お話67 これが修羅場
利くんと別れて無言の帰路。
ふと足を止めた一慎が、ゴリさんとうーこちゃんに挟まれた俺を振りかえった。
「明春さんは俺が送っていこう。今は……」
「うん、お願いしようかな。ありがとうね中立くん」
言葉の途中で理解したのか、うーこちゃんが俺とつないでいた手を離して、悪友のもとへ向かった。うるうたんは静かにこちらを見ていた。
「明春さんも多聞先輩も、今日は八べえを」
「わかっている」
今度は俯き加減なゴリさんの台詞を黒髪の美人が遮った。
唇を少し噛み締めていた。
「五里くんの気持ちは察する。だからわかってはいるが、君にこれを持っていかれそうで怖い」
うーこちゃんもこちらを不安そうに見ている。
不可解なのは俺だけだった。皆神妙な顔をしていた。
女の子3人が視線を交錯させる。
「九介、私を捨てるなよ」
「あたしもね」
「……」
背を向けた瞬間の、うるうたんの一言だった。
うーこちゃんもそれに続く。早足で歩いていく彼女たちを追って、一慎も後をついていった。
路肩のない一車線の道路にしばらく佇んでいたが、腕にすがりついたゴリさんが俺を見上げたのを合図に、彼女を促して歩きだした。
ゴリさんが決めたことだとしても、自分で選んだ答えを頭で理解するのと、心とはまた別の問題なのだろう。
利くんほどのいい人の好意を前向きに受け流したというのは、俺の考える以上に彼女の葛藤を生んでいるのかもしれない。あるいは、後悔か。
「うち、今ひとりになりたくない」
「うん」
当たり前のように頷いた。
こちらとしてもこのままゴリさんを送ってさようならというつもりはない。
深淵に沈みかけていた利くんの姿と、今の彼女は同じ状態に見える。
大通りに出て信号待ちの間、往来する車の音に混ざって、彼女の嗚咽が聞こえた。
堪えているのだろう。俺はそれをスルーした。
手をしっかりとつないだまま信号を渡り、また一車線の街道に入る。
往来する人はほとんどいないし、車の行き来もなくなっていた。
春先とはいえ、まだまだ肌寒い。ゴリさんの状態を考えると、やはりここは俺のアパートになるだろう。
「あっ」
不意に携帯を取り出したゴリさんが、思い出したかのように端末を操作していた。
かけた連絡先は実家のようだった。
「おとう? 昆陽たちは……うん、うん」
しばらく何事か話していた彼女の、声のトーンが下がった。
「今は帰れない。ごめん、今だけはだめ」
家で何かあったのか? 俺を見返して、そうだよと頷いている。
直後、親父さんの怒りの声がした。
そうえいえばクリスマスのときも外泊だったし、親としては心配になるか。
とすればアパートは論外だ。
「いい加減にして。八べえはそんなひとじゃない」
親子げんかが始まった。言い合いのなかで、俺のとる行動はひとつだ。
後悔はあとでしよう。
五里家の玄関に入ったところで、親父さんの威圧感半端ない威嚇にさらされた。
挨拶して頭を下げるも、娘をたぶらかす相手に答弁は必要なし、といった無言の仁王立ちだが今日は俺もひるまない。
弟と妹の様子を見に行ったゴリさんをよそに、大人と子供のにらみ合いもどきが始まった。
「無断で外泊した去年のイブも、一緒だったようだな」
「はい」
太い腕を組みながら、ため息をついて目を閉じている。
怒りをこらえているのだろうか。
「一番下の息子が少し熱っぽい。それで帰ってくるように促したんだが、まさか母親代わりのあの子がそれを断るとは」
お前のせいだ、といわんばかりにかっと目を見開いた。
それは否定しない。
「事情がありまして」
「なんの事情だ」
言えません、と言ったとたん、野太い腕が俺の胸倉をつかんだ。
引き寄せられた俺と、親父さんの顔が至近距離になった。
「……覚悟はできてるんだろうな」
「ご随意に」
拳が振り上げられた。その姿勢のまま、親父さんは口を開いた。
「あの子は、母さんの残した俺の宝物だ。よそのガキにいいように弄ばれるわけにはいかねぇんだ」
殴られた衝撃で、玄関の引き戸にふっとんだ。
今まで散々男には殴られてきたが、これほどの強烈さと痛みを伴う一撃は初めてだ。
歯が折れるかと思ったが、どうやら口内が切れただけで大丈夫だったようだ。
起き上がろうとしたが、足にきてうまく立てない。
それでも鼻血を拭きながら、引き戸を背にしてふらふらと起き上がった。
「娘を傷物にした代償が、これで済むと思うなよ」
「……」
傷物とは一体どの程度指すのか判別できないので黙っておいた。
破廉恥で変態行為は確かにあった。つまり親父さんの言い分はほぼ正しい。
靴下のまま土間に降りてきて、二発目を叩き込もうとしたその背中越しにゴリさんの声がした。
「なにしてるの」
「お前は黙ってろ」
次の瞬間、俺の状態を確認したゴリさんが親に平手打ちを食らわせた。
かなり強力なものだ。俺も呆然としたが、親父さんはさらに驚愕したようだった。
