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お話97   抱擁

「何かあったなコイチロー」


 待ち合わせ場所の河川敷で会うなり花子がそう口走った。

 観察するような何かを汲み取るような、そういうまなざしだ。

 本日は晴天気味だというのに、彼女のベリーショートの髪が揺れるほど川沿いに吹く風は強かった。


「あったはあった。いい方向にだけどね」

「客観的にいい方向、だろ?」


 体育座りする彼女に(なら)って、俺も川に向かって腰を下ろした。

 強い風が汗を飛ばしてくれるようで気持ちいい。


「コイチロー的には絶望の淵にいるって感じだな」

「万年振られ野郎だから」


 力なく、ほんの少しだけため息をふくんで答えた。

 横目でそれを(うかが)った花子が呟く。


「キツイんだよなそういうの。アタシが恋愛なんてものに身構えるのは、そういう衝撃に耐える気概がないからなんだ」

「ハナコだって恋をすればいつか通る道だよ」

「理屈じゃないって?」

(さが)というかごうというかね。性懲りもなく繰り返す」


 快晴の夕方の空はまだ明るいものの、梅雨の本番もそろそろだろう。

 雨が増えればこうした外の散策の機会が減る。

 季節に気持ちが連動しないかが少し気がかりだ。


「確認しとこう。アタシは友達だよな?」


 不意に花子が肩を組んできた。

 この子とは珍しい至近距離になった。


「ハナコと俺は友達だね」

「うん。コイチローとの間にはドロドロしたりモヤモヤしたり、そういう余計なものはいらない」


 交錯する互いの目は近くとも、俺の見ている先はあさってだ。

 花子もそれをわかっていてこちらを見据えてくる。


「誰かに頼ったり(すが)ったりするのは、格好悪いと思う?」

「思わない」

「じゃあなぜあんたは誰にも頼らないんだ?」

「……」


 あさっての方向から彼女の瞳に照準を合わせた。言葉はない。

 単純な俺の所作などはお見通しなのだろう、答えようもない沈黙になった。


「コイチローは誰にでも優しいけど、そんな気の遣いように見合った報いは受けているんだろうな?」

「それは勿論」


 変態行為はまさにそれだ。

 特に何の売りもない俺が、彼女たちになにかしら訴えかけるものがあるとすればだが。


「アタシはあんたに頼ったことがある。ほとんど縋ったような気分もあった。知り合ってそうたってないアタシが感じたんだ。他の女ならもっとコイチローの気遣いを受けてるだろうな」


