お話40 時と場合
親と学校の双方から無理強い同然の了解を経て、池波家に住み込みで働くことになったうるうたんの家事手伝いとしての日々が始まった。
2階で空いている部屋のひとつに寝泊りし、朝と授業が終わった夕方から夜までの炊事掃除洗濯が主な仕事になる。給金も休日ももらえるということで、身内贔屓ばりの好待遇だ。
本来は俺に対する扱いを、婆ちゃんにとって他人であるうるうたんに向けてくれたわけで、なんともありがたく感謝の言葉もない。
誠意をこめて心こめて謝辞を述べさせていただきました。
心がこもる理由がもうひとつ。
以前学園祭の出し物でうるうたんが着ていたメイド服を、そのまま池波家の仕事着として流用することが決まった。
可憐さと艶っぽさが同居したうるうたんの魅力全開のあの姿をもう一度拝見できるとは……俺の何気ない提案が決定になるまでは一瞬だった。
彼女のメイド姿を見た婆ちゃんが、あまりの可愛さに抱きついて即決したのだ。
わしの若い頃にそっくりじゃ! と興奮しておいでだった。いや何も言うまい。
俺も夕食には同伴し、彼女の様子を毎日でも伺えるという特権を雇い主様からいただいた。感激のあまり目の前で拝んだ。
このありがたい心遣いに対して、似るも似ないも余計な口は叩かない。
「ときどきは一慎も呼びたいんだけど」
「おうあの男前か。かまわん呼べ呼べ」
金持ちに似合わず日頃質素な生活の婆ちゃんだが、一旦決めたとなるとその性格の豪快さから出費を惜しまない。
自分に贅沢は一切せず、気に入った相手に施しをするのは婆ちゃんだけでなく、池波家の常識というか家訓だそうだ。
そういえば伯父さんもそんな感じだった。
うるうたんの件も一切口をはさまず了承してたし。
「それとよ、うるちゃんが言ってたあとふたりの女どもを今度連れて来い」
「……お断りします」
何をするか何を言うかわかったものではない。
メイド服のうるうたんをにへらと見やりつつ、ご飯をかきこんだ。
婆ちゃんとうるうたんと俺の夕食での風景だ。
この黒髪の美人さんがいるだけで、日頃閑散とした広いだけの家が花の咲いた庭園のように華やかになった気がする。
「おば様、今度私がそのふたりの子を連れてきますね」
俺がつけた口元のご飯つぶへ手をのばし、自分の口にいれるという動作を一切不自然に感じさせず、完遂したうるうたんが口添えした。
「そうかい! それでその女子たちはどういう子かね?」
「そうですね……」
見た目でいえば私より可憐で愛嬌がある、と聞いた婆ちゃんが俺を見てにやにや顔になった。隣にいたメイドさんから肘鉄を食らう。
理不尽な攻撃にもにやけ面で応対した。
「違う特徴の異なる女子にいろいろ手をだしとるようだの。爺さんかお前は」
「浮名を流した実績のあるあの人と、何もない俺が一緒?」
「なるほど。九介のたらしぶりは脈々と受け継がれたものだったんですね」
驚きつつもジト目で威嚇された。
婆ちゃんが手を打って大笑する。
「昨日から今日とどたばたしとるで、孫とまともに話してないだろ」
「そういえば」
横からじっと見つめられて少し照れた。
可愛すぎる格好に萌えまくってまともに見返せない。
「あとで時間とって、これのアパートに行ってきな」
「太っ腹だな婆ちゃん」
「お前とふたりきりになれんで寂しいと顔に出とるわ」
うるうたんを見れば、肘をつきながらこちらに顔を向け、目を細めて微笑んでいた。
反則の上目遣いが照れくさくて即効目を逸らした。
満腹神経を満足させて食後のお茶を頂いた後、メイド姿のうるうたんとボロの我が家に戻る。距離にして100メートル足らずの近場であるのだが、その間にも手をつないで歩いた。幸せをかみしめながら一歩一歩と。