力をこめたビンタではあったものの、体格のいい父親に物理的ダメージはほとんどない。この場合は精神的なものだろう。
震える彼女の激怒ぶりは自分も、そして親父さんも初めて見たかもしれない。
ゴリさんは怒って、泣いていた。
「事情も知らずに、どうして八べえを殴ったの! 彼が何をしたっていうんよ」
「……お前をたぶらかして外泊させた。弟が病気だというのに返さず連れまわした」
憮然として親父さんが呟いた。
傷物にしやがって、という言葉を聞いたとき、再度娘から来た平手打ちを太い腕で遮っていた。
「おいたは一度きりだ。親に対して、弟に対してお前は義理をかいている」
逆にゴリさんに向かって手をあげかけたので、俺が間に入って止めた。
そのつもりが避け損ねて平手打ちをもらった。これが2撃目だ。
「この子に手を出すことは、父親である貴方でも許さない」
「利いたふうな口を……!」
激昂しかけた親父さんをゴリさんが今度こそ体を張って止めた。
ここに至ってようやく彼女が利くんとのことや、その後帰宅しがたい心情になった訳を話しだした。殺気立っていた親父さんが、娘の話を聞くにつれて少しずつ怒りを解いてきたように思われた。
「八べえがおとうに殴られるゆえんも、その必要もなかったんよ。それを――」
理由が判別すると、ゴリさんの剣幕の前に親父さんがたじたじになっていくのがわかった。鼻血を出したまま俺は少し笑った。
「独りになりたくなかったうちについててくれた八べえに、よくもこんな……」
ゴリさんの悲鳴のような声と泣き顔に、親父さんは明らかにたじろいだ。
騒動を聞きつけた妹さんが、顔を半分出してこちらを見つめていた。
「やあこんにちは」
目があった俺としては、間抜けながらもそう挨拶せずにはいられない。
妹さんもこんにちは、と小声で受けてくれた。
さすがに小学生のお子様に見せていいものではない。
ゴリさんが妹を二階に連れてくのを見てから、親父さんが向き直った。
「事情を聞いたとき、なぜ黙っていた」
黙らざるを得なかった、というのが本音だ。
利くんとのことで彼女がどういう状態になったか、などと白状するなど責任逃れも甚だしい。
実際聖夜をすごしていたのも事実だし。
「……娘への思いやりか」
大層なやつもいるもんだ……まあとりあえず鼻血は止まった。
あとは頬の痛みだけだが、少し腫れているかもしれない。
降りてきたゴリさんからティッシュをもらって鼻に挿した。
一層の間抜け面になったはずだ。
「おとう、八べえに謝って」
「ゴリさんそれは」
「謝って!」
鋭い叱咤の声。静まった怒りの親父さんだが、娘の剣幕は最高潮だ。
気圧されて謝る親父さんに、俺も頭を下げた。
「早合点してすまなかった。今回のことに関しては、君に否はないようだ」
「いえ」
これが修羅場ってものだろう。それでも子思いな親父さんに理不尽さは感じなかった。ただしゴリさんへの暴力は断じて許さない。
「彼女に手をあげていたら、自分としては貴方に力ずくで歯向かうつもりでしたけど」
「……」
この小僧、という顔をしていたが、目元は和んでいた。
ゴリさんはまだ首筋まで真っ赤にして憤っている。
俺が彼女の手をつかんでいないと、まだ父親をしばきにかかりそうだ。
「娘を心身ともに守ろうとしている。外泊させて娘を傷物にする。どっちが本物の君だ?」
また答えられない質問を。
ゴリさん続けて噴火中。傷物ってなんよ! とか食って掛かっている。
激怒のゴリさんけっこう恐ろしいし、力強い。親の胸倉をとって前後に揺さぶっていた。
清いままならいいんだ、とか言い訳で逃げようとしている親父さん。
娘の潔白らしき憤慨を聞いて、怒られているのに嬉しそうだ。
ただし俺の正体はただの変態で、けっこうアレコレしてたりする。
親の心配にあたる行為をしていない、という点においてだけは潔白なのだと自己解決しておこう。
「八べえもう放っておいてうちの部屋いこ?」
「おいまだ話が」
「これ以上」
玄関の父親を見下ろしながら、ゴリさんが冷たい声を放った。
階段途中で振り返っている。俺はその姿の彼女を間近で見上げていた。
短い制服のチェックスカートが目の前で揺らめいていたが、即効視線を下にした。
「この人に変なこと言ったり暴力ふるったりしたら、うちおとうを一生許さんからね」
怒りが静まった親父さんが、尋常じゃない昂ぶりのゴリさんを見て、ようやく娘の憤りを思い知ったようだ。
言葉を失って立ち尽くすのを一瞥して、彼女は問答無用に二階へと上がっていく。
顔を伏せたまま俺もあとに続いた。
そのあとは初めて入るゴリさんの部屋でふたりっきり。
泣きながらいろいろ謝られたりしたが、鳥頭の俺は後に引くことはないので問題はない。
問題なのは利くんとのことだけではなく、親父さんのことで昂ぶったゴリさん自身だろう。
ボロ家への帰宅は未明になりそうだ。




