お話49 ただいま
「誰だお前?」
うーこちゃんの女友達から聞き出した家庭教師とやらと回線がつながった。
その第一声がこれだった。
殺気だった厳しい語感だったが、俺も苛立ちは最高潮だ。
近くにコーメー君と演劇部の部長も耳をすまして聞き入っている。
いつものショッピングモール裏側にある人気のない公園での話だ。
「そこにショートボブの女子高生いるだろ」
「あ? 知らねえよ!」
威嚇するように声を荒げて否定するが、電話越しになにやらいさかいの音がする。
無言の争いか。
「この番号を俺が知ってるってことは、わかるよな?」
精一杯怒りを抑えながら、ゆっくり話した。
自制しないと何を口走るかわからない。
「お前の足はもうついてる。目的を達成したところで、仲間もろともそのあと必ず追い詰める」
「やってみろ……あの女の連れなら高校生だろ。ガキがあとでお仕置きしてやるよ」
悪びれないその答えに、聞いていた部長が切れた。
端末を奪い、震える声で一言言い放った。。
「家庭教師やってるんだってな」
「……」
相手はあきらかにひるんだのか、息をのむ反応がした。
「やばいぞおい」と仲間に呼びかける声が聞こえる。
「住所名前が割れたら、覚悟しとけよ。卯子くんの状態によっては、お前こ――」
「そこに卯子いるなら開放しろ……今のうちに逃げないと見つけた時捕まえて、警察につきだすぞ」
部長が穏やかでない単語を言いかけたとき、コーメー君が割り込んで冷静を装いつつもがなりたてた。
その瞬間に電話は切れていた。
もはや最悪の状況を想定した俺たちは、色を失くして公園を出る。
どこに行くべきかわからないまま衝動的に走り出したが、公園の周囲にいた演劇部の後輩部員たちが大声をあげた。
「部長! あれ、あいつらじゃないですか」
ショッピングモール裏の公園から南側は、工場がいくつか立ち並んでいる。
夜になりつつある今は当然人通りは少ない。
整然と区画整理されてはいるものの、駐車場や空き地など人が紛れ込むには都合のいい場所が多い。
後輩の元へ俺たちが集まったとき、すでにその姿は指差す方向から消えていた。
見間違いだったとしても、この付近を探し回ったほうがよさそうだ。
とりあえず逃げていった方角へ走りこんで南に下る。
高いブロック塀工場の横を進んでいくと、塀の反対側に広い駐車場があった。
ここは俺のボロアパートから直線でつながっている道路沿いにあり、よく見知った駐車場だ。
ただの駐車場ではなく、アスファルト整理された平坦な駐車スペースとともに、車体の裏側を整備するために特別に作られたような、乗り上げる台形型ふうの設備がある。
両端の車輪部分以外くりぬいたように、中央が整備するための空間になっている。
つまり壁にはさまれた周囲から見えない絶好の隠し場所ということだ。
これは付近に住んでいる俺が知っていることで、他の連中は知らない。
南に下る道を左折し、勢いよく駐車場の門をよじ登って飛び越えた。
台形型の設備の中央部分から誰かがゆっくり歩いてくる。
薄暗くなったので確認しにくい。
後から追いかけてきたコーメー君と部長たちが、うーこちゃんの名前を叫んだ。
名前を呼ばれたショートボブの髪の女の子は、それでもにっこり笑っていた。
制服は乱れ、手足は車の設備によくある油のようなもので汚れている。
そして顔を見れば、頬を赤く晴らして唇と鼻からうっすら血を流していた。
「……無事だったよ。こんなのだけど、大丈夫」
あまりの姿に絶句したコーメー君と、呆然とする部長以下の部員を安心させるべく、彼女はもう一度微笑んだ。
無言で抱きしめにいった幼馴染を抱き返していた。
「卯子」
「だから大丈夫だってば高明。殴られたけど懸命に抵抗してたら、あいつら電話切ったあとすぐ逃げていったもん」
「卯子くん……」
健気な気丈さを見せるうーこちゃんの様子に、部長が涙ぐんだ。
