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お話96   足りないもの

 休みが明けて新たな一週間が始まった。

 あれから俺はうるうたんを多聞先輩と呼んでいるが、朝彼女が俺の玄関で待ってお弁当を手渡すという触れ合いは今も続いていた。


 婆ちゃん家のメイドさんとしての仕事で、うるうたんが俺に弁当を作るというのは彼女なりのけじめなのだろう。

 学校までの道すがら、何度振り払っても手をつないで一緒に登校しようとするのをやんわり諌めてみたが、翌日にはその行動は当たり前のように繰り返された。

 朝の登校時間だけが触れ合う唯一の機会になっている。

 近くでなくとも見守る、と自分に課している以上、これくらいの接点は妥当な判断なのだろうか。あれから無表情に近い能面のような面持ちの彼女からは、その意図が読めない。一慎もけじめと称して一緒に登校することはなくなった。


 事情を知ったうーこちゃんやゴリさんも、今回ばかりは事態が深刻すぎて間に入ることさえできなかったようだ。それでも顔を合わせばうるうたんとコーメー君の今後についての話題がどうしても持ち上がる。


「あいつ気負いすぎて空回りしてる気がするんだよねえ」


 昼休み、同好会部室にてうーこちゃんがお弁当を食べ終えて呟いた。

 お茶を淹れながらゴリさんも頷く。


「彼がそう思いこむのもわかるよ。それとうちが多聞先輩と話してみて冷静すぎるというか、事象の報告みたいに淡々としてたのがちょっと引っかかるんよね」

「まあそれは当人に任せよう。外野がどうこう心配することもないさ」


 ゴリさんからお茶を受け取って、一慎が焼きそばパンにかぶりついた。

 話の内容的に、ゲジ眉の平良とか、一年の関西弁はこの会合からはずされたらしい。

 女の子ふたりの判断だとか。


「一度振られて今度は自分が振った。その感想を聞きたいが」


 一慎の問いかけに彼女たちは遠慮がちにこちらを見た。

 気を使ってくれているのか、いつもの積極的な突っ込みとか質問の類が、この子たちから出なかったからだ。悪友が代弁した形となった。


「やっとこの日が来た、という奇妙な達成感と喪失感がないまぜだ」


 うるうたんの作ったお弁当を口にしつつ、一言一句ゆっくりはっきりと喋った。

 箸でつんつんと卵焼きをつつく。目線を上げられるほどふんぎりはついていない。

 

