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お話102  おしおき

 優しい雨だ。梅雨は本格化したものの、今日の雨足はさほど強くはない。

 心のメンタルを取り戻したかのような快眠から目覚めた早朝、居間にはすでに登校の用意を終えたのかお茶を飲んでいるうるうたんの制服姿があった。

 いつもより早い手渡し弁当の業務だと思って問い質すも、合鍵を持つ嫁に無粋な事を聞くな、と一蹴された。黒髪の美人さんは婆ちゃんと朝食を共にして制服に着替えた後、俺の朝餉(あさげ)の支度に来たということらしい。


 ローテーブルにはご飯、味噌汁、海苔、卵焼きといった品目ができたての状態で並べられている。こういったシンプルながらも心のこもった献立が大好物なのは、すでにうるうたんの知るところだ。


「九介に少しでも早く会いたかったから」


 おかずにかぶりつき、ご飯をかきこむ様を見つめる彼女は麗しくも穏やかで、しっとりした微笑みを浮かべていた。

 染めていた髪も本来の黒に戻したようだ。

 こうして正面から向き合ってみるとその美しさが実感できる。

 切れ長の瞳と鼻梁の線の端整さは鋭角過ぎず丸すぎず、凛々しくも柔らかい絶妙なバランスを保っていた。

 グラビアアイドル顔負けのスタイルと相まって、この子はメディアの中にいたとしても有数の存在になれるだろう。

 これほどの美人が紺のブレザーに緑のチェックスカートで目の前に鎮座するその様子は、古いアパートとの対比もあって存在していること自体が違和感の塊だ。


「ほら。またこぼしているし、ついているぞ」


 口元についたご飯粒をとりながらテーブルを布巾でひとなぞり。

 ここまで嬉しそうな彼女を見るのは久しぶりかもしれない。

 昂ぶりを内に秘めた落ち着きと所作のひとつひとつに、俺もどきどきしっぱなしだ。


「君とすごすこんな時間がどれだけ大切なことか。後悔と絶望のなかで思い知ったよ」

「俺もですようるうたん」


 うるうたん、というあだ名呼ばわりに彼女が目を細めて頷いていた。


「食べて」


 卵焼きを差し出す可愛い生き物。

 臆面もない行動に自分も臆面はない。もっさもっさと頬ばった。


「あーん」


 私も、という意味で口を開くうるうたんに萌えまくって身もだえしながら、お返しの卵焼きをつまんだ。

 もふもふと食べる仕草も可愛らしい。

 萌え死にさせようとわかっていてやっているにしても、単純な俺には効果覿面(こうかてきめん)だ。

 この手のやりとりとか駆け引きでこの子に勝てる気がしない。

 主と従はいつでも固定で、変わることはないのだろう。


 流し台を前にお互い歯磨き。

 いつのまに持ち込んでいたのか、うるうたんは専用のハブラシでかしこし歯を磨いている。

 すでに俺のハブラシ入れと化していたコップにそっと差し込んでいたようだ。


 言葉は多くない。そして言葉がないと間が持たない関係ではない。

 大事なときには(つむぐ)ぐ必要はあるものの、俺とこの子はその点で以心伝心だった。

 つまりこの一点では、あの無造作ヘアのハンサムに引けはとらないと思っている。


 和やかで静かな朝の風景は、いきなり開けられた引き戸の勢いで一気に霧散した。

 コント仕立てのような開け方や侵入の仕方からして、こんながさつな男は他にはいない。悪友の一慎だ。

 隣のうるうたんは平然と口をゆすぎ、乱入者を見ておはようの挨拶をしている。

 小心者の俺はびびって吐き出すものを飲み込んでしまっていた。

 完全に雰囲気が間抜けな方向へと逆転してしまっている。


「おはよう多聞ちゃん。ご機嫌麗しく?」

「ご機嫌だよ。これがいつでもそばにいてくれるならな」

「ご馳走さま。甘々だね」

