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お話85   心から

「キューちゃん、きらい」


 このごろ会うたびに挨拶がわりの一言で去っていく小さい可愛い子がいる。

 部室での一件以来、毎日会いに来てはきらいと告げに来るこの子の対応に少し俺もとまどっていたが、クラスメイトや知り合いには冷やかされるばかりだ。


「わざわざ会いに来て毎回きらいって去っていくのってのはな」

「わかってるだろこのたらし野郎!」


 本年度も同じクラスになったつんつん頭と、新しく同じ組になったもっさり頭から小突かれまくった。男どもの視線も痛い。

 実のところ色々あって少しばかり心が寒いのだが、誰かに慰めてもらいたくとも自業自得でそうもいかない。


 あれからゴリさんには何度も説明はしている。

 うるうたんに対する俺の立場がややこしいということを。

 納得などしようもないが、ひとまずはあのバカな顔のことは内密にしてもらうことで落ち着いた。

 それにしても俺からデートの許可が下りたと思い込んでいる平良は、あれから積極的にゴリさんに迫っているらしい。

 実直な性格のゴリさんは誰かと一緒なら、という条件を出している。

 そしてあのゲジ眉は、うるうたんとふたりの男前をダシに皆で出かける算段で

色々動き回っているのだとか。恐るべき執念というか思い入れだ。


 コーメー君とのデートで俺に嫉妬され邪魔されるのがよほど心地よかったのか、うるうたんが一慎とのデートでも俺を誘ってきた。

 公開して後ろめたさがないと言いたげな彼女の意思なのだろうが、俺の立場はどちらかというと悪友の味方だ。奴とのデートは邪魔しない。

 無造作ヘアのハンサムの場合はときどき間に入って、美男美女の恋の進展を妨害してやろうと思っている。

 身内然とした俺の立場からいえば、お父さん許しません状態だ。




 