「喪失感は俺も同じだ。達成感てなんだ?」

「彼女をちゃんとした男に任せられた、という自己満足」

「俺はちゃんとしてなかったってか」


 一慎が笑いながら拳骨の突っ込みを入れてきた。おふっとご飯を噴き出す。

 ゴリさんもうーこちゃんも少しだけ笑った気がする。


「準備期間が俺にはあった。それに耐えうるいろんな出来事があったからな。春の温泉で、もう覚悟はできていた。しかしお前は」

「俺も一緒だよ一慎」


 彼女が他の誰かを選ぶであろう覚悟なら、半年以上前からついている。

 選ぶというか、選ばせたというか。

 以前はともかく現在うるうたんに一途なコーメー君なら、不安材料はないに等しい。

 比べる対象が俺というのなら尚更だ。


「それにしてもあの野郎女にもてるってのが半端ないぞ、ロール髪の女からいろんなのに纏わりつかれてる」

「王子様風のハンサムだものね。女の子のほうで放ってないんよね」

「もてすぎてあたしに悪いっていうから、振られたんだけど」


 うーこちゃんからの何気ない告白。

 この子が去年の春に、幼馴染のコーメー君から振られたことを思い出す。

 ロールパンのような髪型のモデルのような女の子を好きになったから、卯子とは付き合えない、とかなんとか。


「それでもあのときはまだ高明を好きだったんだけどさ。今初めて皆に話すけど、あいつが好きになったんじゃなくて、向こうから好き好き言われてたらしいんだよね」


 えっと一同が驚いた。初耳なので俺も箸を止めてうーこちゃんを見た。


「あまりにも好きになられて纏わりつかれている間に情が沸いたんだって。同情なのかなそれって」

「情にもろいってことなん? 意外だね」


 ゴリさんが冷淡に突っ込む。コーメー君に何故か隔意がある彼女は他の女とは違い、外見の秀麗さにまったく価値を見出してはいないようだ。


「距離があるあたしの学校より、近くの女子高のあの子のほうが会いやすいっていう利点もあっただろうしね」

「振り切れないことがわかっていて纏わりつく女と、気心知れた幼馴染の両天秤に上戸のほうが疲れたか」

「うん。あたしは芯が強いって常に言われてたし、何度もキューちゃんのこと話してたから、どちらを選ぶかはあいつのなかでは明確だったみたい」


 一慎の分析にこくりと首を縦に振るうーこちゃんが、肘をつきながらお茶を一口。

 ゴリさんにその肘をパシっとはたかれていた。


「で、あたしを振ったあとあらためてその子も振って、全部なかったことにしたんだって。プライドの高い女の子だから、同等の扱いでなんとか理解してくれたって」

「面倒臭え」


 一慎がげんなりして吐き捨てた。俺も少しそう思った。


「つまりまあ、弱い所とか優柔不断な面もある奴だけど、今回ばかりは毅然と他の女は排除するって言ってたよ。多聞先輩と本気の恋をするんだってね」

「覚悟は上等」


 お茶を一気飲みした一慎が鋭くささやいた。

 問題はそれからだ、と続けて女の子からの賛同をもらっていた。


「てことは、もううちの相手は明春さんだけだってことなんよね?」


 ゴリさんが隣に椅子を引いてきて、こちらにもたれかかってくる。

 それを受けてうーこちゃんが早速膝に乗ってきた。


「そうだった、あたしはあたしの戦いをしないとだ!」

「あの関西弁の子も情熱的だね。明春さんのことあちこちで好き好き放言してるけど」


 俺の目の前でショートボブの髪とポニーテールの髪が揺れている。

 含み笑いで睨み合う彼女たちにも、いずれは答えを出さないといけない。

 一途でないなら一兎も得るべきではないのだ。


「五里さんこそあの濃い顔の同級生といちゃいちゃしてるじゃん! あたしこの前見たもん」

「違うよ! 八べえ違うからね、皆と一緒で出かけたんだから。ふたりきりじゃないから」


 からかう声に慌てる声。いつもの風景に一慎の吹っ切れた顔が今は眩しい。

 俺はこいつほど達観できているだろうか。

 女の子たちの明るい賑やかなやりとりに今は救われている。

 そしてあえてそうしてくれているのがわかっている。

 うるうたんもこの子たちもいい女だ。

 いい女にはいい男がつくのは道理。つまりあと2回、こういう思いにとらわれることになるとあらためて実感した。





 しばらくは起伏のない学校生活が続いた。

 朝にうるうたんと手をつないで登校するのはさすがに目立つらしく、どこのつながりかは知らないが、早速コーメー君の耳に入ったようだ。


 彼自ら俺の元を訪れ、余計な接触は控えるようにきつく諭された。

 黒髪の美人さんとの唯一の接点はこれで断たれることになった。

 婆ちゃん家によって弁当を受け取るたびに彼女が何か言いたげにこちらを見つめてくるが、お互い言葉を交わすこともなく別々に学校に行くことになった。

 ときどきうーこちゃんやゴリさんが彼女のそばについて登校しているようだ。


 一慎は他の女の子と一緒にいることが多くなっていた。

 当然全学年の生徒たちは美男美女のペアが別れたのかと騒然としたが、放課後学校まで迎えに来る無造作ヘアのハンサムの存在を確認して沈黙した。

 圧倒的な美男子のコーメー君に他の男が太刀打ちできるはずもない。

 隙あらば周囲に群がる男どもの大部分は己を省みて撤退したが、自信のあるわずかばかりの男もうるうたんから強い肘鉄をくらって全滅していった。

 以前に漂わせていた近寄るなオーラと鉄火面が復活したと専らの噂だ。

 情報源はお喋りな後輩の関西弁から。

 男性教師ですら持て余すほどの対応ぶりらしい。

 男嫌いの復活は、新しく出来たであろう美男子の恋人の存在があるからだろうと推測されている。


「そろそろわしも攻勢かけたいねんけどな」


 放課後、体育館裏で呆け日和とばかりに黄昏る俺の隣で、目ざとく見つけてやってきた関西弁がそう口を開いた。

 晴天の空に雲がかかった。日差しが和らいだかと思えば、吹きぬける風が頬をなでていく。もうすぐ雨の季節だ。


「黒髪の綺麗な美人さんがたらしから本命に乗り換えたところで、わしも可愛いあの子をダメ男から奪い取りたいんで」

「たらしのうえにダメ男か」

「そうやろ?」


 欲しいものをそうと主張せんで、戦わずして白旗の男なんぞダメ男の典型やん。

 奴は臆面もなくそう断言した。


「どうせなら砕けて散るのが男やろ」

「ばらばらになったその後どうする」


 体育座りの俺の横であぐらをかいた関西弁が、お茶を飲み干してにっと笑った。


「相手が拒否せんかぎり、何度でも蘇って当たりに行くわ」


 お前と一緒にするな、と言いたげな口ぶりだった。

 確かにこの男なら達者な話術と相手の集団に紛れ込む人懐こい対応能力で友達のまま居続けることはできるだろう。まさにこいつだけの特技だ。


「濃い眉の平なんとかさんも攻めとるで。あの色っぽい眼鏡の先輩もそれを拒否してへんし、あんたの魔の手から助け出すことに、皆必死や」

「……必死か」


 俺に足りないものは執念とか執着とか、あるいは強引さや情熱か。

 こいつも平良もコーメー君も、執着や情熱や強引さが時には必要だと示してくれている。ゴリさんからもそう言われたことがある。

 優しさだけで満足するほど、女性はそう甘くない。


「多聞先輩がいつもの凛々しい清楚な美人でいられるということは、あんたのくびきから逃れてもそう大した影響はないっちゅうこっちゃ。これはわしとして喜んでええことやろ。明ちゃんにもそれは当てはまんねんから」


 たらし先輩もそうたいしたことなかったな、と関西弁はまたも断言する。

 それに対する俺の反応はない。正論に反論はない。


「いつまでも同じ場所にとどまってるあんたと、動き始めているそのほかの全員と、誤差の違いでもそのうち大きくなってくるで」

「……ああ」


 埃をふりはらうような動作をして関西弁が立ち上がる。

 俺を見下ろす意味ありげな視線は、一瞬で逸らされた。


「相手が運んでくる好意を受け流して悦に入っている罰やな。せいぜいのたうち回って苦しめばええ」


 発奮させようとしているのか、怒らせようとしているのか判別がつかない。

 ただ的を射た放言だということだけは確かだ。


「明ちゃんと一緒に帰るわ。部員の邪魔があるけどな」


 後ろ手を振って関西弁が去っていく。同時に俺も立ち上がった。

 奴に少しでも情報を渡すわけにはいかない。

 今から花子と友達としての付き合いがある。

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