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お話99   俺のものなので

 うーこちゃんの携帯端末越しに、荒々しい音がした。

 起き上がる音と、駆け出す音。扉を開け、階段を降りて廊下を走る。

 その過程がはっきりと聞こえる。


 しばし間を置いて、門前の階段上にある玄関のドアが開いた。

 勢いすぎて跳ね返り、出てきた女の子の顔に直撃する。

 驚くやら容態を心配するやら、駆け寄ろうとした無造作ヘアのハンサムを手で制して気丈にも気を取り直した長い黒髪の美人さん。

 顔半分を手で覆いながら石畳をゆっくり降りてきた。

 部屋着らしきパジャマ姿のままだ。


「ぷっ」


 笑い上戸なうーこちゃんが我慢できず噴き出す。

 面倒見の良いゴリさんが、上着を羽織り直しながら鼻を押さえるうるうたんに取り出したティッシュを手渡している。


「笑うな」


 顔を真っ赤にしながら、鼻血を拭きつつショートボブの子に威嚇する。

 しかし迫力のない声と仕草に、うーこちゃんが下腹を抱えて本格的に爆笑しだした。

 ゴリさんもつられるように笑う。

 大丈夫? とコーメー君に心配されるも、うるうたんは首筋まで赤くなりながらなんとか平静を装って頷いていた。

 その視線は姿をあらわした時からこちらを向いている。

 

 顔の下半分を手で覆っているため、表情や細かい感情などは判別できない。

 だが少なくとも羞恥で赤くなった頬と目の輝きは、俺の良く知る艶やかな彼女そのものだった。

 無言で距離を詰めてくる。足のつま先が触れるかというほど近くで、彼女は立ち止まった。同時に街道に設置された街灯が明るくなった。


「甘やかされて大事にされて、それに()れた私の余所見は、君をどれだけ傷つけていたんだろうな」

「まさか」


 くぐもった黒髪の美人の声に、即反応した。


「仕向けたのは俺で、傷ついたのは貴方です」

「それは私が決めること」


 うーこちゃんに視線を向けて彼女の台詞を反復するうるうたん。

 最初にその言葉を発した本人がうんうんと何度も頷いている。


「五里くんの言葉に感謝する」


 先程のゴリさんの問いかけに答える形で、お互いにやりと悪い笑みを交し合っているような気がした。展開についていけてない男ふたりは蚊帳の外だ。


「懲らしめるというか、責任を取ってもらうことにしたよ」

「……」


 胸倉をつかまれ、うるうたんの顔近くに引き寄せられた。

 凛々しくも赤くなった両目と対峙する。


「甘やかしたこと、大事にしすぎたこと、捨てようとしたこと、その全てが私のためだというのなら、責任を取れ」


 内心の動揺を抑えきれず周りを(うかがう)うも、女の子たちは野次馬根性丸出しのにやにや顔。コーメー君は口半開きで呆然とうるうたんを見つめていた。


「どうやら私は明春くんほどこれのことを理解していなかったらしい。五里くんほど懐も深くない。我侭で浮気もので破廉恥な私こそ、これにふさわしくないのかと悔しさで一杯だ」