 昼休みの際ゴリさんと平良が中庭にてお弁当を広げているのを確認。

 校舎から確認していつもの特等席で食うことを諦めた。

 同好会の部室にしようと中に入る。そこにいたのはきらいと挨拶代わりの一言でさっと消えてしまう、小さい可愛い生き物だった。


「きらい」

「んー……」


 すでに机に突っ伏していたうーこちゃんが、俺を見るなり頬を膨らませてひと睨み。

 なんと返していいものか、苦笑いしか出てこなかった。

 すでにひとりで食べ終えたであろう彼女はお茶を飲んでいる。


「たまにはひとりで食べるのも悪くないかもってね」

「へえ」

「キューちゃんひとりになりたいの?」

「え」

「……」


 座って弁当を広げ、好物のから揚げをぱくつく。

 このごろ俺の好きなこれが毎日入っている。

 うるうたんのご機嫌がいい証拠で、彼らとの時間が女としてのあの子をさらに魅力的に、艶やかにさせていた。

 日を追うごとに綺麗で可愛く、さらに美しくなっている気がする。

 男と女はああいう関係でいるべきだ。

 今更ながらコーメー君の女を開花させる能力には恐れ入る。

 つまり目の前の小さいこの子が可愛いのも、おそらくは――

 ジト目で観察されて我に返った。


「高明と多聞先輩、もうくっ付きそうだよ。いつ恋人同士になってもおかしくないかも」

「ほほう」

「中立くんも頑張ってるけど、彼もいい男だけど結局相性なのかな」


 一慎のやんちゃな面影が、最近元気がない。

 無理して明るくしているのは遠目にもわかっている。

 このごろ黒髪の美人さんはアパートに報告に来る時間すらとれない多忙ぶりで、

接触が極めて少ないため状況がわからない。


「人事ってことでいい?」

「俺からは何も。人事じゃないよ、うるうたんは大事な人なんで」

「えっちなことになっても、そうやって見守るだけなんだ」

「……よかったねと言わせてもらうよ」


 心からよかったねえと祝福するけど、実感してくると絶対泣く。

 本音と本音の板ばさみで気が狂わないかが心配だ。


「こんなこと言って陰口とか悪口にとってほしくないんだけどさ」


 事実だから言うね、と前置きしてうーこちゃんが語りだした。

 こうした冷静な表情を見せるようになったのはいい傾向なのか、あるいはそうでないのか判別しがたい。


「あたしは多聞先輩とは違うから。五里さんも少し迷ってるみたいだし」

「……」

「あたしにとっては高明なんかよりキューちゃんのほうがいい」


 ゴリさんと仲のいい平良は詳しく知らないので、明言は避けたようだ。

 この子はあのふたりの関係も少し気にかかるらしい。


「きらいきらいって何度も言ってたけど、あたしはもうキューちゃん以外の男は絶対いやだから」


 口の中のから揚げがやけに飲み込みにくい。

 普段ならもっと流れるように胃の中へ消えてくれるのだが。


「あたしだけにすれば楽になれるよ?」

「うーこちゃん……」

「卑怯かもしれないけど、キューちゃんにつけ入るのは傷心の今だって知ってて言ってるの。ということで、怒るのやめた!」


 にひひと笑う可愛い彼女は屈託がない。

 この子も強い子だ。昨年の暴行未遂事件でそれを実感している。


「あとで思い知ることになるよ、多聞先輩。キューちゃんが自分を追い越していく背中を見てから、一番好きなのは誰なのか気付くんだ。あたしみたいに」

「……いい男だね、背中で語るんだ」

「自覚ないかあ」


 大きなため息。見え隠れする憂いを浮かべつつも、しょうがないなあといった態で俺を見る彼女の視線は優しいものだった。

 包容力というものをこの子から感じるのは初めてかもしれない。


「いつもそばにいてくれるから、ずっと一緒なんだって安心してるんだろうね。だからあれだけ落ち着いて綺麗で凛々しくいられる」


 凛々しく綺麗なのはもとからだが、咲き誇るようないい女ぶりを発揮しているのは目下王子様ふうの美少年と恋をしているからだろう。

 少なくとも変態の俺には無理な相談だ。


「うん変態は変態かな」

「その読心術はなに」


 苦笑でご飯粒が飛び出た。拾って再度口の中へ。汚いと思わないように。

 それと同時にバン、と扉が勢いよく開く音が鳴り、俺とうーこちゃんが部室の入口に視線を向けた。

 悪友の一慎が息を荒くして乱入してきたのを怪訝に窺う。

 後方で黒髪の美人が肩をすくめていた。


「多聞ちゃんと上戸が連休に誕生会をするってな!」


 目が血走ってるぞ一慎。

 うるうたんは平然として俺の隣に椅子を引いて座りだした。

 うーこちゃんも言われるまで忘却していたようだ。


「ああ、そういえば高明の誕生日は連休だったっけ」

「休日をいいことにな、このふたりデートのあとホテルで誕生日を祝うんだと! 許せるかこれ」


 同意を求めるのは自由だが、胸倉をつかむな。メシが食えん。


「私のときも君とホテルで食事したじゃないか。高明もそれに倣ってディナーを共にしてほしいと言われただけだ」


 綺麗な髪をかきあげて一慎に説明するが、奴は到底納得できない顔をしていた。

 怒りで顔が赤い。


「俺のときはそのまま家に帰ったろ! なのに奴とはそのまま夜を過ごすために部屋とってあるらしいんだ」

「へええ」


 うーこちゃんが堪えきれず感嘆の声を挟む。

 はあはあと興奮した息をつく悪友だが、お前が発情してどうする。


「朝まで一緒にいたいから、私さえその気ならば部屋で抱き合って寝たいらしいな」

「だっ、抱き合うってそれ最後まで」


 さらに大きな声をあげる一慎だが、うるうたんに睨まれて押し黙った。

 調教済みの男は弱い。

 髪がふれるほど近くで並んで座っている俺とうるうたんだが、視線とともに吐息を感じても何気にスルーしていた。

 取り立ててなんの反応も言葉も発しなかった俺に、彼女の冷たい声が届く。


「九介の許可が必要だ」


 顔を挟まれてうるうたんと向き合った。

 向き合わされた、といったほうが正しいか。

 しかしつまりは俺の許可があれば、無造作ヘアのハンサムと朝までいることに抵抗がないということだ。

 一慎が取り乱すのは仕方がない。


「心配なんだけど」


 椅子と椅子を向き合わせた。

 軋む音の中、俺は自分の顔を挟むうるうたんの両手に手を重ねる。



「うるうたんがそう決めたのなら、それが最善の選択なんだと思います。正直で、素直でいるべきです」

「おい九介!」


 俺の身内然とした口調に悪友が狼狽した。

 許可そのものの返答に、うーこちゃんも息を飲んだ。


 目と目で見つめあう。揺るがない彼女の澄んだ瞳はしっかりと、一瞬たりとも俺の目から逸らさなかった。俺も逸らさない。

 心から祝福してやる。今このときだけは、絶対に心底笑ってやる。

 幸せになってほしい。この子には幸せになってほしいと、胸中で何度も繰り返した。

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