お話38 覚悟
10月27日。今日は生誕16回目となる記念の日曜日だ。
つまり学校は休み。俺は一人暮らし。
朝起きると早速自ら買ってきたショートケーキを用意して、紅茶を入れる。
おめでとう、おめでとう自分。
父ちゃん母ちゃんからはメールと午前0時に連絡をいただいた。
肉親というのはありがたいものだ。
おねむ状態でまともに対応できなかったが。
誕生日すらぼっちと実感するに至って様々なマイナスの感情がこみあげたが、甘いケーキの味とともに飲み込んだ。
爽やかな秋晴れではなく、しとしと雨の天気というのも寂寥感を増幅させている。
ちなみにソロ誕生会となったわけとしては単純だ。
一慎はうるうたんにつきっきり。
ゴリさんとうーこちゃんには俺の誕生日を知らせていない。
わざわざ誕生日を伝えるというのも催促しているようで気がきける。
さしあたって今日の予定としては、たまった家事をこなす以外特にすることはない。
自身へのごほうびとして手の込んだ料理かとも考えたが、モチベーションの関係であっさり諦めた。
とりあえず明日からの経費節約のために、婆ちゃんの家へパンを強奪しに行くとしよう。
「今日お前の誕生日だろ、九介」
食堂といっても差し支えないほど広いダイニングルームで物色していると、婆ちゃんが背中越しに声をかけてきた。
「そうだよ」
「祝ってくれる友達はいないんか」
矍鑠とした足腰で椅子に腰掛ける。
母方の性で池波、名は藤乃。年齢のわりには気力体力が充実した、母ちゃんに遺伝子を分け与えただけのことはある豪快な婆ちゃんである。
「誕生日は朝ですませてまして」
「なんじゃい! 一人でとは寂しいのう」
わはははと大笑。
女のひとりもこませんでどうする、とか聞こえてきたがスルーでパン探し。
おっとメロンパン発見。
「爺さんに似たのなら両手に花のはずなんだがなあ」
戦利品を持ってボロ家に戻ろうとすると、話し相手をせいと引き止められた。
写真でしか記憶はないが、たしかに爺ちゃんは高身長の男前だった。
しかし俺が似たのは八方家の親父であり、母ちゃんの池波家ではなかったようだ。
婆ちゃん子である俺にはお年寄りと話していても、早々に倦むことはない。
結構な時間が四方山話で過ぎていった。
トイレなどで中座したついでに、居間や応接間などを見渡したときにふと気付いたことがある。この広い家がこのごろ散らかり放題なことだ。
台所もけっこう買い物しっぱなしで置いているものが多かったし、掃除も行き届いていないようだ。ヘルパーさんがいたはずなのだが、そのことを指摘すると契約切れの一言で済まされた。
本当かどうか怪しいものだ。
気ままな人だから、そのへんをやんわりと問いただしてみる。
「わしの家の状態が気になるなら、お前がうちで働け」
「……なんですと?」
「洗濯掃除炊事を請け負う家政夫としてな」
よそで働く暇あるなら、身内を助けんかい!
豪快に肩をしばきながら要請された。
おそらく決定事項であり、拒否権はないのだろう。
なら最初から婆ちゃんと一緒に住めばすむ話なのだが、母ちゃんいわく「一人暮らしの苦労を思い知れ」との一喝があったのでそれもしなかった。
そのときはヘルパーさんいただろうし。
「うちで飯くえば食費代浮くぞ。若いもんがパンなぞ漁って見てられんわ」
「なるほど詳しい話を聞きましょう」
お金は大事で、ご飯はもっと大事。
いきなりの提案にもすぐ食いついたのは、当然毎日の生活のためだ。
サラリーが発生するなら何を断る理由があろうか。
しかし貧乏とは悲しいものである。
「掃除洗濯は不器用なお前でも問題なかろうて。懸念は炊事だわな」
「ばあちゃん舌うるさいからなー。昔の味にこだわるし」
ヘルパーさんがいないのも、もしかしてその拘りのせいじゃないか?
「心配せんでも手ずからおしえてやるわい、身内だしの」
鬼教官か。しごきは覚悟しておこう。
そしてもちろん好条件なので、土下座してでもお願いさせてもらった。
給金は安そうだが身内の仕事だし、日程も時間も融通が利く。
定期的な収入を見逃すことはできない。
話がてらお昼を御相伴。
結構な時間が経っていたので、ひとまず帰宅することにした。
エプロンとかの作業着に着替える必要がある。
静かな雨はまだ降り続いている。
すぐ近くの距離なので傘をささずに小走りでアパートに戻ると、家の前で小雨にうたれて空を見上げる黒髪の美人が放心状態で立っていた。
小走りから次第に徒歩になり、2歩、3歩と踏みしめて立ち止まる。
声をかけることに躊躇し、彼女がこちらに気付いても距離感を保ったまま見つめるだけだった。
その姿を遠目に確認したときから心の高鳴りは収まらない。、
一時的に熱くなった身体は雨が冷やしてくれている。
どんな状態にせよ、うるうたんは美しい。
感情の昂ぶりを押さえ込んだあと、ゆっくりと静かに近づいた。
憔悴してもなお凛々しさを失わない彼女の佇まいに、全てのとまどいは消え去った。
できるだけ優しく、両手で彼女の頬を包む。
「雨が心地いいから、ここまで来てしまったよ」
答えられない。
押さえ込まないと何を言い出すかわからない自分は無言だった。
口だけがなにか言い出そうと動いたが、出るのは震えたため息ばかり。
それを見上げてうるうたんは笑った。
「どうして君が泣きそうなんだ。ほんとに、しょうがないな」
詳しい事情だとか、悪友はどうしたのかとかを問いただす余裕がない。
玄関で濡れた身体を拭いて家の中に入ってもらったことだけが、今の俺にできる判断のすべてだった。
乾いたというには程遠い、冷たくなっている彼女を後ろから抱きしめる。
雨音がすこしきつくなったように思えた。
「すまないな九介。弱音を吐かせてほしい」
振り返ったふるうたんが、正面から背中に手を回して抱きしめてきた。
「私はもう、だめかもしれない」
あの人たちとは一緒には暮らせない。
はっきりとそう聞こえた。
そしてそのとき、うるうたんを連れてふたりで暮らす、という先日の一慎の呟きを思い出した。
「君と別れたくない。だけどあそこにいられない以上、私はどこかに行ってしまうしかないのかもしれない」
「うるうたん」
突発的かつ衝動的に、思い当たったことがある。
背中をさすりながら、俺にできることがあったと気付く。
そしてそれは掛け合ってみないとわからない。
でもこんな形でこの子を失うわけにはいかない。
あらためてうるうたんのことを好きな自分を自覚する。
「家を出る覚悟はある?」
「九介……」
理解しがたい表情で見つめてくる彼女に、初めてこちらから笑ってみせた。
「うるうたんと離れたくないから、自分のためになんとかしてみせるよ」
どういうことかと首をかしげる黒髪の美人の手をとって、俺は立ち上がった。




