お話36 放っておいた罰
学園祭も行事日程を消化し、残すは生徒にとってある意味メインの後夜祭。
1年B組ホスト部の雑用をさぼった俺といえば、催しの後片付けをぼっちで遂行中だった。
昼食をとり忘れた結果、中途半端な今の時間になって腹が悲鳴をあげている。
何か食べないと倒れる。
作業を中断し、のそのそと廊下に出ると目に飛び込んできたのは隣のクラス、A組の出し物である喫茶店の看板だった。
へろへろになりながらも扉を開けると、中はすでに営業時間を終えたのか、閑散として客はいない。後片付けの女の子と、厨房らしき仕切りの奥で作業をしている子との気配があるだけだった。
新聞紙を乗せた机の上で教室の高所にある装飾を取り外している最中だったらしく、その姿勢のままこちらを振り返っている。
「お店は終了だよー? お客さんだよね」
「あー、そっか」
残念。
肩を落としつつ店を出て行こうとしたが、女の子だけの作業で高いところはきついだろうと余計なお世話を買ってでることに。
すきっ腹での作業はこたえるが、ここは見過ごせない。
「ありがとう優しいねー君。こういうのってやっぱり男子でないと捗らないもんね」
お役に立ててなによりです。
大雑把に装飾を取り外したあとで、さすがに気力を失くして椅子にへたりこんだ。
「お腹すいてるの?」
「そ……ですねぇ」
「あれ?」
ここに来てから仕切りの奥で作業していたもう一人の女の子が、壁際からひょこっと顔を出した。
「君八方くんだよね?」
「八方九介であります」
「いつだったか放課後何人かで会ったよね、真昼と一緒に」
そういえば夏前に会ったことがあるような。
名前も顔も曖昧だ。そのときにこの子がいたのかは思い出せない。
「え、八方くんてそっかーこの子が」
ふたりともかわいらしいウェイトレス姿で近寄ってきた。
疲れが少し取れそうだ。
「そっかそっか。八方くんならはやくそう言いなよー、たらしですよって」
「おい今なんてった?」
ふたりとも大うけ。
自分の言ったことで大笑いしながらメールを打っていた。
「ちょっと待っててね。お腹すいてるならとっておきの甘いものあるから」
得意満面で出してきたのは、厚紙で作られた箱に入っていたシュークリームだった。
クーラーボックスに入っていたのか冷たい。
「いただいても?」
双子のように同時に顔を見合わせて含み笑い。
食べなーと言ってくれたのでそのままぱくついた。
「っていうかね。それ君以外食べちゃだめなシロモノなの!」
「なんですと」
「わかんないかなあ、たらしのくせににぶいんだね!」
「……」
「八べえがもし来てくれたら渡しておいてね、ってね」
ねー? とお互い顔を見合わせる。ようやく理解した。
これを作ったのはお母さんのような包容力がある、料理上手な子だ。
「真昼は来るか来ないかわからない君のために、自家製のこれを持ってきてたんだよ! メニューにないよシュークリームなんて」
「うまいとしかいえない」
「心こもってるだろうからね! うちの男子ねたんでうらやんで大変だったよ。君はどれだけ幸せものか自覚したほうがいいんじゃない?」
すきっ腹でなくとも染みてくるこのうまみと甘み。確かに幸せものだ。
生クリームとの絶妙なハーモニー。心遣いにまじで惚れてしまいそうだ。
一線引くどころか越えてしまいそうになる。
「恋は女の子を綺麗にするってほんとなんだね。あの真昼の可愛さってさ、君に向けられたものだよね」
……利くんを思い浮かべたが沈黙を守った。
2個目いただきます。
「綺麗になってからいろいろ他のクラスの男からも声かけられたり告白されたり。2年の先輩とかからもね」
「そうそう。実際のところは詳しく知らないけど、それ全部華麗にスルーしてるんでしょ? 営業時間中も真昼目当てで来る男が多かったしね」
ゴリさんがこの黒エプロンに黒ショートパンツ姿で接客か……それは野郎どもが押し寄せてくるのは無理もない。
しばらくしてパタパタと駆けてくる音が聞こえた。
それは近くで止まり、勢いよく扉が開かれたかと思えば、眼鏡をかけたウェイトレス姿の可愛い生き物その3が飛び込むように中に入ってきた。
そして俺の姿を見つけると、お礼を言うまえにポニーテールを揺らして背中から抱きしめてくる。
「はやっ! メールしたのついさっきだよ? どれだけ急いで来たの真昼」
はあはあと息を切らし、クラスメイトににっこりと無言の返事。
