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私と社長と会長夫妻

「日野、うちの母に会ったらしいな」

 翌日出社すると、すぐに梶山社長が言った。

 どうやら、会長夫人から連絡があったらしい。

「……何か、仰っていましたか?」

 昨日は結局、何を聞かれても曖昧にはぐらかして、愛想笑いをしているしか出来なかった。

 もしかすると、不審に思われたかもしれない、と思ったのだけれど、社長は、

「お前と話が出来て嬉しかったようだ」

 と答えた。

「うちの両親と俺とお前の4人で、一緒に植物園に行かないかと誘われた。昨日会った時に一緒に出掛けようという話をしたと言っていたが、本当か?」

 そう言えば、確かに会長夫人は一緒に出掛けないかと言っていた気がする。

 でもまさか、本気だとは思わなかった。


「確かに仰っていましたが……。でも、まさか本当にお誘いがあるとは思いませんでした」

 正直に私が答えると、梶山社長は、

「……まぁ、あの人のことだ。勝手に1人で盛り上がってしまったんだろう」

 と言った。

 自分の母親である会長夫人に対して、社長は呆れ顔で言った。


「まぁ、それでも下手に断るより、俺とお前の関係を強調するためには、一緒に出掛けておいた方がいいかもしれないな。日野、週末の予定は」

「……空いていますが……」

 空いてはいる。でも、やっぱり気は重い。

 けれど、私がはっきり否定しなかったので、梶山社長は早々に会長夫人に了解の返事をしてしまい、私は会長達と一緒に出掛けることになった。

 梶山社長の『婚約者』として。



「いいか、俺とお前は『結婚を前提としたお付き合い』をしている恋人同士と言うことになっているんだ。これから、うちの両親の前で話す時は、不自然ではないように俺のことは『社長』ではなく、名前で呼べ。俺も、美里と呼ばせてもらう」

 約束の日。

 植物園で現地集合することになり、待ち合わせ場所に向かう車の中で、梶山社長は私に指示した。

「……では、一至さんとお呼びします。それでよろしいですか?」

 さすがに呼び捨てにするのは躊躇われて、そう答えると、梶山社長は

「……まぁ、今ひとつパッとしないが、それでいいとしよう」

 とつまらなさそうに答えた。

 何だ。カズくん、とでも呼べば良かったのか。

 それこそ白々しいだろう、と私は心の中で毒づいた。



 会長夫人は、先日『しのはら』で会った時と同様、上機嫌だった。

「美里さん。今日は来てくれてありがとう。一緒に楽しみましょうね」

 会って早々に手を握られ、歓迎を受ける。

 私はまた愛想笑いを浮かべ、

「今日は、お誘いいただきありがとうございます」

 と答えた。


 会長は、

「秘書さん。よく考えたら、以前市井デパートで会ったねぇ。一至とお付き合いをしているなら、教えてくれたら良かったのに」

 と言った。

 会長夫人や梶山社長が私のことを名前で呼ぶ中、会長は私のことを秘書、と呼んだ。

 その違和感を感じていると、横から社長が

「……お父さんと美里が以前にも会っていたとは初耳です。いつの話ですか」

 と問い掛けた。

 そう言えば、入社して左程経たない頃に会長と市井デパートで偶然会った事は、社長に話していなかった。

 まさか、こんな事になるとは思わなかったし、報告するような事でもないと思ったのだけれど……まずかっただろうか。

 若干不機嫌そうな声のトーンに、私は焦って

「入社して、左程経たない頃に、1度偶然お会いしたんです」

 と答えた。

「……ですからあの……まだ、お付き合いは……」

「ああ、していなかったな」

 私が反応を伺うように言うと、社長はどうにか、話を合わせてくれた。

「ああ、何だ。そういう事」

 会長も一応納得したようだ。

 私はひとまず胸を撫で下ろした。



「ねぇ一至、この間美里さんともお話したのだけれど、結婚の時期はまだ決めていないの?美里さんのご両親にもご挨拶しなくてはね。これから親戚になるんだもの。ご両親とも仲良くさせていただきたいわ」

 私の両親に会長夫妻が突然挨拶になんて言ったら、それこそうちの両親も私が梶山社長と結婚するのだと信じてしまうし、問題が大きくなってしまう。

 内心焦りまくりの私とは反対に、会長夫人は、息子の結婚への期待が膨らんで止まらないようだった。

 『しのはら』で話をした時に、まだ具体的には何も決まっていないと説明したはずなのだけれど、むしろ、内容がエスカレートしている。


「美里さん、結婚したらお仕事は続けるの?今は共働きも当たり前の時代ですもの。一至も、公式共に支えてもらった方が安心よね。あぁでも、孫は早く見たいわ。真奈美の所がもうすぐだけど、従兄弟同士で歳が近い方が何かと助かるわよね」

 終いには子供の話にまで発展してしまい、私は本当に何と答えていいやら、困り果ててしまった。


「お母さん、僕と美里は、付き合い始めてまだ数ヶ月なんですよ。勿論、責任を持って、結婚前提でお付き合いはしていますが、本来ならまだご紹介するつもりではなかったんです。見合いの話が出たので、慌てて紹介したに過ぎません。美里のご両親には、もう少し具体的に結婚を考える時期になってから、改めてご挨拶に伺おうと思っています。美里が仕事を続けるかどうかも、子供のことも、その時に彼女の意思を尊重して考えます。もう少し時間をいただけますか?」


 社長が言うと、残念そうな会長夫人に、会長が声を掛けた。

「……そうだね。当人達のタイミングもある。あまり急ぐ必要はないんじゃないかな」

「そうねぇ……。でも、一至がお相手の女性を紹介してくれたのなんて初めてなんだもの。楽しみで仕方がないのよ」

 嬉しそうな会長夫人の笑顔が、胸に痛い。

 それと同時に、私は会長と会長夫人の温度差。

 会長の反応に、軽く違和感を感じていた。

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