そして中に入れば、いつもの対面馬乗り額よせの体勢だ。
忍耐の時間が始まる。
「九介」
首抱きされながら、しばしの無言状態。
幸せを実感するとともに、歯を食いしばって煩悩を叩きのめす時間でもあった。
「今もまだにやにやが止まらない」
「にやにや?」
「ふふっ。おば様と君とのやりとりだ」
耳元で吐息を受けながら、その場面を思い出す。
必死のやりとりで省みる余裕がなかったけど、今にして思えばいろいろ気恥ずかしい言葉の応酬だった。
「誰かに守られるということは、こんなにも幸せだったなんて」
何度も嬉しいと呟いているうるうたんをよそに、頭の中を煩悩退散の4文字で埋め尽くす作業に終始する。
怒涛のように溢れ出る感情の昂ぶりを受け止めるには、俺にとってあまりにも刺激が強すぎた。
興奮する彼女を抑えるかのように、その背中をぽんぽんとさすっては美人すぎるメイドの呟きに応えていた。うんうんとしか言えなかったが。
「胸が高鳴って止まらないのは、今私が幸せな証拠だ。先日までの気がふれるような焦燥感など嘘のようだ」
「それは何よりです」
「神経が病むかもしれないと自分でも怖くなったときがあった。だけど」」
気の昂りで頬が紅潮している。目も赤い。
「九介がいつでもそばにいてくれるなら、私は大丈夫だよ」
「うるうたんには一慎がついてますからね」
「そうとも、君は私のモノだ」
「……」
そっちにいくんですね結果的に。
学園祭のときも逆らってはいけない状態だったが、今はそれよりも慎重にいかねばならないほどの躁の状態に見える。
すなわちイエスマンは最高レベルに調整だ。
「君も男だものな。だから女が欲しいのなら、私を抱けばいい」
おほっと言葉にならない嘆息が出た。
いかに高揚状態とはいえ、あまりにも大胆すぎてイエスマンを忘れた。
「つまり君には彼女なんて作ってはいけない。私がいるんだから」
「ですか」
一応もっともらしく頷く。肯定の様相だ。
無茶苦茶なことをうわごとのように話している彼女の目は本気であり、正気ではない。
熱を冷ますには、一晩はかかるとみた。
今日は早めにおねむさせるほうがよさそうだ。
家に戻るようさり気なく促してみたものの、首に回した腕をがっちりと固定して離れようとしない。
そのうちにここで寝るとか口走りだしたので、彼女の言葉にそう迎合してもいられなくなった。
「では一緒に戻りましょうね。まだうるうたんも仕事が残ってるし、婆ちゃんにもあらためて挨拶しないと」
「うん、そうしよう。一緒に帰って私の部屋で一緒に寝よう」
こうなったうるうたんを宥める術はない。
とりあえず連れ立って婆ちゃん家に戻り、家事手伝いとして残った仕事をこなした後で、彼女には先に風呂に入ってもらった。
その間婆ちゃんにうるうたんの様子を伝え、どうすればいいか対策を聞いてみる。
「昂っとるのう」
「いまのとこ右往左往で、俺にはどうしようも」
「一緒に寝ろ」
「何言ってますのん?」
思わず関西弁が出た。
解決するどころかけしかるとはどういう了見か。
「ああなった女子は、冷めるまで戻らん」
「部屋でゆっくり休んで、一晩たてば直ってくれるんじゃ」
「あの子に火をつけたのはお前だ。犯人が責任を取れ」
豪快というか投げやり。達観にもほどがある。
「仮親としての自覚ないのか婆ちゃん……」
「あの女子の状態で、手が出せる男かお前?」
「……努力すれば何とか」
「では寝床くらいともにせい。爺さんは時と場合をわきまえるたらしじゃったぞ」
爺ちゃん引き合いに出されても。
いやまあ俺が堪えればいいだけの話なんだが。