「あたしを探してくれてたんでしょ、部長もみんなも」
演劇部の先輩と部員たちを幼馴染の肩越しに見つめ、震えた息を吐き出したあとまた笑ってみせた。
「ありがとう部活のみんなも高明も」
彼らの輪からわずかに離れた位置に立ち尽くす俺へ、最後に視線をあわせてきた。
「キューちゃん、勘違いしないでね」
「勘違い?」
「あたし、何もされてないからね。殴られた以外に、アレとかコレとか無事だったから」
一同反応に困って無言。当然俺も石になって固まる。
うーこちゃんの真実味にある言葉に、皆がほぼ同時に胸をなで下ろした。
一安心すると、次に思うところは奴ら下種野郎どもへの憤懣やるかたない怒りの感情だ。
しかし彼女の無事を確認した今、率先するべきは精神的なフォローだろう。
「でもこんな腫れた顔と唇じゃ、今家に帰れないや」
設備の近くにあった水道から、ハンカチを濡らして持ってきたコーメー君に顔を拭いてもらいながら、うーこちゃんは呟いていた。
「ということでね!」
唇と鼻を拭いてもらった彼女が頬にハンカチを当てながら、拒否権のない決定事項を宣言した。
「あたし今日誕生日。だから前に約束したことを実行させてもらうよ。キューちゃんの家に行くんだ」
「ただいまー」
2度目となる不可解な挨拶だ。
あれほどの出来事の後だけに部長も部員も一緒にいるつもりだったが、うーこちゃんたってのお願いで彼らとは解散することになった。
付き添うつもりだったコーメー君も、自宅にロールパンのモデル女を待たせていることもあり、慣れているであろう幼馴染の気のままぶりに根負けして一足先に帰宅。
俺といえば細心の注意をはらいつつ努めて明るくさりげなく、かつ労わるように彼女と話しながらの帰路を無事に完了した。
早速家の中に入り、できるだけの応急処置で彼女の手当てをする。
頬を冷やすのは腫れがひくまで続行だ。
汚れた制服を堂々と脱ぎかけたのには俺が驚愕した。
とりあえず誕生日の贈呈品としてとっておいたプリーツスカートを穿いてもらい、上着にはセンスのかけらもないパーカーを着てもらうことに。
「上も下もキューちゃんのだ」
うれしそうに呟いているうーこちゃんと顔を見合わせてにっこり、俺はいつもどうりにへら。それを見てまた彼女は笑ってくれた。
冬ということでふたりしてコタツに入る。
用意した熱い紅茶を飲みながら、部長の献上品であるコスメセットを見てみたり、コーメー君が去り際に渡したアクセサリーのペアリングらしきものをつけてみたり、最前の悪夢のような事態が嘘のように和やかな時間を迎えることができたのは、まさしくこの子の気丈さゆえだろう。
小さい彼女を前に、抱え込むようにして座っている。
頻繁に振り返って頬にちゅっちゅしてくるが、今回に限っては石になってもこの子に対して全肯定。なすがままになっていた。
紅茶を飲み終えて一息つくと、うーこちゃんは当然のように恒例の対面馬乗り姿勢に移行する。
首にしがみついて抱きつくのに応えながら、時計の音を聞きつつ無言の状態がいつもより長く続いた。
その間ずっと彼女の背中をなでている。
ようやく今になって実感がでてきたのか、呼吸が震えていた。
あのときは衝撃で精神が壊されないように、身体が興奮状態になっていたかもしれない。
事故の際体が傷ついたときに、痛みが後からくるという経験を俺もしたことがある。
それと少しだけ似ているのかと推測した。
そうとわかれば言葉は不要。彼女には心のままにすごしてもらおう。
赤さんを静かにあやすかのように、背中をさする。
うーこちゃんの呼吸音が落ちついてきた。
このまま寝に入ってくれれば少しは気が収まるのだろうが、あの後でそれは不可能だろう。
そうして時間が過ぎていくうちに、アパートに訪問者が来た。
すりガラス戸の向こうからわずかに相手の様子がわかる。メイド服だ。
すでに黒髪の美人さんには合鍵をわたしてある。