「これからもっと甘くなる。依存しまくってやるんだ」


 飲み込んだ際、器官に少し入りかけてむせる俺の背中をさすりながら悪友と話し始めるうるうたんの声は明るい。それを感じて奴は眩しそうに彼女を見返していた。


「この変態にやるには惜しすぎるんだが」

「やらんぞ一慎」


 ようやく回復して悪友に返答した。

 U.Kスタイリッシュのような髪型の男前は渋く笑って、顎の下に拳を入れながら軽く凄んだ。


「油断するな。この子ほどのいい女にはいい男がつきまとう。()れてそんざいに扱ってみろ、俺がすぐ奪いにやってくるからな」

「心しておくよ」

「上戸もそのつもりのようだし」

「……勘弁してくれ」


 ワイルド系と王子様ふうのハンサムが相手では、俺の心配は杞憂などではない。

 うっかり手を離すと一瞬でどこかに連れ去られそうで、脅しでも警告でもない決定事項の通達に肝が縮んだ。


「一慎や高明ほどの男なら女などいくらでもいるだろう?」

「いないよ? 多聞ちゃんほどの女はね」


 無意識に首をかしげるうるうたんの仕草に萌えたであろう一慎が、挨拶代わりに俺へ一撃。お腹に拳骨が入った。


「うちはー?」


 ほぼ同時刻にアパートに来たのだろうか、開いたままの玄関から制服姿の色っぽい女の子が姿をあらわした。

 その第一声に反応したのは彼女と相性がよさそうな長身の男前だ。


「おうゴリさんおはよう」

「おはよー中立くん」

「なるほど。五里くんなら一慎の相手にふさわしいかもしれないな」


 けしかけるようないたずらっぽい口調のうるうたんに、悪友とポニーテールの眼鏡っ子が含み笑いをして見つめあった。

 ふたりの間に割り込む動機はヤキモチとか執着だ。もはや遠慮はしない。


「浮気者の八べえに、少しは危機感を持たせないとねー」

「ああ、そうしなさいふたりとも。デートでもなんでもしてくるといい」

「承ったぜ。ゴリさんなら俺も相手に不足なしだ」


 美人同士おはようを言い合いつつ、恐ろしいことを口にした。

 それに乗っかる一慎も半分本気そうだ。


「あらためて、おかえりなさい多聞先輩」


 俺と一慎がじゃれあいながらぼかすか応酬するなか、ゴリさんが満面の笑みでぺこりと一礼した。ポニーテールが上下する。変態の大好物である白いうなじも見えた。


「……ただいま」


 にっこり笑顔の眼鏡っ子の溢れんばかりの好意に、凛々しさと自信のあふれた長い黒髪の美人はありがとう、とはっきり感謝の言葉を述べていた。

 少し瞳がうるんでいるような気がする。


「いるべき場所に戻ったところで、けんかの続きをしましょうか」

「ああ、そうだったな。五里くんは恋敵だ」


 本気の笑顔で本気の睨み合い。珍妙な光景だが、違和感などまるでない。

 部活の関係で早めに登校したであろうショートボブの小さい子がここにいれば、彼女たちの中にまざってさらに事態はややこしくなったはずだ。

 3人を請け負うという決心はついたものの、そんな異常な関係に慣れるには心の会議が必要で、開き直りもまだまだ足りない。


 学校までの道すがら、後ろでゴリさんと共に歩く一慎を振り返る俺は怒りを抑えきれないでいた。悪友との立場が逆転したかのようだ。

 手をつないで隣で歩くうるうたんも、あからさまにヤキモチを妬く見慣れない態度に興味半分からかい半分でにやにやしていたし、一慎と浮気しようかなと軽口を叩いていたゴリさんからもいーっだとけんつくを食らわされる始末。

 あまりにも似合いすぎて血圧が上がったところで学校に到着して解散になった。

 心配事の種はまだまだ尽きそうにない。因果応報か。





 昼休みの時間、うるうたんと中庭でお弁当を広げている間に、相性抜群のお似合いのペアがゲジ眉の平良を巻き込んで予定を組み込んでいたことを、放課後になってから知らされた。

