私と社長とプロポーズ
「まぁ、これでしばらくは向こうから何も言って来ないだろう」
会長夫妻と別れ、車に乗り込むと、梶山社長は言った。
「それにしても、母は日野をいたく気に入ったようだ。俺達の関係も、恋人同士だと信じきっているようだしな」
梶山社長は満足そうだったけれど、私は今日1日でひどく疲れてしまった。
「社長、いつまでこの関係を続けるんですか?今日も、会長夫人はあんなに嬉しそうにしていらっしゃったのに……。いつか、あの顔を曇らせてしまうんだと思うと、気が重いです」
会長夫人は、本当は恋人同士ではない、という事を隠しながら接しているから心苦しいけれど、悪い人ではないんだと思う。
ただ、素直に息子に恋人を紹介された事を喜んでいるようだ。
だからこそ、この関係が長引けば長引く程、お互いに辛くなるんじゃないだろうか。
私にとっても、彼女にとっても。
すると、梶山社長は信じられない言葉を口にした。
「……なら、本当にするか?」
「……はい?」
「本当に、俺と結婚するか」
梶山社長は言った。
私は、耳がおかしくなってしまったのかと思った。
それ位、唐突過ぎる言葉だった。
「……社長、本気で言ってます?結婚って、そんな簡単に出来るものじゃないと思いますよ。それこそ、会長夫人が仰っていたように、両家の顔合わせとか、親戚への挨拶とか、色々あるんですよ」
私が言うと、梶山社長は、
「俺は本気だ」
と真剣な瞳で言った。
確かにふざけている様子ではなく、何故かドキリと胸が高鳴ってしまう。
「お前を両親に紹介して、今日1日恋人同士の振りをしながら思っていた。俺は、社長という俺の立場に群がって来る女は嫌悪している、が、お前のことは嫌いじゃない。少なくとも、お前の入社以来、一緒にいる時間も長かったし、出掛けることもしばしばあったが、俺の嫌いな女達のような煩わしさはなかった。お前となら、夫婦としてもやって行けるんじゃないかと思う」
「な……何ですかそれ」
「今回の見合いは断っても、お前と別れたという事になれば、また親父が見合い話を持って来るだろう。今お前と本当に結婚すれば、もうそんなことはなくなる」
この人は、何て勝手なんだろう。
結婚してやると言えば、女性がみんな喜ぶと思っているんだろうか。
今までに彼の周囲にいた女性なら、みんな喜んで従ったんだろうか。
他の女性とは違うと言いながら、結局は他の女性と同じだと思われているのだと思うと、余計に腹が立った。
「……社長、よく考えてから仰って下さい」
「何か問題があるか?お互い、相手はいないはずだ」
再度言っても、社長の考えは変わらない。
「問題があるでしょう……」
「例えば?」
威圧的な態度で尋ねられ、私は彼に考え直してもらうには何を言えば1番分かってもらえるだろうと考えた。
夫婦になるなら、今のように誤魔化して側にいるだけではいられなくなる。
1番、今の関係と違うのは。
「例えば……会長夫人は、早く孫が欲しいと仰っていました。私と結婚したら、その……私との間の子供を、ご両親に望まれるんですよ。私と、そういう事、出来るんですか?」
私が言うと、社長は
「出来る」
と断言した。
「俺に寄生して楽な生活をしようとする女を嫁にして、そいつとの間に子供を作って一緒に暮らす位なら、いっそお前の方がいい」
「……馬鹿にしないで下さい!」
私を引き寄せるように差し出された手を、私は思わず払った。
私がそうするとは思わなかったのだろう社長が、驚いたように目を見張る。
何故か、ひどく悔しかった。
「……私は、社長にとって都合のいい女かも知れません。でも、私にだって意思があるんです。……ただ、社長にとって都合がいいからって、言う通りになるなんて思わないで下さい」
そう言うと、私は社長の車を降りて、歩き出した。
植物園から最寄りの駅までは歩いて5分程度。
電車に乗れば、社長の車に乗らなくても自分で帰れる。
早足で駅まで向かう途中、自分が泣いているのに気付いた。
どうして涙が出たのか、自分でもはっきり説明が出来なかった。
梶山社長と別れた後、私は結局『しのはら』に来ていた。
お店に入ると、私の様子がおかしいことに気付いた真奈美ちゃんは、普段は通さない個室に私を通してくれた。
「今日、お母さん達と出掛けてたんでしょう?何かあったの?」
優しく問われて、私は正直に今日あったこと、社長に急にこのまま結婚するかと言われ、彼を拒絶して車を降りて来てしまったことを話した。
「あのバカ兄。そんな言い方じゃ美里ちゃんが可哀想よ」
真奈美ちゃんは、私の代わりに怒ってくれた。
それから、私に聞いた。
「でもね美里ちゃん、バカ兄は本当にバカなんだけど、1つ聞かせて。バカ兄を拒絶したのは、バカ兄と結婚するのが嫌だから?それとも、バカ兄の、言い方が嫌だったから?」
「……え?」
そう言えば。
私は何が嫌だったんだろう。
真奈美ちゃんは微笑んで言った。
「これは、私の都合のいい解釈なんだけど……。美里ちゃん、バカ兄と結婚するのが嫌なんじゃなくて、『美里ちゃんと』結婚したいんじゃなくて、都合がいいから結婚したいって言われたから……都合がいいなら、他の人でもよかったように聞こえたから、嫌だったんじゃないの?」
確かに、思った。
たまたま、都合のいいのが私だっただけ。
『嫌い』じゃないだけ。
でも、それって『好き』じゃない。
梶山社長は、私のことが好きだから、結婚したい訳じゃない。
私は、それが1番嫌だったんだ。
じゃあ私は?
