お話26 君だけに
温泉ではないものの、一面の壁ガラスに広がる海景色のなんという雄大なこと。
男風呂から見える絶景は超一流ホテルにすら匹敵するだろう。
サンオイルの重ね塗りを忘れてしまい、体中がひりひりしながらもこれを見るために大浴場にいるようなものだ。
冷たいシャワーをあびながら仁王立ちで彼方を見つめていると、後ろから温かいお湯が背中にぶちまけられた。
「あっつ! ちょっと待て痛い」
「うるせえ」
次から次へと水鉄砲というか湯鉄砲が飛んでくる。ちなみに2本。
利くんが笑いながらも強力な水流を放っていた。虎の尾を踏んだ気がする。
「さっきの鉄拳と蹴りで許してくれるんじゃなかったのか」
「慈悲深い俺もそう思ったがな」
鉄砲は続けて連射中。利くんは無言で威力を増加中。
「多聞ちゃんの幸せそうな寝顔を思い出して、考えを改めた」
「真昼君も嬉しそうだったね。しかもふたりとも八方君の肩をもつし」
熱い男にキャラ変わってませんか?
歴史友達ならではの打ち合わせなしで三段撃ちもどき。お見事です。
風呂からあがったあと、親切にもタオルで体をごしごしと拭いてもらった。
すばらしい対応と痛みで涙が止まりませんでした。自業自得か。
男ふたりから女の子たちに近づくな、と禁止令をもらった危険人物は只今梅の間にぼっち中。
彼らの静かな怒りの本気さにびびった俺は、すんなりそれを受け入れた。
お風呂上りのたおやかであろう彼女たちを見ることもなく、隣から聞こえてくる賑やかな話し声とか笑い声を尻目に、夏休みの課題を黙々と進めだした。
ご飯時まで結構進みそうな軽快な進行具合にまんざらではなくにやにやしながらお茶をすすったとき、着信音がした。
デフォルトの音のままというおっさん仕様だ。
「キューちゃん、おひさまー」
明るく元気な第一声。
それだけで男がへろへろになるような、天性の可愛らしい音質だ。
「おひさまー。元気だね、合宿は終わったの?」
「まだー。今から自由時間なんだ」
確かに端末の向こうから男女の集まりのような喧騒が聞こえる。
「なにしてたのー?」
「課題を高速処理中」
「え~先輩と五里さんは?」
「隣の部屋でそれぞれの相手といるねえ。あの子たちも楽しんでるよ」
壁からも端末からも賑やかしの声が聞こえる。
この部屋だけ孤島のようだ。
「ふ~んキューちゃんさみしいねえ」
「へっへっへ……」
なぜそうなったのかは言えねえ。気持ち悪い笑いでごまかしておこう。
「あたしがそこにいたらなあ。ずっと一緒にいてあげるのに」
「ありがたいのう」
少なくとも俺は十代だ。
おっさん臭い答弁に失笑するうーこちゃんにまざって、聞き覚えのある男の声がした。この刺々しさはハリセンでしばきまくられたから覚えている。
3年の部長だ。
「こんなときにまで明春君に売り込みかい? どうせ他の女にうつつをぬかしている最中なんだろうに。結局振られるんだけどな」
振られるどころか接触禁止です。
伝えたらさらに引かれるだろうから無言。
「明春君は、君にはもったいない」
彼が急に真面目なトーンになった。向こうではキャーと歓声がこだました。
そしてようやくこの人がうーこちゃんに本気だと理解した。
「あっ、キューちゃん気にしないでね今の。部長何言ってるのもー」
部長のごめんよとかの声が遠くで聞こえる。
すべてはうーこちゃんが判断することだが、ぼっちの部屋ではろくな感傷しか思い浮かんでこない。彼女の柔らかい声で我に返った。
「夏休み中にどこか行こうね、約束したもんねこの前」
「今度こそ忘れません」
海に行けなかった代わりというのなら絶対履行しなければならない。
確約をとってお互い納得したところで、回線を切ってしばらく考えにふける。
演劇部の部長の本気さは伝わった。
以前会ったときに感じた棘棘しさは本物だったようだ。
