お話95 捨てます
一睡も出来ず、朝が来た。
横になるだけはなったが、考え事で夜を明かしてしまった。
婆ちゃん家で代行の仕事をこなし夕食をともにしてから、アパートに戻ってからの記憶が曖昧だ。
悶々としたまま何時間も過ごすも、あっという間の出来事だった。
うーこちゃんとゴリさんとはどうなるのかまだわからないが、うるうたんとの関係を振られる前かそのすぐ後の状態に戻す必要がある。
もしくは、さらに間をあけるべきか。
いろいろ込み上げてくるものがあって泣けてきた。すべて自業自得だ。
鼻をすすって立ち上がり、お茶を淹れようと台所に向かったところで連絡が来た。
悪友からだ。
「上戸から話を聞いた。また泣かせたそうだな」
「……ああ」
泣かせた、との言葉に心にさざなみが立った。
しかし実際これから泣くのは俺になる。
「多聞ちゃんあいつの胸の中で、朝まで泣き通しだったそうだぞ」
「それは悪いことをした」
人事のような返事に少し間が空く。
ふう、という嘆息が聞こえた。
「詳細は知らないが、これからどうするんだ」
「責任はとる」
「とは?」
今日、もうはっきりさせよう。
話の内容的にこのアパートしか場所はない。
「多聞先輩と俺は、友達だから」
宿泊先から戻ってきた美男美女と、ワイルド系ハンサムを出迎えたのはお昼前。
うーこちゃんとゴリさんにはあえて連絡しないでいた。
わざわざ気分を悪くする瞬間に立ち会わせることもない。
彼女も一切睡眠が取れなかったのか、瞼は赤く腫れて目の下にくまが出来ていた。
傍らで手をつなぐコーメー君の敵愾心のこもった視線が突き刺さる。
少し遅れて一慎が姿を現した。
黒髪の美人の様子に痛ましい視線を向けつつ、俺のそばに腰をおろした。
ローテーブルを挟んでうるうたんとコーメー君が並んで座っている。
「中立を呼んだのも、この話のためか」
コーメー君の静かな問いかけに頷く。
隣のうるうたんは瞬きを多めに、それでもこちらをうつむき加減に凝視していた。
「それで」
「……存在自体が枷だと俺も思う」
悪友が促して俺に話を振る。
しばしの間をあけて口を開いた。
「あまりにも気安くしすぎた」
うるうたんの視線に耐えかねて下を向く。
「昨日、俺は暴走しすぎてこの子に」
「違う!」
暴露しようとする俺を遮って彼女が叫んだ。
押し黙ったものの、事情を察したコーメー君が身を乗り出した。
「うるうちゃんに拒否された。それで意趣返しに不貞腐れて彼女の誘いを断って帰った、だろ」
「そうだ」
怒りのコーメー君の言葉に即答した。
あっさり答えた俺に無造作ヘアのハンサムのほうがひるんだ。
「義理や情で束縛するのも、ようやく潮時かと思ってな」
息をのむ音がした。しゃっくりのような大きいものだった。
隣の美男子を見て言った台詞のため、彼女の詳しい反応はわからない。
「受け入れられないとわかればすぐ突き放す。君は子供すぎて彼女を苦しめるばかりだ。うるうちゃんにふさわしい男じゃない。潔く身を引け」
「高明!?」
驚愕して隣の恋人を見るうるうたん。もうその扱いでいいだろう。
ひとつ咳払いをして間を取り、あらためて黒髪の美人に向き直った。
「俺が貴方を嫌いになることはありません。だけど」
青ざめながらもなお綺麗なこの子に、今だけは笑いかけることができなかった。
見せるのは、精一杯の真摯であってほしい顔だ。本気だとわかってほしい顔。
「嘘をついてしまいました。約束とか軽く言ってしまって」
「九す――」
「多聞先輩、恋をちゃんとしましょうね。俺は少し置いていつでも見守ってますから」
「……」
一慎が驚倒せんばかりに膝を崩した。
コーメー君は怒気を含んで俺と視線を交錯させる。
今回は逸らすわけにはいかない。目の前の彼が本気なように、俺も自分を追い込んで覚悟を示すときだ。
沈黙が漂ってしばらく過ぎた。
睨み合うも一切目を逸らさない俺に、コーメー君のほうが先に横を向いた。
無論隣の彼女を窺うためだ。
「……なでてくれなくなる?」
完全に俯いてしまったうるうたんがぽつりと呟いた。
綺麗な長い髪で表情は見えにくい。
「触れ合ってくれなくなるの?」
「うるうちゃん」
コーメー君が肩に手をやるも、彼女はそれに反応することなく少しだけ面を上げた。
見ているのか、見ていないのか、うつろなまなざしだった。
「けして離れないって言ってくれたのに」
「……」
「私を……捨てるのだな」
唇を震わせ、何かを堪えるようにきつく噛みしめながらも俺を凝視している。
瞳はうるんでいた。
「捨てます」
その瞬間、一慎がつかみかかってきた。
テーブルの上の湯呑がぶつかり合って、派手な音を立てる。
「てめえ」
「友達なのは変わらない」
悪友の剣幕に比例するかのように抑えた俺の声は、自分でも冷めていると自覚している。そんな態度に震える唇が開くも、言葉は出てこないうるうたんの肩を抱くコーメー君。
「触れ合うことも変態のようなことも、もうしない」
肌との触れ合いが彼女を縛っていた最大の要因だと思う。
情緒不安定だった彼女につけこんだ形になったから、今の混乱がある。