うなりながら頭を抱えている間に、危機感のない雇い主さんはいつの間にか寝室へと姿を消していた。
そして燃え尽きたかのような体勢でうなだれること一刻、風呂上りのうるうたんが応接間に入ってきた。
俺はその姿を凝視してまずは固まる。
その次に顔を赤くし、我に返って腰を抜かしかけた姿勢で、彼女を指差しながら問いかけた。
「一体、それはどういう意図の格好デスカ?」
「ああ、これか」
湯上りで色気倍増しのうるうたんがワンピース型の寝間着、すなわち淡い藤色のネグなんとかの前部分をめくって魅惑的に微笑んだ。
下の白ショーツも丸見え。
今のこの子に、羞恥という感情はないらしい。
開き直った女の子ほど恐ろしいものはないと実感した。
「おば様からもらったんだ。伯父様の娘さんが買ってから、一度も着てなかった勝負下着らしくて」
完全に大人の女向けですよねそれ。
違和感どころか、似合いすぎて血が逆流してしまいそうだ。
時と場合をわきまえたという爺ちゃんを素直に尊敬しよう。
一見しただけで獣になってしまうほどのいい女を前にして、もはや就寝しか煩悩を抑える術はないとばかりにおねむを提案。
彼女に割り当てられた2階にある部屋に移動する際、この小悪魔は知って先に階段を上がっていったが、俺は頭を下にして視界を制限した。
いかに桃源郷がすぐ近くにあるとして、そうそう挑発には乗るものではない。
部屋に入ると伯父さんの娘さんが使っていた部屋らしく、白のカーテンに白の家具、薄いピンクのベッドとソファにグリーンの椅子など、かなりガーリーな仕様になっていた。今年春まで使っていたらしいので、生活感が残っているようだ。
そんな子悪魔はもどかしいとばかりに俺をベッドに引き倒し、自分も掛け布団をかぶって上に覆いかぶさってきた。
いろいろ接触するが、表面の顔だけは冷静だ。
多少頬が赤くなるのは仕方がない。
「一緒に寝るの」
「朝まで一緒ですね」
「ううん。ずっと一緒」
お子様口調につい笑いを誘われた。俺もうるうたんもおねむのようだ。
そしてまた嬉しい、との連呼。
できるだけ刺激しないように、頭をなでなでしてさらなる眠気を誘うことにする。
そのうちになにかを堪えきれなくなったのか、すすり泣きが聞こえてきた。
「一慎……」
こみ上げた何かを耐えるように小さく震えている。
「一慎、ごめん……」
この呟きで、一気にクールダウンすることができたのは幸いだった。
「大丈夫だようるうたん。何も心配ないから泣かないで」
覆いかぶさる格好のうるうたんを、強く抱きしめた。
安心させるように背中をさする。
うん、うんと頷いて縋り付く彼女に愛しさを抑え切れず、思わず軽くちゅっと唇を合わせたのは逆に冷静すぎたからだ。
思わずおわっと裏返る声が出てしまった。
一瞬全ての理性が振り切れた。
唇がかすかに触れただけの浅いキスが呼び水になったのか、うるうたんからのお返しは深く情熱的なものだった。
長く、ゆっくりとした動きのそれは、頭のなかがふやけるほど扇情的で、いつ終わるか果てない時間に感じられたほど、お互いにひとつになっていたような気がした。
「このまま、ずっと――」
許容量をこえた刺激を受けて、彼女の悩ましい声を聞きながらいつの間にか意識を失った。
寝てしまったのか、あるいは精神的にとんでしまったのか判別はつかない。
そしてこれ以上何もないまま朝を迎え、起きたときに見た彼女の安らかな寝顔と寝息に安堵したという事実だけは認識した。
時と場合をすんでのところでわきまえた、と勝手に満足して静かに自宅に戻る。
そう思い込むことで心の会議を回避した。