抱きつかれた自分はというと、もふもふと甘いお菓子を頬張りながらも他人事のようにゴリさんを見上げていた。
「……」
「言葉なんていらないんだね。真昼ほんとにこのたらし君好きなんだな」
「なんよねー……」
口元についているクリームを嬉しそうに指で拭き取る。
そんな動作を当たり前のようにこなす彼女に、女の子ふたりは唖然としつつもあてられたリアクションをとっていた。
「では、ごゆっくり~」
むふふ顔とにやけ声で教室を出ていくふたり。
ひらひらと手をふってご機嫌なゴリさん。
俺もシュークリームを食べ終えた。完食だ。
椅子の軋む音がする。
そしてほとんど間をおかず、対面馬乗り額寄せに動きが収まった。
その体勢から無言が続くのもうるたんと共通する仕様だ。
遠くで歓声が聞こえる。
体育館でのバンド演奏らしきものがすでに始まっていたようだ。
後夜祭も本番か。
「よかったー」
こつ、こつと額を当てたり離したり。
間近で見つめ合うには恥ずかしいので目は閉じている。
「今日もう会えないと思った。このごろ」
何気に視界を広げると、眼鏡越しからまっすぐに見つめる綺麗な黒目とぶつかった。
まじまじと見つめられて視線を逸らしそうになったが、顔を挟まれて元に戻される。
距離が近すぎて動悸が止まらない。
「このごろ八べえ冷たいんだもん」
「あーいや。あのね」
「わかってるよ。利くんのことで気を使ってくれたんでしょ?」
「えーっと、そうね」
理由としては微妙なところだが、まあそういうことにしとこう。
一線とやらも一ヶ月持たず瓦解した様相だ。
俺の意思の弱さときたら……
「……」
はっとしたがもう遅い。 唇と唇が触れていた。
「……うちを、放っておいた罰だ」
「ゴリさんちょっといま」
「うん。うちはお菓子を作るのも上手、あまあまだ~」
ちょっと今のって舌どうし……
チューっていうかそれ思いきり深いやつ――
「ごちそうさま」
ぺろっと舌をだしてクリームのついた自分の指をひとしゃくり。
どエロすぎな一連の動きに言葉を失った。
純真な子のはずが、色気を炸裂させてまだ足りないといった面持ち。
何よりも深め半端ないチューなど想定外だ。
「隙ありすぎてついしちゃた。我慢できなかったよ」
「いやいやいや! 今のなし、カウントなし」
「だめよー、もううちのファーストキスとしてしっかりと記憶に刻み込んだから」
「……ファ」
言いかけて、もう一度同じ感触を味わった。
積極的なうえ情熱的すぎて初めてとは思えない……
「って! いかんいかん」
肩をつかんで引き離した。
……目が妖しくなり、薄く笑ってる。
過日のうるうたんを彷彿とさせるメンタルの危うさを感じた。
「うちを長く放ってるとおかしくなるからー」
ささやいている間も唇との距離はゼロ。
軽く噛まれてさらに俺は石のように固まった。
「これからはときどき正気になるためにも、こうやってチューしようね!」
「……」
「こんなえっちなうちにはおしおきかな? 八べえ変態だから困るよー」
しらふだよな?
それにしても頬が上気し、昂ぶっているようで顔はたしかに赤い。
判っているのは普通の状態じゃないってことだ。
「後夜祭始まってるね」
「ふーん」
話を変えようにも興味なしか。いつもの頬ずり状態のまま時間は過ぎていく。
そういえば利くんはどうしたんだろう。
「行永先輩と一緒じゃなかったの?」
「一緒だったよ?」
……今の彼女に遠まわしな言い方は通じないようだ。
「そばにいたのにこっち来ちゃったのか」
「利くん音楽祭で好みのバンドが出てきて夢中だったよ」
……なるほど音楽バカとしては同意できる。
後片付けが終わったら俺も見に行こうと思っていた。
「うちは八べえに夢中だ~」
さて童心に戻ったこの子をどうやって正気に戻そうか。
思案顔で考え込んだ。
女の子特有のいい匂いに包まれてさまざまな感触を感じるなか、俺自身が冷静でいられるわけもない。
頬ずりしたりチューしたりと邪魔をしてくるこの可愛い生き物にうれしい悲鳴をあげたとき、ゴリさんの名を呼びながら廊下から聞こえてくる荒々しい足音を確認した。
つい先日も似た体験をしたことがある。
そううるうたんのときと同じ。誰なのかも判っている。
純情なあの眼鏡先輩のことだ。
普段のゴリさんからは考えられない卑猥な体勢で向き合う俺たちを見れば、切れるのは確実で、俺への鉄拳も確実。
しかしもはや回避の時間は残されていない。
それならもう桃源郷を楽しむしかないだろう。開き直りも時には必要だ。