うーこちゃんもさほど嫌そうではなかったようだし、意気あがるのも当然か。
いつの間にか目の前に眼鏡先輩がいたことにも気付かずに深淵に浸っていたが、さすがに時間がたって正面に胡坐をかいた利くんから話しかけてきた。
「八方君」
電話が終わるまで待っていた、と口を開く彼に頭を下げた。
鈍感なのは僕もだからという言葉をいただいた。
「……ずっと悩んでいたんだけど、やっぱり聞いておかないとすっきりしないから」
「何をです?」
頭を切り替えて相手に向き合った。
そしてわかりきっている利くんの質問の先を促す。正念場か。
「君は真昼君のことをどう思っている? 正直な考えを聞きたい」
純朴な彼はまっすぐで小細工なしに聞いてきた。
利くんの長所に反応して素直に答えようと思った。
「可愛いと思ってますよ。正直に言うと惚れてまうやろの感覚です」
「僕は」
一旦言葉を切ってから、利くんは再度口を開いた。少し小さい声だった。
「……気になりだしたのは、君と一緒にいる彼女を見た後だったよ」
眼鏡をかけ直し、自嘲気味に息をつく。
そのときの光景は衝撃だったと補足していた。
「言葉にできるものじゃないな。彼女はいい子だけど趣味の合うただの後輩と思っていたからね。だけどわずかの間にどんどんと、その……」
「女っぽく、可愛くですね」
「うん。その原因が何故なのか、僕にすらわかってたから。変わっていくあの子を見るたびに、気のせいだって言い聞かせてたんだけど」
「確信したのはいつです?」
「君だけに」
しっかりと面を上げ、自分を見つめてくる。
本気の目と本気の顔だ。
「君だけに手料理を作るんだって部に来れなかったあのときだよ」
「でもあれは」
「わかっている。君は僕も呼んでくれたからね。当然彼女を責めるつもりもない。彼女自身もわかってなかっただろうしね。自分の変化に」
口数がけして多くない利くんにしては多弁だ。
それほどの想いをこめているのだろう。
「本当のあの子の笑顔が見られるようになって、気がつけば当たり前のように好きになっていったよ。そして自然な彼女の姿を見られるのは、君の」
口ごもって次を話さない。ぱしっと膝を手で叩く。
「なんだっていうんだろうな、この気持ちは。悔しくて泣けてくる」
ただの愚痴になってしまった、と利くんは寂しく笑っていた。
対する答えを持てないで俺も口ごもった。
「色々とね、八方九介の噂話は聞いている。だけど君と一緒にいる人間だけが、真実を知っている。今の真昼君や、あの気難しいと評判の多聞さんが見せる本当の姿を知ったら皆はどう思うだろう。軽薄な女たらしが出来ることじゃない」
仲人にしかすぎないことを伝えるべきなのか。
それではゴリさんが自力で告白することへの邪魔にしかならないとためらってしまう。展開が急で、頭がついていけてない。
「だけど僕は彼女が大好きだ」
「……」
「君がどれほどの男たとしても、簡単にあきらめるわけにはいかない」
言いかけて、またためらった。それを見て利くんがうんと頷いた。
「僕の気持ちを伝えたかっただけさ。君やあの子がどう感じているかは、今はまだ察知したくないね」
ここからが本当の……そう続けようとして利くんが黙り込んだ。
共感できる心の動きだ。俺も以前ずっとそうだったから、彼の葛藤は人事ではない。
結果的に挑戦状のようなものを叩きつけた結論を出すと、眼鏡先輩は部屋をそっと出て行った。
隣から聞こえてくる男女の声を環境音楽に、中断していた課題を再開する。
何も頭に入ってこない。先ほどの進展さが嘘のようだ。
俺はゴリさんと馴れ馴れしくしすぎたのだろうか。
そんな感覚を持っているから変な奴だとか、さっきの演劇部部長のような対応されるんだろうか。だとしても今更一線など引けようはずもない。
やはり俺は噂を否定できる立場にいないようだ。