「納得してもらえたのなら、やっとキューちゃんから卒業できますね!」

「逆だ」


 うーこちゃんのこれ見よがしな挑発に、うるうたんが仁王立ちで腰に手を当てた。

 鼻血が出ていることにも構わず、何故か得意満面で女の子たちを交互に見やっている。あの、鼻血……とかいうゴリさんの心配をスルー。珍妙な光景だった。


「これ以上はない程吹っ切れすぎて、逆に清々しい気分になったよ。もうこうなったら、一生甘えて甘えまくって依存してやることに決めた」

「えー」


 うーこちゃんのわざとらしい不満顔に、うるうたんがふっと首をかしげて口角を上げた。ゴリさんの白い頬が上気し、同じように黒髪の美人も頬を紅潮させている。


「私の体も、八方九介が必要だって言っているからな」

「まねっこ!」


 互いに白い歯を見せながら睨み合う。

 鼻血を出したままのうるうたんは楽しげで、いくぶんおまぬけだった。


 少しの沈黙の後、舗装されていない道の方角からおーいという声がした。

 付き合いの長さでわかる。長身の男前の声だ。

 街灯がない私道のなか、それでも颯爽とした足取りでこちらにやってくる。

 ここに居合わせた連中を見回してうるうたんの鼻血顔に目をとめ、一瞬おほっと笑って、何かに気付いたようにもう一度破顔した。


「笑うなというのに」

「笑うよ」

「それほどおかしいか一慎?」

「これが笑わずにいられるか、なあ?」


 またも赤くなりながら抗議するうるうたんを優しく見守って、うーこちゃんとゴリさんに同意を求める悪友。彼女たちもねーと受け返していた。俺は反射的に頷いた。


 ひとり黄昏たように佇むコーメー君へ一慎が向き直る。

 力ないハンサムを落ちついた様子で見る男前。実に対照的だった。


「お前には同情している」


 そう言われたコーメー君がはっと(おもて)を上げた。

 煽られたと勘違いしたのか強張った面持ちだったが、一慎の横顔は一切のからかいも嘲笑もない、穏やかなものだった。


「俺の気持ちが、今ならわかるだろ?」

「……」

「この子を見ろ。今の彼女を」


 促されて、コーメー君がうるうたんを凝視した。

 俺に視点を定めていた黒髪の鼻血の美人が、コーメー君をしっかりと見返す。


「これが説明できない、そしてその必要もない天然たらしの効能だ。この変態と彼女をけして引き離してはならない。勝負するならこいつをそばに置いたまま、突貫して砕けろ」


 無茶苦茶な言葉を投げかけられたコーメー君が、反論できず震える吐息を吐いた。

 抜け殻のようだと表現した部屋での彼女は想像するしかないが、今のうるうたんは自信に満ち溢れたどうだ顔になっている。

 それを再確認した彼が、力なくがくりとうなだれた。


「思い知れと中立が言ったのは……」


 この差か、と口ずさんだ。一慎だけが頷いていた。


「ややこしい子なんだよ。誰よりも美人で情が深いが、移り気で勝ち気でサドな子で」


 うるうたんがティッシュを鼻に挿し当てながらおい、と突っ込んだ。

 その姿を見て一慎がまた吹いた。ふたりの女の子も同様だ。


「それがわかっていて、俺もお前も好きになったはずだ。先の旅行でわかったことだ」

「……ああ」

「今回でさらに思い知ったろ。結局この子には変態の存在が不可欠なんだよ。是非も理屈もない。理不尽に感じるなら多聞うるうなんていう面倒な女を理解した時点で距離を置くか、まともな相手に鞍替えすべきなんだぜ?」


 肩を組んでくる一慎だが、下げられている気がするので気分としては複雑だ。

 同じように下げられまくりのうるうたんも何だ君は、と腰に手を当ててかつての恋人を糾弾している。


「いい顔だね多聞ちゃん」

「鼻血女だが?」


 ふっと渋く笑ってかぶりを振る悪友。

 笑わば笑えと開き直った彼女の仁王立ちを眩しそうに見つめていた。

 その視線を動かさないまま、一慎が俺の胸倉をつかむ。

 うるうたんに向いたまま、奴は俺に問いかけた。


「もう一度聞いてやる。お前と会っているだけでこんなにいい顔を見せるこの子を、本気で捨てるのか」

「……」

「上戸にも、俺にも、他の誰にもできないことがお前にはできる。道理なんてほざくなよ」

「ひとりに絞れない男は」

「うるせえ」


 なんとか言い出そうとした俺を締め上げて中断させる悪友。

 質問された答えを遮るとは無道だが、ゴリさんとうーこちゃんがそうだそうだと囃し立てたのでつい押し黙った。 


「そんなの気にしてるのは八べえだけなんよ?」


 ゴリさんがそばに来た。手を握ってくる。やさしい触れ方だった。


「最終的にあたしを選んでくれたらいいだけの話。多聞先輩と五里さんなら浮気は許してあげる」


 ぴょんと飛びついて来たうーこちゃんの動きを見て、一慎が一歩身を引いた。

 開放された胸元をさすっていると、うるうたんも再度距離をつめてきた。

 3方から女の子に囲まれ、さらに言葉を失う。

 ティッシュを鼻につめた黒髪の美人が、俯きかげんの俺の顔を挟んで持ち上げた。

 目の前に見慣れない白い物体が付属している彼女の顔がある。


「情では、けして恋にはならないと思うんです」

「だから?」


 ようやく言葉に出した俺のひるみ声へ、うるうたんがかぶり気味に問いかけてきた。


「俺では貴方を女として幸せにはできな」

「知らないなそんなヘリクツは」


 またかぶされた。今度はすっぱりと遮られ、頬をぺしぺしとはたかれる。

 脅されているかのようだ。


「君がいないと私は幸せじゃない」


 親指と人差し指で唇がつままれた。またおかしな発音でしか話せなくなるのだが、この小悪魔はわかっててやっているのだろう。


「私を幸せにしろ、八方九介」

「ふぁい?」

「簡単なことだろ?」


 簡単だよねーとうーこちゃんが当たり前のように呟き、簡単よねとゴリさんも躊躇なく受けあった。


「わかりまへん」


 唇が固定されているので、いつもの怪しい関西弁になった。

 うるうたんがあははと笑う。静かな街道にそれは響いた。


「うるう、俺だけ見ていろ」


 彼女が男のような低い声で俺に命令した。


「そう私に告げるだけでいい。それだけで、君は私を虜にできる」

「うぇ?!」

 

