お話104 戦い
俺としては憂鬱な行事が始まった。年に一度の運動バカが輝く日、体育祭だ。
雨ヶ崎東高校は六月半ばの行程ということで、梅雨にも負けずどんより雲のなか毎年強行に開催されている。
スカイブルーの体操服を着た全校生徒が運動場で一同に会して日頃の運動能力を披露するのだが、男女ともに半袖五分丈のパンツ姿で、何年も前にブルマなどといういかがわしい格好は廃止されていた。
おっさん気質で変態の俺には痛恨の極みだ。
クラス対抗徒競走、長距離走、リレー走などといった花形の種目で注目を集めるのは無論運動部の面々であり、普段から不摂生の俺には縁のない話。
逃げ足が少しばかり速いだけで無理やり徒競走やリレー走に参加させられたのは遺憾に過ぎる。
あまつさえ長身の男前と速さを競うというのなら尚更だ。
「ぶっちぎってやるよ変態野郎」
走る直前にストレッチをしながら威嚇してくる悪友には、各学年の黄色い声が飛んでいる。そんな声のなかに、長い黒髪が麗しい美人さんの声援も混ざっていた。
学校一どころか地域随一と名高い彼女の雅な姿は、野暮ったいジャージの格好でさえ衆目を引いている。
髪を後ろに束ね、顔を全面に晒したいつもとは違う艶やか振りで、全学年の男子生徒の視線を独占しているようだった。
その場の雰囲気を一気に支配することに慣れているうるうたんは、長い足を見せ付けるように一歩踏み出し、片方の手を腰に、もう片方の手を上げて、かつての恋人である一慎を指差していた。歓声なかにあってもその可愛い生き物の仕草に男どもはわっとどよめいた。
「一慎!」
「おう」
名指しで悪友を呼ぶ束ね髪の美人。
ざっざっと土を蹴って臨戦態勢の男前。実に絵になる。
意図的に大げさな身振りでいるのは、公としての応援のつもりなのだろう。
「あの男は敵だ」
「おうよ」
うるうたんと一慎は学年こそ違えど同じ白組。俺は赤組だ。
「変態に負けるなよ?」
「もちろんさ。すべての種目で完封する」
にやり、と同時に悪い笑みをうかべる美男美女。
そんな光景に白組の応援団が触発され、賑やかな応援を開始しだした。
わあっと意気上がる敵組の歓声に赤組も対抗する。
互いの応援合戦の間に、可愛らしくもよく通る声が2年生の集団のなかから聞こえてきた。すばらしい美声と言えた。
「キューちゃん、這ってでも食らいつけ! 男前に鉄槌だよ!」
うーこちゃんがショートボブにハチマキをして、応援団のような出で立ちで 拳を突き出してきた。
思わずあはっと笑って拳を突き返す。ブーブーという敵組の煽りに混ざって転んでもげろワレ、という関西弁を察知したが気にしない。
ピストルもどきの合図で一斉にランナーが駆け出した。
短距離ということもあって、最初から全速力だ。
円状のコースに差し掛かると、見えない当てこすりやぶつかりの応酬が始まる。
悪友と俺は双方意識して激突した。
肘うちや肩で押し合いへし合い。
先頭争いが出来たのは奴にとっては当たり前、俺にとっては行幸というべき奇跡だろう。
「負ける、わけには、いかねえ。お前にだけは」
わずかな隙に渾身の肘うちを受けて、思わずのけぞった。
後続の運動部に続々と抜かれる際、意図しない膝上げを食らって派手に転倒する。
あ~っという残念そうな嘆息の合唱を浴びながら転げまわって起き上がり、膝からの出血を自覚しないまま最後尾で皆の背中を追った。
気落ちするのはゴールしてからだ。
「八べえ!」
独特の呼び名はポニーテールの眼鏡っ子のものだ。
ゴリさんは敵組なのであからさまに応援はできない。
だとしてもあの子が伝えたい意気は受け取った。
しかし結局はビリで到着。
もつれた足でゴールしたため、再度転倒でまた膝を擦りむいた。
保健委員がやってくる前に、一足先にゴリさんが飛び出てこちらに向かってくる。
白組の保健委員が赤組の手当てをするという異例の光景だった。
先頭でゴールした一慎がそばにきて、勝者の余韻覚めやらず見下ろしてくる。
悪友も鬱憤がたまっているのだろう。
理解のある男とはいえ、俺も奴もまだ子供だ。
鬱積した気持ちをこの場を借りて発散した結果となった。
甲斐甲斐しく膝の手当てをするゴリさんに、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「大丈夫」
ポニーテールを揺らしてそんな相手を見上げながら、ゴリさんは微笑んだ。
「男の子の戦いってやつ?」
「うん」
諭す母親に面目ない子供のような会話が展開された。
「八べえと中立くんの間には、うちには判らない何かが存在するんよね」
「さて」
とぼけて曇り空を見上げる一慎に、にこりとして立ち上がるゴリさん。
うるうたんといい、この子といい、綺麗な女とこいつの組み合わせは絶妙だ。
「八べえ頑張ったね。じゃあね!」
悪友の背中をばしっとはたき、俺に手を振って去っていく敵組の保健委員。
ありがとうと叫んで彼女に手を振り返した。
「いい女だなゴリさん」
「ああ」
