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お話94   自由

 福引で当たった宿泊先のホテルのベッドで目が覚めた。

 窓際なので夕日がじかに差し込んでいる。

 わずかに開かれた引き戸の向こうから声が聞こえた。

 無造作ヘアのハンサムと、うるうたんのものだ。


 薄目で隙間を窺うと、ソファに並んで座る美男美女の姿。

 ガラステーブルを挟んで向かい合うのではなく、ぴったり密着して肩を寄せ合うように座っていた。指を絡めあうように手をつないでいるのが印象的だった。


「長かったよ。補給と称して、俺とうるうちゃんの部屋でいちゃつかれるのはさすがに堪えたな」

「強引気味ですまなかった。しかしあれがこのごろ一緒にいてくれないので鬱憤がたまっていたのだ。まあそれでも」


 にっこりしてコーメー君を見るうるうたん。

 彼も至近距離で近くにいる黒髪の美人を見返した。

 何度見ても絵になるふたりだ。ちくりと胸に走るものがあったが、もうそれを上回る諦めと慣れを感じている。

 邪魔なのは確かに俺で、自分さえいなければこのふたりは確実に恋人関係になっているだろう。


「時間にして一時間くらいだぞ? 君とは夜を共にするのだし、ましてやこのごろずっと一緒にいるじゃないか」

「俺のものだ、っていう気持ちが強いからかな。誰にも触られたくない」

「ふふっ」


 うるうたんの綺麗な長い髪を撫でるコーメー君。

 彼女も嬉しそうにそれを受けていた。


 時間は少し遡る。補給と称してうるうたんが俺をベッドに引き倒し、ちゅっちゅと抱擁をくりかえしていたのだが、今回はいつもの受身と違い、俺の変態に火がついていた。プールでさんざんゴリさんとうーこちゃんに刺激され、理性が崩壊していたすぐ後だ。

 さすがに耐え切れず、うるうたんを抱きしめて押し倒してしまった。

 驚いた彼女だが、俺の勢いはとまらない。


「待って」

「え」


 かなり破廉恥な行為に及びかけたそのとき、彼女がそれを両手で止めた。

 首を横に振ってうるうたんが静かに口を開いた。


「ここは、高明とふたりして得た宿泊場所だ。そこで君と最後まで、その……するわけにはいかない」

「あ……」


 興奮して昂ぶっていた俺の変態ぶりに冷水を浴びせる彼女の冷静な態度。

 うるうたんはただ抱き合って、俺の成分とやらを補給したかっただけなのだと思い知らされた。

 そしてその言い分は完全に正しい。


「ごめんね九介。ただ触れ合いたいだけだったのに、君をその気にさせてしまったのか」

「……ああ」


 気のない返事にせつなそうな表情で俺の頬を両手で挟んだ。

 ようやく俺の色魔レベルが上昇から下降に移行した。


「ああ」

「私としては願ってもない初めての好機だけど、こればかりはけじめだ。高明に申し訳ない行為は、今だけはできない」

「……でしたね」


 苦笑いが自然に出た。今まで散々気合と根性で堪えていたのものが、一気に噴出した瞬間がこの部屋とは、何と言うか宿命なのか運命なのか……

 身を起こしてベッドの端に座った。

 急激に煩悩が消え去っていく。うるうたんが肩に手を乗せてきた。


「怒った?」

「いえ」


 振りかぶってまた苦笑い。情けなさで胸が一杯だった。

 この子は身内ではなかったのか。自身に怒りすら感じた。


「九介ごめん。でも」

「いや、うるうたんの言うとおりです。今の俺は明らかに暴走してました」

「本当はそうなってくれて嬉しいんだけどな。今度君の家で」

「謝るのは俺のほうですよ。非常識な行動でした。コーメー君に面目ない」


 うるうたんの言葉に重ねるようにして、自嘲気味に吐き捨てた。

 済まなさそうにする彼女に向かって笑顔で対応し、コーメー君を呼び戻すように促して彼女が部屋から出て行った後、眠気なのか現実逃避なのか、独りになったベッドで寝落ちした、というわけだ。そして起きがけにこの光景である。


