お話82 余裕とやせがまん
「行ってきます」
「いってら。帰りは?」
「授業が終わったらまた寄る。台所を借りてなんか作るよ。明後日くらいには直ってるといいな」
ベッドから起きてきた花子が上着を羽織って、玄関で靴を履く俺を見送る。
言葉尻はまるで夫婦だ。相手も自分もそれを不自然には感じていない。
これこそが異性の親友と呼べるのだろうか。
不正解でも、その心意気だけはお互い感じているはずだ。
「コイチローがくれたアイスやゼリーとかあるし、アタシは大丈夫」
「ちらしもまだ残ってるから、お昼は――」
「うんそれ食べる」
彼女のしっかりとした面持ちを見て安心し、背を向けた。
引き戸に手をかけようとして、柔らかい感触が体を包むのを確認する。
花子が後ろから寄りかかっていた。
「汗くさいし、アタシでなんだけど、これでも感謝を行動で表してる。一応抱きしめてるんだぞ、締め上げてるじゃないぞ」
「そのつもりなら、俺は今頃昏倒だな」
「コイチローがいないといろいろ捗らないけど、まあ勘弁してやるよ」
にかっと笑って白い歯を見せる彼女は、すでに気力十分だ。
後は弱った体力を回復させて風邪を完治させるのみ。
背中をばしばし叩かれて送り出された俺の最初の行動は、迅速にアパートに戻ることだった。よく考えなくても、学校に行く前にうるうたん手作りのお弁当を渡されるのが日課になっていたからだ。
彼女の家事手伝いとしての仕事で、交流が遠のいたここ一ヶ月ほどの間もそれは続いていた。マナーモードの携帯端末を見ると、メールと着信で埋め尽くされている。
ときおりうーこちゃんやゴリさん、男友達の着信もあった。
「どこに行っていた?」
開口一番、隣に長身の男前を従えた黒髪の美人を久しぶりに正面から見据える。
アパート前の出来事だった。
朝日が必要以上に眩しい。目を細めつつ近づき、言い訳を口にする。
このごろ凛とした美貌がさらに昇華されているようで、他校の生徒まで噂されるほどの女っぷりだ。
久しぶりにじっと見つめられて少しきょどった。
「登校前の朝帰りとは、よほどなにかに夢中だったのだな。私に理由を教えてもらえるか?」
「俺も聞きたい」
一慎が余計な口添え。俺を助けろよ悪友……
「土日も家を空け気味だったようだし、何か悪い遊びしてるんじゃないだろな?」
「してねえよ。やぼ用で手が離せなくなってただけだ」
うるうたんが端末でうーこちゃんとゴリさんに連絡を取っている。
ああ、見つかったとの台詞が聞こえた。逃走犯か俺は。
「ただでさえこのごろ君との時間が取れないんだ。朝くらい一緒でもいいだろう」
「そうですねえ」
ハンサムふたりとの交流や家の仕事で多忙なせいか、彼女も俺のアパートに来る機会が激減している。なでなでも激減だ。
弁当を受け取って鞄の中へ。
その間彼女は片時も俺から目を離すことなく、行動を見つめている。
「放課後は高明とデートに行くつもりだ。私が誘った」
「……お前今日は?」
ハンサムたちとのことを話すうるうたんの満足げで嬉しそうな表情は、やはり眼福だ。毎日が高揚して楽しいのだろう。それに対する返事ではなく、悪友へ予定を聞いた形になった。
「俺は今日バイトだ。多聞ちゃんとデートは週末」
「なるほど。交代制も板についてきたな」
「リードしているのは上戸だが」
肩をすくめて少しため息の一慎。背中をぽんぽんと励ますように叩く。
完全に人事だ。
「私の逢引に興味あるだろ九介。特別に公開してもいいんだぞ?」
「いや、ちょっとはずせない予定がありまして」
断られるとは思っていなかったのか、それを謙遜やむりくりの用と勘違いしたのか、うるうたんがにっこり笑って至近距離まで近づいた。目元が優しい。
以前よりふんわりとした印象が強くなった。