砂埃を払って立ち上がった。反則というか格闘のようないさかいにも、俺とこいつは後に引くことはない。
殴りあいも何度か経験している。
「お前にはもったいなさすぎる子だよ。多聞ちゃん以上にそう思う」
「……だな」
「もうひとりのあの子も」
再度の肘うち放って一慎が去っていく。
振り返って見れば、ハチマキ姿のうーこちゃんがいた。
「健闘だったよ。諦めないんだねキューちゃん」
「うーこちゃんの気合を受けたから」
にかっと快笑して手を上げてきたショートボブの小さい子に、敗残の身ながらあえてハイタッチで応えた。
膝が痛むと同時に、開き直った今も相変わらずの分不相応を痛感する。
うーこちゃんの慰めを受けながら、結局は勝負に負けたことを引きずっただだ下がりの前半戦だった。
昼食時間になり、学年の違う男女7人の大所帯でお弁当を広げている。
中庭に陣取って椅子に腰掛ける俺とうるうたん。その下でビニールシートに座るうーこちゃんとゴリさんと取り巻きの男たち。
欠食児童のような関西弁と平良、一慎が彼女たちの手作り弁当に食らいついていた。
「短距離長距離、当たった種目で全て中立に敗北なんね」
ゲジ眉の平良がゴリさんのから揚げにかぶりつきながら、素っ気無い現実を指摘した。ざまあ顔の関西弁がハッと吐き捨てている。
「この後も負けねえさ」
ゴリさんからお茶を受け取って、うーこちゃんからおにぎりをもらう一慎は軽くハーレム状態になっている。
それに気を止めないほど花より団子のふたりの男が、から揚げの奪い合いをしていた。
「かなり剣呑な戦いだったが?」
俺に肉団子を差し出しながら、髪を束ねたうるうたんが一慎に目を向けた。
少し糾弾するようなまなざしだった。
「一番賛同してくれると思ったんだけどな」
「理解はしたよ。だがあの殴り合いのような走りはないだろう」
「八べえを甘やかしたいんよ。中立くんもそこ読み取らないとね」
うるうたんに反論されて不貞腐れたようになる悪友をフォローするように、ゴリさんが仲裁に入った。うーこちゃんも口添えする。
「多聞先輩はキューちゃんが子供に見えるんだからさ、おいたをする悪ガキは許さないんだって」
「俺が悪ガキか」
情けなさそうな一慎のへこみ顔に、女の子たちが賑やかな笑い声を立てた。
いったん食欲を満たした関西弁とゲジ眉が、悪友の左右にいるゴリさんとうーこちゃんの間に割って入る。
長身の男前は肩をすくめてどさくさまぎれの打撃をかわしていた。
「打たれ強いこれのことだから心配ないが、勝負は堂々とな」
「わかったよ。だけど応援は俺だよね?」
「もちろんさ」
子供のような表情の悪友につられ、目元を和ませた束ね髪の美人さんは、箸を口につけたまま即答していた。
すでに囃し立てる間というのを心得ている関西弁の口笛が響く。
「次に中立と当たる種目はなんさね」
「借り物競争ちゃうん?」
平良と関西弁の確認作業を尻目に、うるうたんからあーんされていただくこちらの食事にようやく気がついたゴリさんとうーこちゃんが、身を乗り出してそれぞれおかずを差し出してきた。
俺の座る椅子に向かって膝立ての前かがみのような姿勢になっている。
つまりうーこちゃんの前屈が後から丸見えということだ。
さらに離れた場所で座っていたゴリさんに至っては、四つんばいで女豹のポーズになっていた。
後方の男どもに造形美を突き出すような所作など断じて許せるものではない。
そう思って立ち上がりかけたが、関西弁とゲジ眉に肩組みして後ろを向かせる悪友のすばやい行動で、なんとか事なきを得た。
「はい八べえあーん」
「キューちゃんあーん」
自覚なしの痴女たちは背後で繰り広げられる格闘に感知せず、俺の口に食材を放り込むことで懸命だ。
「何すんねん! せっかくの目の保養やのに」
「そうさ! 千載の機会に中立てめえ」
じたばたしながらもがく色魔たち。
一慎の行動はさすがに紳士そのものだったが、無言で背を向けているところを察するに、おそらく一度ふたりのアレを鮮明に記憶したからなのだろう。奴も男だ。
「好き嫌いはなしなんよ。これもね」
「お魚もね」
次々に放りこまれるおかずで口一杯になりながらも、内心ほっとして咀嚼を開始する。隣のうるうたんがくっくっと喉の奥で笑っていた。
「五里くんも明春くんも私も、君の前だけは警戒心がなくなるんだよ。誰にでも気安いわけじゃないぞ?」
「しかしあの姿勢は許せませんよ!」
不機嫌を隠せない俺に当人たちは気付かず、わんこそばの店員のように次のおかずを待機中だ。
「怒るな。見たいのならあとで私のを突き出してあげるから」
耳元でささやく卑猥すぎる誘いに、一気に口の中のおかずを吐き出した。
「キューちゃん、はしたないよ!」
「行儀がわるい子はおしおきだね!」
うーこちゃんとゴリさんのお叱りの声が中庭に響き渡った。
立ち上がった彼女たちの仕草に、男たちも振り向く。
どエロぶりでは誰にも劣らない束ね髪の美人さんが、どさくさにまぎれて俺の頬にちゅっと唇を押し付けてきた。