 部活終わりのうーこちゃんと付属物の関西弁が合流し、学校近くの公園で予定の決定事項を発表されたというわけだ。


「今日五里さんの誕生日なのかあ」


 部活動をこなして尚元気なショートボブの小さい子の声が周囲に響く。

 初耳の俺も驚倒しかけたが、俺より前にそれを知った一慎とゲジ眉はゴリさんの左右にあって仁王立ちで頷いていた。ちなみにゴリさんがブランコに座り、その周りに奴らが陣取り、俺とうるうたんが前の鉄柵に腰を下ろしている配置だ。

 関西弁はうーこちゃんと共に遊具を背にしてもたれかかっている。


「おめでとー。じゃあみんなで祝うってこと?」

「ありがと。ていうかそれがね」


 うーこちゃんが飛び跳ねてゴリさんの両手を取る。

 うるうたんがめでたいなと呟きながら立ち上がって近づく。

 可愛い生き物の集合はいつ見ても眼福だ。

 全員で祝うであろうと思われた誕生日の告白であったが、ゴリさんに代わって説明するゲジ眉の言葉は意外なものだった。


「オレとこの男前が同伴して、真昼ちゃんとバースデイデートをするんさ」

「なんだって!?」


 意気揚々と告げる平良と首を縦に振る長身の悪友。

 俺の声は狼狽によって裏返り、うるうたんやうーこちゃんの驚きを尻目にゴリさんに向かって詰め寄った。


「お、おしおき?」

「おしおき」


 周囲を見渡して身悶える俺に、満面の笑顔でにっこり返答するポニーテールの眼鏡っ子の返事は簡潔そのもの。


「浮気の代償は高くついたな九介」


 ぽんぽんと肩を叩いて慰めなのか追い討ちなのか、楽しくてしょうがないといったサドっ気を発揮しているうるうたんが、ゴリさんの意趣返しに賛同してきた。

 関西弁が囃し立てる口笛はもうファンファーレのようなものだ。

 うーこちゃんにはたかれて嬉しそうにしているのは、あいつがマゾだからか。


「うちが知らない間に、あんなおっぱい大きい女の子といろいろシテたなんて許せないじゃん」

「シテた、だなんてそんな」

「お尻ガン見してたんよね?」

「……」


 糾弾するゴリさんの珍くも鋭い突っ込みに押し黙る。

 そこへサドの美人さんが追い討ちをかけてきた。


「それと、あの子は河川敷でこれに後ろから抱きついていたよ。大きい胸を押し付けるようにしてな」

「キューちゃん変態!」


 空気が薄い。うーこちゃんのジト目の突っ込みにうるうたんとゴリさんの蹴りが入った。標的は尻だ。


「本命が浮気ばかりするから、制裁としてオレの出番が来たというわけさ。この男前が参加というのは真昼ちゃんの強い要望があってのことで、それには納得してないんだが」

「春の温泉のときとか、先日に振られた後とか、俺はゴリさんに色々世話になってる。ましてやいい女の頼みを断る独り者はいないだろ」


 複雑な人間関係が構築されている。

 関西弁もうーこちゃんも事の成り行きに思わず顔を見合わせていた。


「浮気するなら一慎、と旅行先で言ってたものな。それを実行に移すか五里くん」

「宗太がいてくれるから、本気のデートじゃないですけどね!」


 妙に感心しきりのうるうたんに、声を押し殺してささやくような返答のゴリさん。

 男を手玉に取るといった意味で意気投合した瞬間だった。

 嫉妬の度合いが上限を振り切れた俺は、我を失って悪友につかみかかった。

 口に出た言葉は変態ならではの妄言だ。


「ゴリさんのお尻に触ったらぷちころがすぞ」

「……」


 しばらくの沈黙を経てから、色魔やら下衆野郎やら罵詈雑言が飛んできてもみくちゃにされたことは言うまでもない。

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