学校でも鉄火面ばかりではなく、笑顔もよく見せるようになったという男子生徒からの評判も伝え聞いている。
「大丈夫。高明は私にべた惚れだし、私も彼と意思疎通は十分できている。少し邪魔だが、まあ要望とあれば――」
仕方がないから混ぜてやろう、と言いたげなうるうたんらしい誘い方だ。
しかし今回は事情が異なる。
どう切り抜けるか少し考え込んだ。俺がお気遣いなく、と返事をするとうるうたんの眉がひそめられた。何か気に障ったようだ。
「君が薦めた彼らとの交流を、君自身で見てもらいたかったんだがな」
「仲が深まっているのは遠目にもわかりしたよ。この前見かけて」
「……どうして声をかけなかった?」
見逃すまいと俺の様子を品定め。今の俺は無表情ではない。
不可解だと首をかしげるうるうたんの綺麗な髪を見つめながら、努めてにへらと笑うことにした。花子の存在は機密として保持せねば。
「すっかり打ち解けて恋人同士のようだったので、これは間に入ると悪いかなと」
「君にもそう見えたか」
嬉しそうに彼女が身を乗り出すようにして、さらに近づいてきた。
そうだろうと相槌を打ちながらだ。
「だったらそれこそ近くで見てほしい。私はちゃんと彼らの本気と向かい合っているぞ。たまにその熱にふらりとくるくらいだ」
「一慎とコーメー君はそこらへんにいる男とわけが違いますからね」
うん! と上気した頬で悪友を見た。奴は渋く笑っていた。
コーメー君がリードしているとの言葉を裏打ちするかのような、少し寂しい微笑みだった。それにしても男前は何をしても様になる。
そしてそれでこそうるうたんに彼らを薦めた甲斐があるというものだ。
彼女はどちらかとさぞお似合いだろう。
何人もの女の子を好きになっている俺では、彼女をこんな一途に想えない。
先に行こうとした俺の袖がつかまれた。
うるうたんは少し戸惑いを浮かべていた。
「今日、来てくれるのだろう?」
「そうでしたね。今度近いうちについていきますよ。コーメー君とのデートを邪魔しに」
「九介……今日は」
落胆して唇をかんだうるうたん。
何この反応可愛すぎる……袖をやんわり離そうとすると、させじともう片方の手で俺の手をつかんできた。
「必ず」
おっさん気質の俺が、指きりの仕草でうるうたんの小指に自分のそれを引っ掛けた。
「次回の逢瀬に邪魔しにきますから。存分に仲いいとこ見せてくださいね」
互いの小指を絡めながら手を上下に動かし、景気よく振り切って離した。
うんと頷きながらも今日来ない、とまだ呟いている。
女の子らしさというかそういう可愛らしい反応が、自分が高揚する相手と過ごすことによって自然に出せているように感じた。
先ほどから黙って経緯を見つめている悪友も、以前にはなかった彼女の凛々しさ美しさ以外の微笑ましい仕草に目元を和ませるも、その表情は複雑そうだ。
自分では引き出せなかった、とでも痛感しているのだろうか。
俺としても同感だ。これはコーメー君の功績だろう。
袖をしっかりとつかまれたまま、同校生からの驚愕の目線に晒されて、けして離されることなく学校に到着するまでそれは続いた。
逢瀬の際取り乱したりしないよう、心の準備と衝撃に備えておこう。
笑って待ち合わせ、笑って別れるのだ。
昼休みに音楽鑑賞同好会の部室に避難したが、その後すぐうるうたんの発見報告を受けたうーこちゃんとゴリさんに潜伏先で捕まった。
弁当箱をひろげたテーブルの前に、少々ご立腹の小さい可愛らしい子と、ポニテールがよく似合う眼鏡っ子との昼食会が始まったが、半分は事情聴取だ。
「何度も連絡とかメールしたのに、どうして出ないんだよー」
「そうだよ! このごろちょっと付き合い悪いよ八べえ」