 糖度の濃い恋人同士のいちゃいちゃ会話と触れ合いを見つめつつ、眼が冴えるのを待つ。これからこの姿に慣れるための訓練のようなものだ。

 うるうたんが相手とどんな状態になっても、俺は彼女から距離はおかないというのと、そばで受け皿になってやるというのは心に決めてある。

 そしてそこに女々しい嫉妬や意趣返しはあってはならない。

 笑顔で送り出し、自然に迎え出る。先程の不埒な行動は黒歴史に認定しよう。


 音を立てずに起き出してベッドに腰掛けた。

 この部屋に来た際、すでに私服に着替えてある。

 さっさと帰路につきたいのだが、どうやってあのふたりの前を通り過ぎるかが問題だった。


「一緒に寝てくれるよね」

「ベッドはふたつあるが?」

「一緒に寝ないと来た意味がないよ」

「仕方がないな君は。甘えん坊だ」


 熱心なコーメー君の誘いに嬉しそうに応えるうるうたん。

 それにしてもどうやって立ち去ろうか。

 邪魔者にしても自然にフェードアウトしたいものだ。


 いちゃつき具合も様になってきたようで、延々と熱い会話を繰り広げるふたりにさすがに居心地が悪くなってきた。というかもう普通に出て普通に帰ろう。

 引き戸を開けた。結構勢いよく開けたので、音が大きくなった。

 びくっとして俺を見返す美男美女。

 それを見やって俺はにこやかに笑って手を上げた。


「起きました。ということでごきげんよう」

「八方……」

「九介」


 それぞれが俺の名を呼ぶ。ここでスルーしては意趣返しでしかない。

 自然に微笑みながら振り返る。


「晩御飯をここで食べていかないか?」


 立ち上がってコーメー君がにこやかに誘いかけてくる。

 俺を呼び止めるために近くまで来ていたうるうたんに寄り添い、肩を抱き寄せた。

 さり気なさ過ぎる行動に、うるうたんもこちらを気遣わしげに見守っているばかり。

 抱き寄せられたことは当然なのか、気がついていないのか。


「そうだな。そうしたいところだが金欠野郎には交通費で精一杯だ。謹んで辞退するよ」

「それくらい私が出そう」

「いやいや、そうはいきません」

「甘えとけよ八方」


 コーメー君もそう言ってくれるが、ヒモ同然にしてここまでついてきてさらにタダ飯とはなんとも情けないのでやんわり断る。


「九介」


 うるうたんが唇をかみながら、やるせないまなざしで裾をつかんできた。


「私があんなことで君を拒否したから」

「違いますよ。うるうたんには感謝してます。あれは確かに暴走でした」


 コーメー君が会話内容に驚倒していた。

 詳細は知らずともおおよその見当はつくようだ。


「婆ちゃん家で家政夫の続きをしないと」


 あくまでさり気なく、うるうたんがつかんできた手を優しく振りほどく。

 俯いていた彼女が俺を見る。沈んだ、悲しげな目だ。

 それに対して俺はしっかりとうるうたんを見返してからまた微笑んだ。

 目元から笑っているはずだ。


「行かないで」

「大丈夫」


 うるうたんを支えるようにして両肩をつかんだ。

 ゴリさんのときと同じ説得方法だ。

 相手から視線を逸らさず、隔意のないことを伝えるというものだ。


「帰りを待ってますよ。よかったねえって、なでなでの用意をしてますね」

「……」


 これ以降はうるうたんの耳元で囁いた。

 コーメー君に知らせるべきものではない。


「約束です。俺はうるうたんの近くにいますから」

「……あっ」


 本気だとわかってくれただろうか。心からとわかってくれただろうか。

 うるうたんが目を見開く。唇を開いて固まっていた。

 ぽんぽんと彼女の頭をなでてから、そっと部屋の外に出る。

 通路に出てすぐコーメー君に捕捉された。力強い引止めに、仕方なく向かいあった。


「また意趣返しか」

「そんなつもりはないさ」

「ならどういうつもりだ」


 怒りを抑えた声だ。

 すがりつくようなうるうたんを袖にした、と思っているのだろう。

 彼の目が研ぎ澄まされたように細くなっていた。


「いい加減、あの子を縛るのはやめてくれ」

「……」

「うるうちゃんは俺に心を向けてくれている。でも過去のしがらみからどうしても君に想いを残している。それは恩義であり義理でもあり、情だ」

「ああ」


 胸倉をつかまれるも無抵抗。

 さりげなく退散のはずがまたこんな修羅場になってしまうとは。


「情にあついあの子は君を振り切ることができない。だから俺にも身を許しはしない。身内の感覚でいつまでも君が近くにいるから、うるうちゃんはちゃんとした恋ができないんじゃないのか」

「……」


 力なく頷いた俺に言いたいことを言ったコーメー君が、つかんでいた胸倉から手を離した。


「あの子はもう自由でいるべきなんだ」


 背を向けた彼を見送ることもなく、俺もそのまま歩き出した。

 うるうたんが帰ってくる明日、すべて理解してもらうしかない。

 近くにいることで恋ができないというのなら、やはり俺は身を引くべきだろう。

 さっきの約束の言葉がすべて嘘になってしまうが、嘘つきとして嫌われるのならばそれはそれでいいのかもしれない。

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