「後はまかせた」
コーメー君に言ったものだ。
はっとして彼が俺を見る。胸倉をつかんでいた一慎がそんざいに突き放した。
声にならない叫びをあげて、うるうたんが身をよじった。
暴れるのを抑えるかのように、隣のコーメー君が抱きしめた。
「言い方というものがあるだろ! 君は何度彼女を泣かせ、傷つけたら気が済むんだ!」
彼も叫ぶ。悪友もうるうたんを抑えにかかる。
自らの肩を抱き、大きく震える彼女に寄り添った。
「こんな……こんな奴にこの子は」
うるうたんの尋常じゃない狼狽とコーメー君の怒りと場の雰囲気に、俺もこのときは自省が効かなかった。
食いしばる唇から鉄の味がする。
だん、とローテーブルを叩いた。衝撃できしむ音が大きく響いた。
「どんなに言い繕おうと、距離を置くことが捨てるというのなら何度でも言ってやる! 俺は多聞うるうを捨てる」
吸い込んだ息が空になるほどの大音量で叫んだ。
これほど激昂した記憶は過去にない。
悪友はもとより、うるうたんも泣きはらした顔で、コーメー君も呆然としてこちらを見つめていた。
「だからこそ……あとは君が全て受け入れろ」
「……」
3人とも固まって返答はない。俺は深い深呼吸で昂ぶりを抑えた。
「五里くん?」
不意にうるうたんが口を開いた。
立ち上がって玄関に向かっていた自分の位置を始めて自覚した。
「明春くんなの?」
「いや彼女たちは」
「私も、君を祝福すべきなのかな」
ゆっくりと彼女が身を起こした。静かに俺に近づいてくる。
顔が赤く腫れ、痛ましい青ざめた面持ちになっても秀麗さは損なってはいない。
「いつかそんな時が来たら、そのときは……」
「イヤだ」
胸を何度も叩かれる。
息を荒げ、俯きながら何度も何度も。
「イヤだイヤだイヤだ」
「……」
「嫌いになることはないと言うその口で、私を捨てるというのか! 離れないって言ったじゃないか! 近くにいてくれるって」
「大好きですよ多聞先輩。それでもあとは彼の役目です」
彼女はかぶりを振った。いやだ、と連呼している。
「うるうって呼んで」
駄々っ子のように叫び、泣きすがっていやいやをするその姿は俺のよく知る彼女の一面だ。だがふたりの男は普段にないこの子の荒れように驚愕するばかりだった。
「うるうたんって呼んで」
「多聞先輩。名前を呼ぶのは」
「やだってば!」
「そのうち慣れますよ。こういう変態が近くにいるな、っていう認識程度で覚えていてくれれば」
力強く抱擁された。逃がすものかときつく抱きしめてくる。
「今すぐ」
彼女の目は本気だった。
血走っているのは、泣いたためなのか興奮のためなのか。
「私を抱け。私が欲しいならいつでも受けてあげる」
「うるうちゃん!?」
「多聞ちゃん」
あぐらをかいている一慎と、立ち上がりかけたコーメー君が同時に叫んだ。
当の本人はそれに一切反応しなかった。
「そうですね」
うるうたんが顔を上げた。
できるだけ優しく抱きしめた俺の胸のなかで、せつなさそうな顔がさらに悲哀で歪んだ。
「こうして抱くのはこれで最後かもしれません。先輩をお嫁に出す気分ということにしておきますね」
「……」
何度もうるうたんの背中をさする。
長い髪が指にからんだ。いい匂いがする彼女を今だけは存分に堪能する。
「幸せになってください。あとになって俺が取りすがっても、今更遅いと冷たく突き放してください。嫉妬で狂うかと思うほど彼と仲良くなれば、それが貴方を誑かした男に対する意趣返しです」
腕の中をすり抜けるように、うるうたんが腰を抜かした状態でへたりこんだ。
同時に男ふたりが彼女にかけよった。
「やめろ上戸!」
俺に殴りかかろうとするコーメー君を鋭く叱咤する一慎の声。
「お前九介に何か言ったろ」
「なにって……」
「多聞ちゃんに対する九介の態度が不自然だ。どれだけこいつを抉ったんだ」
一慎と目があった。
年来の悪友は俺の所作から何かしら変化を感じ取っていたのか、物知り顔だった。
「俺は……八方さえいなければ彼女はちゃんとした恋ができる、だから自由にしてやれって促しただけだ」
「何もわかってねえなお前」
当事者の俺は石、うるうたんはへたりこんだまま虚空を見つめていた。
男前同士がつかみ合いになっている。
「こいつがいなくなった多聞ちゃんを、全て受け入れる覚悟ってものがあるんだろうな」
「当たり前だ」
お互い頭突きをするように、火花を散らすように接近して睨み合う。
「八方の呪縛から抜けて、俺とこの子はちゃんとした恋をするんだ。情が深くて優しい彼女につけこんで振り回す、こんな八方美人な男に、うるうちゃんを任せるわけにはいかない」
「思い知れ」
「何?」
一慎から文字通り身を引いた。
気合をすかされたようなコーメー君の呆け顔と、うずくまって微動だにしないうるうたんを見て、悪友は深いため息をついた。
「俺がどうして上戸のような行動をとらなかったのか、そうしなかったのか……今のお前じゃ理解の外か。だけどこれから先、こいつはもう多聞ちゃんを支えてやれない。お前がそうさせたんだ」