日曜昼にいつもの面子で集まるゲリラ的予定だったことを、ここで初めて聞かされた。俺不在で遊んだらしいのだが、そのなかにはゴリさんの同郷である濃い顔の男友達もいたらしい。新しいメンバーだ。
「新年度になってほとんどみんなと出かけてないからさ、五里さんの友達の男の子もさそって遊ぼうとしたのに、肝心のキューちゃんいないんだもんなあ」
「お互いがそれぞれ忙しいからね。まあまた機会もあるさ」
「家にもいなかったよね」
ゴリさんの静かな突っ込みにソーセージが飛び出した。
もったいないので拭いて食う。
「……どこ行ってたん?」
覗き込む眼鏡の子の、目の奥が鋭くなる。
いやー、と視線をはずしてお茶を飲んだ。
ゴリさんが携帯端末を見る。メールを読む彼女へ、それと察したうーこちゃんがいたずらっぽくささやいた。
「この前五里さんが連れてきた彼?」
「えっ、うん」
ばつが悪そうに俺を見やり、戸惑いながら頷いてる。
うるうたんのくしゃっとしたやるせない顔に似ていた。
「呼び出しなら、行ってきなゴリさん」
そわそわしだした彼女へそれとなく促してみた。
それでもこの場を立ち去りがたい様子だったので、やさしく立ち上がらせて背中を押し、部屋の外へ誘導する。
「八べえ、うち」
「大丈夫だよ。いつだって時間はあるさ、またね」
扉を閉めて戻ってきた俺が見たのは、日頃見せない真剣な面持ちのうーこちゃんだった。しっかりと俺に視線をあわせ、指を交差させて動かしがら、低い声で話しだした。
「どういうつもりなの?」
「ん?」
先ほどのいたずらっ気はまったくない。
可愛い顔立ちも、こうして見れは迫力がある。
「多聞先輩に中立くんや高明と仲良くなるよう薦めたり、五里さんがあの男の子と急接近するのを止めない理由だよ」
「ゴリさんと同郷の彼とのことはむしろ喜ばしいことだと思うよ。あのハンサム野郎どもと仲のいいうるうたんも、デートを見に来いというくらい順調のようだし」
「ふうん、だったら」
椅子から立ちあがり、ばん、とテーブルに手を置いた。乱暴な所作だった。
「後々取り返しがつかないことになっても止める資格はないってのは、理解してるよね」
「してるねえ」
「……余裕なんだね。それともやせがまん?」
「両方」
至近距離で睨まれつつの質問に、間髪いれず簡潔に返す。
間抜け顔で見返した。壮大なため息をつかれてしまったのは、処置なしという意味だろう。
「多聞先輩も五里さんも、キューちゃん好きなんでしょ」
「大好きだね」
「なのにほかの人を薦めちゃうんだ」
弁当を片付けながら、憤りを見せるうーこちゃんを見上げる。
こんな彼女はあまり記憶にない。
「あのふたりが相手と心から結びついてもそうでなくても、それを見ておめでとう、とか平気で言っちゃうんだろうね」
胸倉を掴まれた。悪友の所業だこれは。
「それが、あのふたりから大好きだと言われているキューちゃんの答えなの?!」
しばし石になった。俺の行動の原理は自己満足だ。
自分勝手な思い込みをこの子が理解できるはずもない。
そして義理をかく行動は、この子のもっとも嫌悪するものだ。
「……そうだ」
頬が鳴った。ひねりの効いた平手打ちは、部屋に大きく響いた気がした。
返事と同時の衝撃だった。
「今のキューちゃん、きらい」
ぱたぱたと音をたてて、ショートボブの髪を揺らしながらうーこちゃんが部屋を出て行く。独りよがりの貫徹とはこういうことだ。
誰も選べないから皆を傷つける。
逃避した行為として、今の花子に気を向けている。
だとしても彼女との関係は、男女のそれではない。
それでも誰かに依存しながらしか生きていけない、俺自身の業の深さは相当なものだ。うーこちゃんが最低な行為に愛想をつかすのも頷ける。




