々木……ああ、今は原島か、彼女からは何か説明を受けていますか?」
どうやら、彼は瑞穂さんのことを知っているらしい。
「御社が子供向けの玩具などを作られているということと、事務系のお仕事だということだけ、伺いました。御社の商品については、事前にホームページで拝見しましたが、実際の仕事内容については、こちらで直接伺うように言われました」
私は正直に答えた。
さすがに瑞穂さんの話だけでは会社情報があまりに少なかったので、ホームページだけは事前に調べて来ていた。
昨今は、比較的小さな会社でも、ほとんどの会社が自社のホームページを持っている。
梶山コーポレーションも同様で、会社概要が掲載されていたほか、一部インターネット通販も行っているようだった。
私が答えると、面接官の男性ははぁ、と溜め息をついた。
何か気に触ったんだろうか。
面接の時にホームページを見たか聞かれて、見ていないと言うのは、本当にその会社に入りたいという意思が足りないということでマイナスイメージになると聞いたことがあったんだけれど……言ってはいけなかっただろうか。
内心焦る私と目が合うと、彼は
「……ああ、すいません。あなたに落ち度があった訳ではありませんよ。瑞穂の説明不足に対しての溜め息です」
と言った。
瑞穂、と彼が名前で呼んだので、一瞬ドキリとする。
「彼女と私は昔馴染みでね。彼女があなたのことを高く評価しているようでしたから、形だけ面接はしますが、余程のことがなければ採用にするつもりでした。けれど、事務職と聞いて来たのであれば、あなたの希望からは外れてしまうかもしれません。ですから、もし期待と違うようであれば、断っていただいて構いません」
「あの……どのような仕事になるんですか?確かに事務職とは聞いて来ましたが……せっかくのお話ですし、私に出来ることであれば、前向きに検討したいと思いますが」
確かに私は今まで事務職しかしたことがない。
でも、私がやれるような仕事なら、前向きに考えてみたい。
何より、人生初めての転職。
新しいスタートを切ることになるのだから、どちらにしろ心機一転頑張らなければならない。
私が言うと、面接官の男性は私の顔を真っ直ぐ見て答えた。
「こちらが今探しているのは、秘書……社長秘書をしていただける方です。事務的な仕事が主にはなりますし、1人で営業に行って下さいと言うことは恐らくないと思いますが、社長に付いて営業回りをしてもらうことはあるでしょう。ですから、事務として1日オフィスにいて仕事をしてもらう訳ではありません。もしかすると、オフィスにいる時間の方が短いかもしれない」
秘書。
予想していなかった答えだった。
そういえば、学生時代の友達に秘書検定を取った子がいた気がするけど、秘書って何が出来ればいいんだろう。
仕事内容のイメージが湧かないので、出来るとも出来ないとも答えられないでいると、彼は、
「まぁ、肩書きとしては秘書ですが、資格が必要な訳ではありません」
と言った。
「我が社は、最近世代交代をしたばかりなんですよ。色々と、新しいこと、例えば新規開拓、新商品の開発に力を入れたいと思っている。そう思うと、若干手が足りないところがありましてね。例えば売り込みに行くための資料作成だったりを主には手伝っていただきたいと思っていますが、出来ればサポート役として、主体的に、積極的に動ける人を希望しています。受け身で事務仕事をこなす人と言うよりは、売り上げを上げるためにはどうしたらいいのか、自主的に考えて提案の出来る人がいい。だから、当初元々事務職ではなく営業をしていた瑞穂に声を掛けたんですけどね」
「なるほど……」
営業さんも年代、人によって様々で、資料作成が苦手で、簡単なことでも作成を依頼して来る人もいれば、自分で上手くこなしている人もいる。
瑞穂さんは後者だった。
確かに、元々営業で、売り上げに対する意識が高いだろう彼女には向いている仕事かもしれない。
面接官の男性は続けた。
「事務の仕事をされていた方すべてが、向いていない仕事とは思いません。ただ、事務の仕事を長くされていた方の中には、今まで与えられた仕事を定時時間内にこなすだけで済んで来たために、自分から提案する、という意識が薄い方も一部いる、と思っています。そういった方の場合は、厳しい仕事かなと思います。……日野さんはいかがですか?今まで受け身で仕事をするタイプでしたか?それとも、自分で提案して動けるタイプですか?」
私が就職活動中の学生だったら、深く考えずに『頑張ります!』なんて即答してしまうところだったかもしれない。
ただ、即答するには、私は年齢と経験を重ねてしまっていた。
私は言葉を選びながら答えた。
「今までの仕事を振り返ると、一生懸命やって来たつもりですが、確かに受け身の仕事が多かったかもしれません。私は営業事務でしたから、営業さんが気持ちよく仕事が出来るように、と心掛けてはいましたが、例えばこういう資料を作って欲しいと指示を受けたとしたら、指示通りにするだけで、もっとこういうことをしたらいいんじゃないかという提案まではしていませんでした。こちらから提案をする、という意識自体、なかったかもしれません」
面接官の男性は、じっとこちらを見ていた。
「ただ、転職をするのであれば、思い切って意識を変えることも必要なんじゃないか、とも思っています。私にどこまで出来るかは正直分かりませんが、もし機会をいただけるなら、事務的に仕事をするのではなく、主体的に取り組めるよう、努力したいと思います」
私の答えが、正解だったのかどうかは分からない。
ただ、面接官の彼は、私の答えを聞き、しばらく考えるように沈黙した後、
「……いいでしょう。日野さん、あなたにお願いしてみることにします」
と言った。
「ああ、お給料の額は変わりませんが、会社の規定上、入社から半年は試用期間となります。半年後、特にあなたの業務態度、能力に問題がないと判断されれば、正式採用ということになります」
入社当初は試用期間ということ自体は珍しくはないだろう。
私が頷くと、彼は続けて衝撃の事実を口にした。
「……ああ、申し遅れました。私がこの会社の社長をしています、梶山一至です。つまり、あなたには私と一緒に仕事をしてもらうことになる。……よろしく、日野さん」