 ええ? と驚きの感想を口にしたが、出た声はうぇだった。

 何度目かのことで、すでに左右の女の子たちからの失笑には慣れている。


 言ってみろ、と命令口調でそれを強要する彼女は間違いなくサド。

 ついでに頬を上下左右と引っ張られる。

 いーとなった口にうるうたんもいーっと目元を綻ばせて真似をする。

 そんな光景にうーこちゃんが混ざり、ゴリさんも加わった。

 悪友が肩をすくめ、コーメー君が苦笑する。


「うりゅう、俺だけ見ちぇいろ」


 何度も促され、左右の女の子からも言えと強制され、うるうたんの本気の目に気圧(けお)されて真摯さのかけらもない発音で応えてみた。


「……おふざけがすぎるだろ」


 口をきめられながら言った台詞に、うるうたんからの真面目なダメ出しが入った。

 うーこちゃんとゴリさんからも引っ張られている。まともな答弁は不可能だ。


「理不尽でしゅ」

「ああ、ああもうわかったよ。変な顔に変な発音……我慢しているが限界だ」


 堪えきれなくなったのか、涙を浮かべながらおなかを抱えて笑う鼻血顔の美人。

 ようやく開放された口元を手でぬぐったものの、女の子たちは皆笑いの渦中だ。


「こんなふざけた、こんな馬鹿らしい展開でこの子たちを笑わせることができるのは、目の前の変態以外いないんだぜ」

「……八方だけか」


 一慎のやれやれといった身振りを見て、コーメー君がぐっと何かを堪えるように唇をかんだ。悔しさを隠しきれない目元が赤い。


「尻軽で移り気な私だが、君からそう言われては無碍(むげ)にできるわけもない」

「あたしはー?」

「うちもー」


 いい所なのに邪魔してくるな! とうるうたんが俺の左右の女の子たちに吼える。

 詰め物が落ちたその鼻からは、少しだけ血が流れていた。

 その様子にうーこちゃんとゴリさんが冷やかしたが、うるうたんはもはや平然とティッシュを詰め直している。


「高明と中立くんいるのに美人さんが平気で鼻に詰め物って……」


 若干引き気味のうーこちゃんに、心底不思議そうにうるうたんが向き直った。

 やっぱり仁王立ちだ。


「開放されすぎて格好をつける気もなくなった。些細なことだ」

「捨てられたら死ぬって言われて平然としている八べえが、そんなことで引くわけないってわかってるからよね」

これ(・・)は、八方九介だからな」


 ゴリさんの問いに当たり前だと頷く鼻に詰め物の女の子。

 悪友が笑いを堪え、コーメー君は泣き笑いの様相になっていた。


「うるうたん」


 多聞先輩、との呼びかけから以前のものに変えて呼びかけた。

 その瞬間に体を震わせ、喜色を(みなぎ)らせて俺の両手を取ってくる彼女に、静かに告げた。


「俺はうーこちゃんもゴリさんも大好きで」

「うん」

「彼女たちを振り切って、うるうたんだけっていうわけにはいかない屑野郎なんですが」

「うん」


 後ろに回りこんだうーこちゃんが背中に抱きついてきた。

 ゴリさん腰に手ををあててにこにこしながら近くに佇んでいる。


「それでもうるうたんは俺のものなので」


 背後におぶさるショートボブの子があはっと高笑いをした。

 横目にポニーテールの眼鏡っ子の会心の笑みがある。

 見る見るうちに紅潮するうるうたんの端正な面容は、いつにもまして美しい。

 そんな彼女の黒髪の頭を引き寄せて、きつく抱きしめた。


「その、つまり何が言いたいかっていうと……俺だけ見ていろってことです」


 理不尽すぎるし外道すぎ、何様にも程がある告白。

 結局吹っ切ることや何かを開放することや開き直りが必要だったのは、どうやら俺のほうだったらしい。

 何事も相手に任せきりで選択させるというのは間違いだった。

 間違い選びなら、自分がすべきなのだろう。

 彼女たちからの答えがどんな結果だったとしても、今度こそ踏ん切りがつくはずだ。

 柔らかい感触と彼女の体温を感じながら、顔を上げたうるうたんと見つめあった。


「ようやく……自分から本心を口にしたな」


 血が止まったのか、詰め物をとったうるうたんが頬ずりし始めた。

 そのうちに額を合わせて何度もぶつけてくる。


「変人で変態で、気が多くて意地っ張りな男め」


 皆が声を上げた。唇が触れてきたからだ。少しだけ深い接触だった。

 離れた彼女の(ささやき)きは、小さいながらも周囲の誰もが耳にしたに違いない。

 むせび泣きながら、それでもゆっくりとしっかりと言葉を(つむ)いでいた。


「君だけ見ていればいいんだな。了解したよ、八方九介」

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