 風邪のときは誰だって気弱になるものだが、あえて反論はしないでいた。


「必然のように相手から頼られるのに、あんたは他人を頼らない。その落とし所はどこでつけてるんだ?」

「心の会議で朝まで自問自答だな」

「……そのうち早死にするぞ」


 恋わずらいで死ぬのだとしたら気の多い俺らしいと思う反面、早死にはごめんこうむりたい。まだまだ生をむさぼってから果てたいものだ。

 目の前にふと影が出来たと思ったら、いつのまにか背中に回りこんでいたハナコが後ろから抱きついてきた。

 包み込むように抱きしめている、といったほうが正しい。


「ナイスなバディだろ?」


 豊かな胸をわざと押し付けるように、強めに首を締め付けてくる。

 問いかけには同意するが、賢者状態の今の俺には柔らかいいい感触以上の感慨はない。ハナコの心遣いに応えるように頷いてお礼だけは返した。


「女を意識して押し付けるなんて初めてなんだぜ? 男にこうすることは、アタシの信念に反するんだけど」


 首をきめられたまま、耳元で花子の息遣いが聞こえた。


「あんたは他の男とは違うから、適応外だ」

「紳士には淑女で対応するものだよ?」

「何をぬかしやがる変態のくせに」


 一笑して頭をはたかれた。

 遠出で滝を見に行った際、色魔と告白してあることを覚えていたらしい。


「早く元気になれ。なってくれ。なんかこう、胸がムズムズするんだ。抱きしめたのも、そうしたくてたまらなくなったからなんだ」

「お世話かけます」

「ふんお子様め。男同然のアタシに母性を抱かせてどうする。らしくないことさせやがって」


 いつもは俺が撫でている。今は逆に撫でられている。

 想像以上に心地いいことがわかった。

 体を包まれる暖かさが心にまで染み込んでくるようだ。


 思わず鼻をすすった。互いに無言。

 爽やかすぎる風が吹き抜けるなか、ナル気分で浸りに浸ってみた。

 失礼だと思いつつもしばしの時間を経ると様式美のように眠くなる。

 いつも以上の寝不足のため、うとうとと夢の世界に片足を突っ込みながら船を漕いでしまった。


 不意に草を踏みしめる音。枯れた小枝が折れたようなぱきっとした音がした。

 花子に抱えられた俺には確認は不可能。

 花子も周囲を見渡す動作をせずにそのまま俺に寄りかかっている。

 自分としても流されるまま黄昏続けた。その抱擁は日没まで続いた。


 本気で寝入ってしまい花子から拳骨を食らって起こされたのは、誰かが近づいたであろう事象を完全に忘れた後だった。





 現金とは自分のことを言うのだろう。

 豊かな母性に癒されて花子と別れてからの帰り道、その足どりは軽かった。

 そんな能天気な自分の視界の先に、婆ちゃん家の前で佇む無造作ヘアのハンサムの姿があった。

 

 近づく足音に気付いて顔をこちらに向ける。

 相手が俺だとわかると、今までさえ見たことのない憤怒と敵愾心をこめた視線を放ってきた。

 どうした、と尋ねようとするも、彼はすべての接触を拒絶するように立ち去った。

 これまでのいきさつから考えて当然かと思った俺は、それ以上深く考えずアパートに戻ってそれっきりそのことは忘却した。

 忘れたいことだって自分にもあるのだ。


 そして翌日になってから、婆ちゃん家に住み込みで働くメイドさんの調子が悪いということで、休校する旨を雇い主から聞かされた。

 無論弁当はないので学食になる。

 お大事にとだけ伝言して、学校で彼女に関わりのある人物に体調不良でうるうたんがお休みするという旨を伝えるだけで事を済ませた。


 お見舞いに行こうとする一慎やうーこちゃんやゴリさんだったが、婆ちゃんからそれは断れとの言伝を(うけたまわ)っていたので、やんわりと説明して理解してもらった。

 説明している俺が何事か把握しきれていないのが滑稽(こっけい)だった。


「手強いわ、明ちゃんどうにも隙がない。あんたには好き好き言うとるのに」


 まったく面白くない台詞を面白くなく口走る関西弁の戯言を聞き流しつつ、辟易(へきえき)としながらも飛ばしまくってくるうどんの汁を拭き取る。

 目の前のおしゃべり野郎は、それでも積極的にショートボブの可愛い先輩を口説きまくっているらしい。

 その心の強さを羨ましく思いながら、隣からこぼれてくるラーメンの汁も拭き取った。


「オレもだ。ようやくふたりで会ってくれるようになったのに、触れることは厳禁なんよ。手すら握れずにどうやって口説けっていうんだ」

「口説くなってことやろ」


 眉がつながりそうな、濃い顔立ちの平良が隣で吼える。

 関西弁が突っ込む。汁が双方から飛んでくる。少しは食べに集中してほしい。


「距離は確実に縮めてるんさ。振られまくってるお前はどうなんだ」

「あの子は思ったより懐は深いで。けどその分意思も強い。まだまだたらしから受けた呪縛はきっついらしいねん」

「同意する」


 箸の動きを止めてこちらを見る前向きな男たち。

 そこへ当事者たる可愛い女の子ふたりが食堂にやってきた。

 俺の座る両隣にうーこちゃんとゴリさんが当然とばかりにちょこんと座る。

 そばにいた平良はゴリさんにはじき出されていた。


「多聞先輩のお見舞いに時間とったんだけど、お婆ちゃんがダメっていうなら仕方ないよね。だったら空いたぶん誰かさんに相手してもらわないと」

「うちデートしたい。この頃八べえまた冷たいんだもん」


 左右から腕を組まれ、食事が進まない。

 大好物のからあげ定食の味がしなくなったのは、関西弁とゲジ眉だけのせいではなく、周囲の痛い視線も含まれていたからだ。特に男の。

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