いつでも俺のところに来ることができるというのは、精神の安定につながるからという彼女の意向があったからだ。
引き戸を開いてメイドその1が見たものは、コタツに入って向かい合う一対の見知った男女だった。
その様子にあっけにとられるも数瞬、怒りの形相になって居間に入りこんできた。
俺はその剣幕に口に人差し指をあてて対応する。
察しのいいうるうたんが口に手をあてておそるおそるうーこちゃんを覗きこんだ。
「……寝てる?」
「目は閉じてますから、かもしれませんね」
何が起きたか、うるうたんに説明をすることはできない。
ショートボブの髪の小さい子が反応ないというのを確認すると、やれやれというように肩をすくめた。
「ああそうか。以前聞いていたが、今日この子の誕生日だったのだな」
コタツの上に置かれた贈呈品を見て納得したようだ。
俺の頭に手を置いてから、彼女は出て行くそぶりを見せた。
「そういうことなら、今日だけは独占させてあげよう。寝ている子供を起こすのもかわいそうだし」
「ありがとううるうたん」
多くを語ることはできずそれでもお礼を言うと、唇で額をひとなでして出て行った。
メイドさんの姿が完全に家の前から消えると、腕のなかのうーこちゃんが身じろぎしだした。
「多聞先輩、やっぱり来たな」
ふふーんといった様子で面をあげてきた。
いたずらっ子全開のにひひ顔になっている。
「晩御飯を一緒に食べたいんだろうけど、今日はだめだもんね」
……なるほど寝たふりか。
彼女らしいといえばらしい反応だ。
「っていうか、これはずっとあたしのものだからねー」
「腫れが引いてきたみたいだ。これなら家に帰ってもおかしくはないかな」
「やだってば。まだキューちゃん成分の補給が全然足らないよ!」
現在最高レベルのイエスマンを発動中。
ぐいぐいと押し付けるように体を密着させてくるこの子に対して、顔は平然を装いながら俺は兄と心のなかで連呼して自制する。
今回は事情が異なり、あまり男を意識させる行動や言動は慎まねばならない。
だとしてもうーこちゃんは自分がどれだけ魅力的か、あまりわかっていらっしゃらないようだ。
愛らしい顔立ちや雰囲気はもとより、人をうらやむような言動が多い体型に関しても、身体は小さいにしろ均整のとれたスタイルというのが、水着を見たり実際触れたりしている俺の偽らざる感想だった。
出るところと引っ込むところのバランスが絶妙で、部位に関しての詳細は省かせてもらうが、つまりは煩悩を刺激するだけの色気は十分あるということだ。
「ふふっ」
うーこちゃんの読心術というか、感性の鋭さには時々驚かされる。
抱きつきながらも見詰め合う顔をさらに接近させて、嬉しそうにささやいた。
「大丈夫だよ。キューちゃんには触れられてもぎゅっとされても大丈夫」
「……」
「っていうか、触ってくれないとダメ」
「へい」
背中なでなでを続行。
温泉に浸かっているおっさんばりに、は~っとか息をつきながらカニバサミを強め、頬に頬を寄せてくる。
そのうち静寂が漂う空間に、おなかが鳴る音がした。
俺も腹はすいていたが、音の発生源は目の前の可愛らしいこの子で間違いない。
「……あっ」
頬どうし密着させているために表情は読めない。
だけどいったん収まった腫れがもどってきたかのように、熱くなった頬を確認できた。
「うー……」
「うーこちゃん、おなかすいた?」
カニバサミを解除して脚をじたばたさせる子供に、笑いながら問いかけた。
真っ赤になりながら唇を尖らせて無言で頷く彼女は、まさに可愛さの極致。
それにしても事件のようなものの後でおなかがすくというのは、精神的に痛手が少ない証拠か。断定は早いが、とりあえず一安心だ。
「なにか食べる?」
もはや完全にお子様あつかい。
それにまったく抗議の声をあげることなく再度頷いて、にんまりしながら元気な声を室内に響かせた。
以前食べたことのある男の料理がご所望だった。
「やきごはん!」