社長のことを何とも思っていないのなら、冗談言わないで下さいって、断れば良かった。
私は社長と結婚して、社長の子供を産むなんて、無理だって言えば良かった。
言えたはずなのに、そうはせず、涙が出たのは。
「私、社長のこと……」
いつの間にか、好きになっていたんだ。
そのことに気付いて、呆然とする私に、真奈美ちゃんは優しく微笑んだ。
「私何か食べ物持ってくるね。ご飯食べて、ちょっと落ち着いてからまた考えたらいいよ。待っててね」
そう言って真奈美ちゃんが部屋を出て行ってから、私は部屋の中で1人、今気付いたばかりの気持ちに戸惑っていた。
でも、気持ちに気付いたところでどうしたらいいんだろう。
社長に結婚しようと言われて、拒否して来てしまったのに。
今更、どんな顔して会えばいいんだろう。
何より、社長は私の事なんて、何とも思っていないかもしれないのに。
ただ、都合が良かっただけ。
そう思うと、背筋がゾクリとして、まだ涙が溢れそうになる。
その時、部屋の扉が開いて驚いて振り向くと、真奈美ちゃんが立っていた。
「ごめん。お料理まだなんだけど、先に差し入れ、ね」
そう言って降り向いた彼女の後ろには、梶山社長が立っていた。
「私から連絡しようと思ったんだけど、呼ぶ前に来たのよ。だから大丈夫、きっと悪いようにはならないと思うから」
真奈美ちゃんはそう言うと、今度こそ料理を取りに行くと言って厨房に向かって行った。
梶山社長と個室に2人きりで残され、私は何も言えずに俯いていた。
沈黙を破り、最初に口を開いたのは社長の方だった。
「……悪かった」
社長は言った。
入社以来、無茶に思えるような事もいっぱい言われたけど、謝罪されるのは初めてだった。
私が驚いて顔を上げると、社長は言った。
「お前が出て行ってから、何故お前が怒ったのかを考えていた。正直、お前が断るとは思っていなかった」
ああ、やっぱり、と私は思った。
産まれた時から恵まれた環境にいて、きっと人に囲まれて育った彼には、今まで自分が拒絶されることなんて、ほとんどなかったんだろう。
「お前が出て行って、正直苛立った。俺のことを拒絶するような女なんて、こちらこそ願い下げだと思った。他に女なんていくらでもいると。……でも、駄目だった」
社長は、真剣な目で私を見ていた。
「やっと気付いた。他の誰かではなく、お前とだから結婚してもいいと思えたのだと。その答えに辿り着いたら、お前が怒った理由にも思い至った。……言い方が悪かった」
あの社長が、こんなにも真っ直ぐに私に謝ってくれる日が来るなんて。
嬉しい、と思うよりも、何だか笑ってしまって、それを見た社長が不機嫌そうな顔になった。
「人が真剣に話しているのに、何で笑っているんだ」
「……ごめんなさい。何だか、社長が私に謝っているってのが、おかしくて」
私が笑い続けるので、社長はしばらく不満そうだったけれど、そのうち、普段の彼らしく、にやりと笑った。
「……さぁ、お前の答えを聞かせてくれないか。俺と、結婚してくれるか」
そして改めて、社長は私にプロポーズをしてくれた。
今度こそ、正真正銘私に向けてのプロポーズなのだと思うと、何よりも嬉しい。
でも。
「……私、もっと社長の事を知りたいです。だから、ちゃんとお付き合いから始めてもらえませんか?」
私がいうと、社長はいたずらっぽく笑って、
「……では、今度は遊園地以外も案内しよう」
と答えた。




